どっこい!ふんばった社民党
政党要件維持も崖っぷち

社会民主党の看板と福島党首

社民党が踏みとどまった。
今回の参議院選挙の結果次第では、公職選挙法上の政党要件に届かず「国政政党」でなくなる恐れがあった社民党。
存亡がかかった選挙をどう戦ったのか。そして今後は…
(佐々木森里)

「党存亡かけた参院選」再び

「また、党の存亡がかかる参議院選挙になる…」

2021年10月の衆議院選挙後、社民党内は危機感に覆われた。
小選挙区では1議席を守ったものの、比例代表では議席を獲得できず、得票率は1.77%にとどまったからだ。

公職選挙法で「国政政党」と認められるには、国会議員が5人以上いるか、直近の衆議院選挙か参議院選挙で、2%以上の票を獲得していることが要件となっている。

「国政政党」の要件(公職選挙法)国会議員が5人以上、または直近の衆議院選挙か参議院選挙で有効得票総数の2%以上

社民党は、国会議員が2人しかおらず、衆議院選挙で2%の得票に届かなかったことで、参議院選挙でも2%を下回れば「国政政党」ではなくなることとなった。

前回・3年前の参議院選挙も同じ状況で臨んだが、このときは、比例代表で2.09%を得票して、かろうじて要件を維持した。

公職選挙法上の政党要件を失うと、衆議院選挙の小選挙区で政見放送を流せなくなるなど、国政選挙で、さまざまな制限がかかる。

組織の弱体化に歯止めがかからないなか、今回の参議院選挙でも「2%」を確保することができるか?
前回の選挙以上に厳しい戦いが予想された。

77年の歴史

前身の旧社会党から数えて、77年の歴史を持つ社民党。

旧社会党は、いわゆる「55年体制」のもと、保守勢力の自民党に相対する革新勢力として、野党第一党の座を占めてきた。

選挙時の土井たか子

1986年に、初めての女性党首として委員長に就任した土井たか子は、3年後の参議院選挙で、女性候補を次々と擁立して「マドンナ旋風」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込んだ。
土井が述べた「山が動いた」は、いまも語り継がれる。

村山富市内閣

1993年の「非自民連立政権」の細川内閣に参画したあと、翌1994年の自民党、新党さきがけとの「自社さ連立政権」では、党首の村山富市が総理大臣に就任した。

しかし、保守勢力との連立政権で、自衛隊を合憲と認めるなど、旧社会党の政策を転換させたことで党内の求心力は急速に低下。
1996年、村山総理大臣が退陣し、党名を社民党に変更した。

村山のあと、再び党を率いることになった土井は、福島や辻元清美をはじめとした次世代を担う女性議員を多く誕生させるなどして党の再建を目指したが、退潮傾向に歯止めはかけられなかった。

福島のもとでも続いた党勢の衰退

「土井チルドレン」の筆頭格と評されていた福島。

福島と土井

2003年に土井からバトンを受け継ぎ、10年間党を率いたあと、2020年から再び党首を務めた。
この間、福島は党是である「平和と護憲」の立場を徹底して貫いた。

入閣する福島

2009年に発足した民主党政権に参加し、福島が消費者・少子化担当大臣として入閣したが、沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐって鳩山総理大臣の対応に反発し、8か月余りで、連立政権から離脱した。
また、党内でたびたび浮上した民主党などとの合流案には、一貫して慎重な姿勢をとり続け「社民党の火を消してはならない」と訴えた。

こうした福島の方針に反発して、離党する議員があとをたたず、党勢の衰退は続いた。

そして2020年、立憲民主党との合流をめぐって、事実上分裂し、国会議員は4人から2人に。党員は全体の3割が離党した。

党幹部は、こう振り返る。
「社民党になって以降、党勢が上向いていた時期なんてない。ずっと崖っぷちだ」

党首の議席もかかる戦い

「社民党は絶対に必要だ。社民党にしかできないことがある。戦争しないと決めた憲法9条をどんなことがあっても変えさせない。何としても参議院選挙で勝利したい」

再選した福島

ことし1月。無投票で党首に再選された福島は決意を語った。

今回の参議院選挙は、福島自身が、5回目の当選を目指す候補者でもあった。
過去4回と同様、今回も比例代表からの立候補。
党の政党要件の死守とともに、自身の議席もかかった戦いが幕を切った。

