日本被団協の坪井直さん
死去96歳 核兵器廃絶訴え

日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の代表委員で、長年、核兵器廃絶の運動の先頭に立ってきた坪井直さんが今月24日、亡くなりました。96歳でした。

坪井直さんは、大正14年、今の広島県呉市音戸町で生まれ、今の広島大学に通っていた20歳の時に爆心地から1.2キロの広島市役所の近くで被爆し、全身に重いやけどを負って、およそ40日間意識不明となりました。

大学卒業後、中学校の教師となってからは原爆の恐ろしさを語り続け、生徒たちから「ピカドン先生」と呼ばれ親しまれました。

平成12年からは日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の代表委員を、平成16年からは広島県被団協=広島県原爆被害者団体協議会の理事長を務め、国内にとどまらず国際社会への訴えにも力を入れてきました。

5年前の5月に、当時のアメリカのオバマ大統領が現職の大統領として初めて広島を訪問した際には、被爆者の代表の1人としてオバマ大統領と直接、ことばを交わし、核兵器の廃絶を訴えました。

また、3年前の4月には長年の功績をたたえて広島市から「名誉市民」の称号が贈られました。

その年の8月6日の原爆の日には、広島県被団協を代表して、当時の安倍総理大臣と面会し、核兵器禁止条約に日本も署名・批准するよう求めました。

しかし、このところ体調を崩し、公の場に出る機会はなくなり、今月24日、貧血による不整脈で亡くなりました。

96歳でした。

坪井直さんは、おととし12月、自宅でNHKのインタビューに応じ、核兵器廃絶を訴える運動の中で長年繰り返してきた、不撓不屈(ふとうふくつ)、ネバーギブアップという姿勢を強調していました。

そして「どんなことがあってもネバーギブアップだ。自分たちのすぐそばで起こっていることによっていたのでは、人類は廃れていく。被爆者だけでなく被爆していない人も手をとりあって取り組んでいくべきだ」と力強く語りました。

そして、原爆がどういうものなのか時代を越えて伝え続けていくことが必要だと訴え「年月がすぎても事実なのかうそなのか、ごまかされることないようにしてほしい。『事実を大切にする』というメッセージが置き土産のことばになるかもしれない」と話していました。

日本被団協 田中煕巳さん「生きている人間が引き継いでいく」

日本被団協で坪井さんとともに代表委員を務めている田中煕巳さんは、NHKの取材に対し「ここ数年は坪井さんの体調や、コロナ禍も重なり、お会いできていませんでした。また一人、運動を率いてきた方が亡くなってしまいましたが、これが被爆者運動の現実だと思います。私も含め、被爆者がいつまで運動を続けられるかわかりませんが、生きている人間が引き継いでいくしかありません」と話していました。

広島県被団協 箕牧理事長代行「広島の被爆者の象徴的な人」

県被団協で長年にわたり活動を共にしてきた箕牧智之理事長代行は、報道陣の取材に応じました。箕牧理事長代行は「坪井さんは第一線に出られなくなっても非常に重い存在で広島の被爆者の象徴的な人でした。広島の坪井さんであり、日本の坪井さんでもあり、大きな存在感のある方だった。平和運動や核兵器の廃絶を中心に坪井さんは訴えてこられたが、ほかの人よりも一段と重みのある人だった」と述べて死を悼みました。

ICAN 川崎哲さん「大きな穴が空いた思い」

坪井さんが亡くなったことについて、核兵器禁止条約の成立に貢献したNGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンの国際運営委員、川崎哲さんは「私にとっても、そして核廃絶運動にとっても大きな穴が空いたという思いです。原爆の被害が人間の問題であることをその存在、姿勢、そして表情で伝えてこられた方であり、坪井さんほど迫力を持って伝えられる方はいなかったと思います。核廃絶に向けた道筋を示して下さった坪井さんが亡くなられ、被爆者なき時代を迎えて核兵器を容認するような意見が広がってしまうのではないかという不安もありますが、坪井さんが見せた姿勢やそのことばをこれからも頼りにして、核廃絶に向けて道を誤らないように進んでいきたい」と話しました。

サーロー節子さん「核廃絶運動のリーダーシップに感謝」

長年、世界各国で核兵器廃絶を訴え続けてきた広島の被爆者でカナダ在住のサーロー節子さんは坪井さんが亡くなったことについて「20年ほど前にオランダのハーグで行われた核廃絶についての会議でお会いしたのが唯一の機会で、そのあと、ポーランドのアウシュビッツの強制収容所跡を一緒に訪問した。生きることや大虐殺、人間の生と死について考えてこられたことを話し合えたのを覚えている。長い間、日本で核廃絶運動のリーダーシップを立派にとられてきたことに感謝してきた。体調を崩されたと聞いていたが来年開かれるNPT=核拡散防止条約の会議などでお会いできるのではないかとも思っていたので、悲しく思う」と話しました。

