慣れ親しんだ場所を離れ、すぐに頼れる人が誰もいない場所で子育てをしている「アウェイ育児」。多くの子育て家族が経験しているアウェイ育児は、なぜつらいと感じるの? どうすればつらさから抜け出せる? アウェイ育児の乗り越え方について、専門家と一緒に考えます。
大日向雅美(恵泉女学園大学 学長/発達心理学/子育てひろば「あい・ぽーと」施設長)
木下ゆーき(子育てインフルエンサー)
今回のテーマについて
ある調査によると、母親の7割以上がアウェイ育児をしているといわれています。
NPO法人子育てひろば全国連絡協議会「地域子育て支援拠点事業に関するアンケート調査2015」より
アウェイ育児は、なぜ大変?
―― すくすくファミリーのみなさん、どんなときにアウェイ育児を感じましたか?
- 保育園の緊急連絡先を誰にするか悩みました。
- 気軽に悩みを相談する人が誰もおらず、地域の輪に入りにくさを感じていました。これからも転勤が考えられるので、幼稚園や小学校に入って転校を繰り返すのが娘の負担にならないか不安です。
―― 大日向さん、アウェイ育児はどうして大変だと感じるのでしょうか?
「自分で選んだ生き方」「自分で選んだことは自分で始末」という圧力がある
回答:大日向雅美さん
以前は、結婚に「嫁ぎ先」という言葉があるように、女性にとってアウェイでした。自分が住んでいた土地や親族から切り離され、夫のところに行き、そこから始める。しかたがないと我慢していたと思います。
しかし、今は自分で選択できます。一方で「あなたの生き方は、自分で選んだのよね?」という選択幻想があります。また、もうひとつ日本の社会でよくないと思うのは、「自分で選んだのだから、自分でなんとか始末しなさい」という自助努力の考え方です。
自分ひとりでできることには限りがあります。もともと子育てが大変なのにアウェイとなり、選択幻想と自助努力を押しつける文化が重なっているのではないでしょうか。
価値観が多様化しているのに子育てはアップデートされていない
回答:大日向雅美さん
親が中心になって子育てすることには変わりませんが、本当に楽しんで、余裕を持って子育てするためには、社会の支えが必要です。これほど価値観やライフスタイルが多様化しているのに、子育ては「家庭の中で」「親だけで」、ましてや「ママだけで」という考えがアップデートされていないと感じます。何とかしないといけないと思います。
アウェイ育児、どう乗り越える?
アウェイ育児の大変さをどう乗り越えたのか、あるママの体験談を紹介します。
6年前、故郷を離れて夫の転勤先へ引っ越して、私もそこで就職しました。新しいことにチャレンジする気持ちで、平日は仕事、休日は夫婦で旅行と、アウェイ感なく生活を楽しんでいました。
4年ほどで妊娠し、里帰り出産をして2か月ほどゆっくり過ごしました。しかし実家から戻ると、急に故郷を離れている「アウェイ感」を感じるようになりました。身内も友だちもいない、SOSを出しても駆けつけてくれる人がいなくて孤独を感じていました。
そんな孤独から抜け出すきっかけは、3か月健診の案内に添えられていた「ブックスタート」の引換券でした。子育てひろばに持って行くと、本が無料でもらえるのです。それまで、「子育てひろばは地域のもの、よそ者の私は…」という気持ちがあったのですが、迷いながらも「無料で本がもらえるなら」と、おそるおそる子育てひろばに出かけました。
そこで出会ったのは、同じ月齢の子どもがいるママ達と、ママとの話をつないでくれる広場のスタッフでした。スタッフに「よかったら、この機会に連絡先を交換しちゃいなよ」と言われて、そこからママ友ができたんです。広場のスタッフはやさしくて話しやすくて、悩みごとを気軽に相談でき、気持ちが楽になりました。
今では、第2の実家のようにリラックスして、広場での交流を楽しんでいます。スタッフが見守ってくれていると感じて、地域に溶け込めているように思いました。顔見知りができるのが、とてもよかったです。
今後、夫の転勤でこの地域を離れる可能性もありますが、この経験を生かして新しいところでもつながりが作れると思うと、少し不安が減り、子育てを楽しめる気がしています。
(お子さん1歳のママ)
子育てひろばのスタッフは親の孤独や不安を理解している
次に、仕事に復帰したことでアウェイ感を乗り越えられたというママの体験談を紹介します。
1人目の子どもが生まれとき、アウェイ育児の孤独感に苦しみました。結婚前は地元で、結婚後は地元に近い市で暮らしていました。1人目の子どもの妊娠がわかったとき、夫の転職で県内の別の市へ引っ越すことになりました。実家からも、職場からも遠い場所で、私は退職するしかありませんでした。働いていたい気持ちがあったので、自分の中の何かがなくなったような、寂しい気持ちでした。
里帰り出産して、産後2か月で実家から泣きながら戻りました。退職、新しい土地での生活、初めての育児、いろんなことが重なって落ち込んで。社会人としての役割から切り離され、近くにいた友人とも切り離され、孤立感が大きく、一時は流れる川に飛び込んでしまいそうなほど思い詰めていました。
でも、落ち込んでいてはいけないと、産後3か月を過ぎたころから子育てひろばなどへ出かけ始めました。子どもと2人きりではない空間にいることで、少しずつ「次はこれをしてみたい」といった意欲が出てきました。さらに気持ちを変えたのが、以前の職場からの復職の誘いでした。「忘れられていない、誰かに必要とされている」と感じて、とてもうれしかったです。
復職し、子どもが2歳になったころ、私の職場と夫の職場の中間地点に引っ越しました。夫婦ともに地理的にはアウェイですが、以前に比べて気持ちに変化があります。母親としての居場所だけではなく、社会人としての居場所ができたことで、「ホームができた」と思えて、アウェイ感が薄まりました。子どもが保育園に入ったことで、新しいつながりが増えたこともあります。
(お子さん4歳3か月・9か月のママ)
女性の人生を子育てで空白にしてはいけない
ホームにする方法を家族で話し合う
―― すくすくファミリーのみなさんは、アウェイ育児をどう乗り越えましたか?
