津波で夫と3人の孫を亡くした菅原眞佐子さん(75)。悲しみから立ち上がることができたのは仮設の人たちとの交流からでした。

(取材・放送の内容を元にしたテキスト)

津波で夫と3人の孫を亡くした菅原眞佐子さん(75)。かわいがっていた孫たちのことを今でも毎日のように思い出しています。

「成長していればもう高校生だし、中学生だし、ごめんねって、それだけいつも思いますね。助けなくてごめんねっていうのだけですね。楽しいこといっぱいあったのになあと思いますね」

菅原さんは、震災後、大きな悲しみから体調を崩し、精神的にも不安定な状態が続きました。

「精神安定剤はこれです。全然食べられなくてガリガリになっていたんですけど、病院には何回も行きました」

一時は、言葉が出てこなくなったと言います。

「言葉も出てこないし、それで簡単にありがとうっていう字も平仮名だったら書けますけど、漢字に変換したらどんな字だったかなって、全然思い浮かばない。どういうことをしゃべったか、問いかけられれば答えていたと思うんですけれど、何を答えていたかはおぼえてないです」

そんな菅原さんの気持ちを癒やしたのが手芸です。毎日何時間もかけて作ります。

「ここまで編もう、あそこまで編もうっていってるうちに嫌なことを考える余地がなくなってくるから。でも、一応悲しくなるけど、ここでやめようっていう自制が訓練でできるようになりました」

作ったぬいぐるみなどを誰かにプレゼントして喜んでもらうとうれしいと話していました。

そして、仮設の仲間たちとの交流が、よりいっそう菅原さんの気持ちを明るくしていきました。

「あるきっかけで役員か何か押しつけられて、そうすると必然的に出て行かないとダメなんで、それでみんなと接触するようになったので。そういうので引っ張り出されて、それでみんなとお話ししたら、ああ、同じ悩み持ってるんだっていうのに気がついて、それから心開いてお話できるようになりました」

関連する映像