ページの本文へ

静岡WEB特集

  1. NHK静岡
  2. 静岡WEB特集
  3. この展示に注目!大河ドラマ特別展「どうする家康」➃書状編

この展示に注目!大河ドラマ特別展「どうする家康」➃書状編

現在開催中の大河ドラマ特別展「どうする家康」静岡展の見どころを学芸員の注目ポイントを交えて紹介!
  • 2023年12月07日

     

    静岡市美術館では、大河ドラマ「どうする家康」と連動して、NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」静岡展を11月3日(金・祝)~12月13日(水)の期間で開催しています。
    戦国乱世に次々と起こる出来事に逃げることなく答えを出し続け、幾多の「どうする?」を切り抜けた徳川家康。本展では、そんな徳川家康のエピソードとともに家康や戦国武将ゆかりの品々を展示しています。
    今回は、「書状」から徳川家康の性格を紐解きます!

    実は筆まめ!?書状から垣間見える徳川家康の人物像

    松平元康覚書(まつだいらもとやすおぼえがき)
    ※所蔵:静岡・久能山東照宮博物館

    NHK大河ドラマ「どうする家康」でも「書状」のやりとりが度々登場しますが、「書状」は現代でいう「手紙」です。戦国時代においては、交渉事や戦法の指示などが書かれたものも多く存在し、歴史を紐解く上でも重要な資料となっています。

    本展で展示されている書状の一つがこちらの「松平元康覚書」。これは、徳川家康が20歳の時に書いたといわれる「書状」です。家康は、生涯で何度も名前を変えています。松平広忠(まつだいらひろただ)の嫡男として生まれた家康は、幼名を「竹千代」と名付けられました。その後、元服し「松平元信(もとのぶ)」を名乗って以降、「松平元康(もとやす)」→「松平家康」→「徳川家康」と改名しています。この書状は後の徳川家康が「松平元康」を名乗っていた頃に書いたものです。

    駿河の今川氏真(いまがわうじざね)と断交した元康のもとに、いち早く帰属した三河の豪族菅沼氏に対し、本領の安堵と優遇を約束したものです。当時、家康は駿府で暮らしていましたが、三河岡崎の仕置きを自ら行っていたことがうかがえる興味深い作品です。

    次は徳川家康の優しさが感じられるこちらの書状も見てみましょう!
     

    徳川家康書状 大和中納言(豊臣秀保)宛
    (とくがわいえやすしょじょう やまとちゅうなごん(とよとみひでやす)あて)
    ※所蔵・東京都江戸東京博物館

    徳川家康が豊臣秀吉の甥、秀保(ひでやす)に宛てた書状です。書状の前段で家康は、秀保が湯治に行ったことについて尋ねています。秀保の体調を気遣った内容ですが、秀保はこの書状の日付から12日後に死去しています。

    これら2つの書状から、家康は相手に対してきめ細やかな配慮をする「気遣いの人」だったのではないでしょうか。家康は、関ヶ原の戦いの際に、戦の前から敵味方合わせておよそ150通以上の書状を送ったと言われており、かなり筆まめな方だったようです。
    このようなきめ細やかさが、人の心をつかみ、天下人となった所以とも考えられます。

    学芸員 髙橋さん、注目ポイントを教えてください!

    「松平元康覚書」は恐らく全文直筆で書かれており、字には若々しさが表れています。家康と名乗って以降の書状は比較的多く残っていますが、それ以前の元信や元康時代のものは数が少ないので、大変貴重です。
    時代によってサインにあたる花押(かおう)の形が変わっていくのですが、今川義元が使っていた花押の形に似ていると言われています。この書状を書いた時期に家康が今川家に属していたことがうかがえるポイントだと思います。

    書状から歴史的背景や差出人の性格などが読み取れるのは大変興味深いですね。戦乱の世でありながら、心静かに筆を走らせた将軍の姿を想像しながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。

    国宝・重要文化財が約50点展示!!
    NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」静岡展にぜひご来場ください!
    開催期間:2023年11月3日(金・祝)~12月13日(水)
         午前10時~午後7時 ※展示室入場は閉館の30分前まで
         ※休館日:11月20日(月)
    会場:静岡市美術館<静岡県静岡市葵区紺屋町17-1葵タワー3F>
    交通手段:JR「静岡」駅北口より徒歩3分
    詳細はこちら

      ページトップに戻る