町内会に参加する
私は、地元の人間としてお祭りなどに参加したくて、町内会に入れてもらいました。子どものころ、地元の町内会のイベントや、町内の人との関わりにとてもいい印象を持っていたんです。新しい場所でも地元の人間として関わりたい、子どもにも同じような体験をさせてあげたいと思ったのが理由です。
町内会に入ったことで、回覧板などで今まで知らなかった町内の情報を知ることができます。また、周りの人たちが子どもの成長を気にかけてくれるなど、アットホームなあたたかさを感じています。
(すくすくファミリー)
声をかけられた経験を大事に、次へつなげる
以前に住んでいたマンションで、子どもと一緒にエレベーターを待っていたら、同じマンションのママから「何か月? 連絡先教えて~」と初対面で言われました。驚いて、はじめは何かの勧誘かと思いましたが、そのママは同じように声をかけた他の子育て家族とメッセージグループを作っていました。
そこでは「明日遠足だけどお米がない、誰かお米1合ください!」「今から公園で遊ぶけど一緒に行く人いますか?」など、気軽に声をかけ合って助け合う関係が築かれていました。私の警戒心も少しずつ薄れて、家族ぐるみで食事をするほど仲よしになり、アウェイ育児のつらさは解消されたんです。
その後、新たな場所に引っ越したのですが、この経験から「今度は私がほかのママを助けよう」と考えるようになりました。同じマンションの方に、挨拶をしたり、「赤ちゃん、月齢何か月ですか?」と話しかけたり、初対面では無理だけど「連絡先を交換しましょう」と言えるようにもなりました。
(すくすくファミリー)
今のママたちは、いろいろなものを使いこなす力と感性がある
アウェイ育児のつらさを支え合う取り組み
埼玉県熊谷市の地域子育て支援拠点「0・1・2・3さい くまっぺ広場」では、アウェイ育児のつらさを仲間で支え合おうという取り組みをしています。
熊谷市地域子育て支援拠点「0・1・2・3さい くまっぺ広場」
この広場に集まっているのは、地域に住む3歳までの子どもを育てている親たちです。話を聞いていると、「すごい早いな、痛ないの」「めっちゃ痛いねんけどこれ」と関西弁が飛び交っています。
このグループは、関西出身の親だけが集まるサークル「子育てサークル・バンビ」なんです。関東でのアウェイ育児の不安を解消しようと、NPOが運営する子育てひろばのサポートを受けて9年前に作られました。
活動は月に1回、平日の午前中に行います。熊谷市近辺在住の、0~3歳までの子どもがいる関西出身の親なら誰でも参加できます。
参加者からは「人としゃべるのは、やっぱりすごく大事」「関西弁でしゃべれること自体がうれしい」といった声が聞けました。広場での集いのほか、お花見や食事会など、家族ぐるみで参加できる活動も行い、交流の輪を広げています。
このサークルでの経験を生かし、今では支援者となって広場で親子を支えるようになったママもいます。
当事者でないとわからない不安や孤独感をわかってあげられると思ったそうです。
この活動が原動力となり、2021年には出身地域を問わないアウェイ育児のサークルも誕生しました。
同じ立場の仲間がいれば、見知らぬ土地、アウェイでの子育てでも、新たな「ホーム」にすることができるのですね。
最後に
人生はアウェイの連続。自分ひとりで乗り越えなくてもいい
※記事の内容や専門家の肩書などは放送当時のものです