そのうえでサーローさんは「日本にはまだ核廃絶運動のリーダーになれる人がいるので運動が下火になることはないと思うが、私も体調を崩すことがあり健康を保持している人が国際社会に力強く訴えることが大事だと思う。坪井さんはネバーギブアップとおっしゃっていて、苦しい道だけど核廃絶という最終的な目的を達成できるよう核兵器に依存する国なども説得して、違った形の安全保障をみんなで作り上げられるようにしていきたい。核保有国や核の傘のもとにある国は今も核抑止論にしがみついているが、日本政府も市民や被爆者の声を聞いて核に依存する態度ではなく道徳的な視野を持ってほしい」と話しています。

岸田首相「思いを胸に刻みながら前に」

岸田総理大臣は27日夜、総理大臣官邸で記者団に対し「まことにさびしい限りであり、坪井さんのご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、ご家族にお悔やみ申し上げたい。同じ広島ということもあり、さまざまなところでご協力を頂きご意見をうかがい、ご指導も頂いてきた」と述べました。

そして「特に印象に残っているのはアメリカのオバマ大統領が広島を訪問した際に被爆者の思いを直接、大統領に訴えておられた姿だ。今でもあの時の光景が浮かぶ。私自身、被爆地出身の総理大臣として核兵器のない世界の実現に向けて坪井さんの思いを胸に刻みながら前に進んでいく覚悟だ」と述べました。

また、岸田総理大臣は記者団から「坪井さんは核兵器禁止条約への日本の参加を求めてきたが」と問われたのに対し「核兵器国は条約に参加しておらず『核兵器のない世界』という大きな目標に核兵器国を動かしていくため、具体的な行動で責任を果たしていきたい。アメリカのバイデン政権ともしっかり意思疎通を図りながら努力を進めていきたい」と述べました。

高齢化する被爆者 次世代への継承が課題に

原爆の投下から76年となり、被爆者の高齢化が進んでいて、核兵器廃絶に向けた活動を次の世代にどう継承していくのかが大きな課題となっています。

厚生労働省によりますと、被爆者の平均年齢は、ことし3月末の時点で83.94歳と高齢化が進んでいます。

昨年度1年間に亡くなった被爆者は8952人で、被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は、多い時には37万人余りいましたが、ことし3月末現在では全国で12万7755人と、この10年で9万人余り減りました。

核兵器廃絶運動を中心となって担ってきた人も相次いでこの世を去っています。

昭和57年、被爆者として初めて国連の場で、「ノーモアウォー、ノーモアヒバクシャ」と核兵器廃絶を訴えた山口仙二さんは8年前に亡くなりました。

長崎の原爆で背中が真っ赤に焼ける大やけどを負い、その後、被爆者運動に立ち上げから加わった日本被団協の谷口稜曄代表委員は4年前に亡くなりました。

そして去年9月には、5年前、坪井さんとともに当時のアメリカのオバマ大統領の広島訪問に立ち会った元代表委員の岩佐幹三さんが亡くなりました。

また、日本被団協に加盟する被爆者団体は、かつてはすべての都道府県にありましたが、先月末までに山形、栃木、群馬、滋賀、奈良、和歌山、徳島、それに宮崎の8県にあった団体が高齢化などを理由に解散したということです。

みずからの体験に基づいて核兵器の悲惨さを訴え続けてきた被爆者が少なくなる中、核兵器廃絶に向けた活動を、次の世代にどう継承していくのかが大きな課題となっています。

国際社会では核兵器廃絶に逆行する動きも

坪井さんたち被爆者が訴え続けてきた核兵器廃絶への道のりは、今も険しいままです。

冷戦が終結したあとも各国は核兵器の保有を続け、長崎大学の調査によりますと、世界の核弾頭の数はことし6月の時点で、およそ1万3130発と推計されています。

おととし、アメリカとロシアの核軍縮の柱の1つだったINF=中距離核ミサイルの全廃条約が失効したほか、ことし3月には核軍縮を進めてきたイギリスが、安全保障環境の変化を理由に保有する核弾頭の上限を引き上げると発表するなど、国際社会では核兵器廃絶に逆行する動きが続いています。

さらに、5年に1度、およそ190か国が核軍縮の方向性を議論するNPT=核拡散防止条約の再検討会議は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で繰り返し延期され、来年1月の開催が決まったものの、核兵器廃絶に向けた議論の停滞が懸念されています。

こうした中、被爆者たちが期待を寄せているのが、ことし1月に発効した核兵器の開発や保有などを禁止する「核兵器禁止条約」です。

ただ、アメリカなどの核保有国や同盟国は参加しておらず、日本政府も「アメリカによる核抑止力の正当性を損なう」などとして参加しない立場を明確にしています。

日本被団協は、政府に対し条約への参加を求める署名活動をことし新たに始めるなど、核兵器廃絶に向けた訴えを続けています。