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静岡 熱海土石流2年 「28人目」の犠牲者遺族の思い 

1年7か月間行方不明だった母親 帰りを待ち続けて
  • 2023年07月19日

土石流の犠牲者の中には、ただ1人、1年7か月もの長期にわたって行方不明になった人がいます。「28人目」の犠牲者と認定された、太田和子さんです。土石流の発生から2年がたった遺族の今の思いを取材しました。
(伊東支局記者 武友優歩)

※2023年7月3日に放送した動画は文末にあります。

優しい母親 突然襲った土石流

太田朋晃さん(57)です。土石流で、一緒に暮らしていた母親の和子さん(当時80)を亡くしました。

「もう少し親孝行じゃないけど、いろいろなことをやってあげればよかったのかな」
(朋晃さん)

土砂の中から発見された写真(15年ほど前に撮影)

和子さんは亡くなった夫と理髪店を営み、朋晃さんたち3人の子どもを育てあげました。朋晃さんは、幼いころ父親から叱られた時に、優しくなだめてくれた姿が忘れられないといいます。

「子どものころは、悪さをすれば父には怒られ、なんで怒られたのかというのを母親が諭してくれていました。優しい母親でした」(朋晃さん)

2年前の7月3日。和子さんと朋晃さんの妻、それに次男の3人がいた自宅を濁流が襲いました。職場からすぐに駆けつけた朋晃さんが目にしたのは、跡形もなくなった自宅と、変わり果てた地区の姿でした。

発生直後、朋晃さんが撮影した自宅付近の様子

「もう何がどうなったのか分からなくて。家のあった場所を見ても、全然面影がなかったので」
(朋晃さん)

外に出ていた妻のロレナさんと次男は、近所の人からの呼びかけで間一髪避難できましたが、足が悪かった和子さんを助け出すことはできませんでした。

妻・ロレナさん

「お母さんと一緒に逃げようと思ったら腰ぐらいの高さの土砂が来て、近所の人から『なにやってるの!おいで!』と声をかけられて、走って逃げました。逃げている最中も、お母さんのことばかりを考えていました。今も現場を見るたびに思い出します」(妻・ロレナさん)

行方不明のままの1年7か月

和子さんは、連日行われた捜索活動で発見されず、ただ一人、行方不明の状態が続きました。

その後、毎月の月命日に実施された一斉捜索。朋晃さんは、捜索の結果を聞くたびに複雑な思いを抱いていました。

月命日の一斉捜索

「捜索に大勢の方が携わっていただいている中で、見つからないということに対して、申し訳なさというのか、迷惑をかけているというか。そんな気持ちもあり、『捜索をやめてください』と言いたい気持ちも度々ありました」(朋晃さん)

土砂の中から発見された和子さんの免許証など

捜索の過程で、和子さんの診察券や免許証などは発見されました。しかし、朋晃さんはこれらを直視することはできなかったといいます。

「現実に向き合いたくなかったような気がしますね、当時は。行方不明者ということは、少なからずどこかで生きている可能性もあるということなので、どっちつかずの宙ぶらりんの状態でした。時が止まったまま、立ち止まったままの状態でいました」(朋晃さん)

ようやく帰ってきた母親

遺骨が発見されたのは、土砂をふるいにかける作業の終了目前だった

2023年2月。諦めかけていた朋晃さんに、警察から思いがけない連絡がありました。住宅地から撤去された土砂の中から見つかった骨が、和子さんのものと確認されたのです。

遺骨は、朋晃さんたち遺族のもとに帰ってきました。

2023年2月の会見の様子

当時の記者会見で「和子さんにどのような言葉をかけたいか」と問われた朋晃さん。

「おかえり、寒かったね。よく頑張ったね。出てきてくれてありがとう」と、言葉を詰まらせながら語っていました。

「やっと母親が出てきてくれて、安心したというか。宙ぶらりんになっていたものがちょっと下ろせたかなという気持ちでした。母親を供養してあげられて一区切りというか、けじめがつけられたので、自分のことを前に進めないといけないなと思いました」(朋晃さん)

“自宅再建”したくてもできない

熱海市内のアパートで避難生活を続けている朋晃さん。「警戒区域」が解除されたあと、元の場所に自宅を再建したいと考えています。

しかし、自宅があった土地のすぐそばを流れる川は、県が川幅を広げる工事を計画しているため、土地は買収の対象になっています。このため、いつ戻ることができるのか、どこに住むことができるのか、2年たった今も見通せない状況です。

自宅の跡地には草が生い茂っている

「復旧の方へは全然進んでいないので、この2年間何をやっていたのという感じはします。裕福な暮らしをしていたわけではないけど、特に何事もなく普通に日々生活できていたあの頃とあの場所へ、戻れるのなら本当に今すぐにでも戻りたい」(朋晃さん)

去年参加できなかった追悼式へ

7月3日。朋晃さんは、去年は気持ちの整理がつかず出席できなかった犠牲者の追悼式に、初めて参加しました。

そして式のあと、6月下旬に納骨した和子さんの墓へと向かいました。

母親と日常を奪った土石流をなぜ、防ぐことができなかったのか。朋晃さんは、ほかの遺族や被災者とともに、司法の場で真相を明らかにしていくことを誓いました。

「納骨など形式的なことは済ませましたが、母親にはまだ何もしてあげられていないので、なぜ命を落とさなればならなかったのか、真相を解明して報告したいです。今後、伊豆山で二度と同じことを起こしてはいけないので、自分ができることをやっていきたいです」(朋晃さん)

※2023年7月3日に放送した動画

  • 武友優歩

    記者

    武友優歩

    2019年入局。静岡局が初任地。熱海土石流は発生当時から現地で取材を行う。

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