近年最多の候補者を擁立

参議院選挙の比例代表は全国が対象で、党として得票を伸ばすには、選挙区も含めて多様な候補者を多く擁立することが大事だとされている。

党勢の衰退が続く社民党にとって、候補者集めも簡単ではないと思われたが、比例代表では、福島を含め、近年では最多の8人を擁立した。

社民党のホームページ比例8人立候補

顔ぶれも多彩で、党が重視する「多様性」や「雇用」などの政策を象徴する候補者として、バイセクシュアルの当事者や元非正規労働者が立候補。
元広島市長の秋葉忠利など、社民党の元国会議員も手を挙げた。

一方、選挙区では、調整が難航した東京で、急きょ、関西を地盤とする幹事長の服部良一がみずから立候補することを決めた。

それぞれが「社民党をなくしてはならない」という強い思いを持って立ち上がった。

土井さん頼み?

社民党が今回の選挙で掲げたスローガンは「がんこに平和!くらしが一番!」。
「がんこに平和」は、およそ20年前に、当時党首だった土井が使っていたものだ。

「がんこに平和」のポスター

往年の党支持者にはなじみ深いフレーズを、福島は街頭で何度も繰り返した。
そして「ウクライナ情勢に便乗した防衛力の大幅な増強や憲法の改悪は許さない」「物価高騰などで疲弊した生活を再建するため、消費税率を3年間ゼロにする」などと強調した。

また、党は「続 駄菓子屋のオバチャン」と題する1分の動画も配信。

「続 駄菓子屋のオバチャン」

社民党の元衆議院議員で、元兵庫県宝塚市長の中川智子ふんする駄菓子屋「社民堂」のオバチャンが「このお店は絶対に閉めないよ。大事なものは絶対に変えちゃいけないんだよ」と子どもに語りかけ「がんこに平和」をアピールしている。

タイトルが「続」となっているのは、中川が2代目の「オバチャン」だからだ。
初代は土井。2000年の党のテレビCMが、動画の元ネタとなっている。

土井「憲法9条、変えさせません」

このCMでは、オバチャン役の土井が、店の駄菓子を「変えさせないよ」と頑固に言い続けたあと、「憲法9条、変えさせません」と力強く宣言している。

動画の制作に携わった党職員は狙いをこう解説した。
「社民党になってから一番活気があったのは、土井さんが党首だった2000年初頭。動画を見てあの頃を思い出してほしい。土井さんのノスタルジーにすがってでも、票を伸ばしたい」

村山からの激励

報道各社の調査で、社民党の議席予測は「0~1」のまま変わらず推移した。

前向きな発言を繰り返してきた福島も焦りを隠しきれず、演説で窮状を訴えることが増えた。

「崖っぷちの社民党と、崖っぷちの福島みずほと、崖っぷちの日本国憲法。なんとしても皆さんの力で国会に戻り、頑張り抜きたいんです」

選挙戦のさなか、福島は大分市の村山を訪ねた。

村山富市と福島

「絶対勝たないかんで。頑張れ!」
98歳になった村山が絞り出した言葉をかみしめるように強くうなずいた福島。
その目は少し潤んでいるように見えた。

「土井さんがママで、村山さんはパパみたいな感じなので。大先輩に励ましてもらって、元気が出て、また頑張れる。歴史がある社会党、社民党を何としても残したい」

「#国会にはみずほが必要」

選挙戦終盤、福島の必死の訴えは、有権者の心を動かし始めた。

以前からの支援者は、歌舞伎のかけ声「どっこい」の文字と福島の似顔絵を描いたうちわをつくり、街頭演説などで必死に振って応援した。

「どっこい」のうちわを持つ福島

また、女子大学生などの有志がマイクを握り「福島さんは選択的夫婦別姓やセクハラの問題にずっと取り組んできた」などと、福島の実績を繰り返し訴えた。

そして、SNS上では、支援者が「#国会には福島みずほが必要」というハッシュタグの投稿を呼びかけ、3日間連日1万件以上のツイートが投稿されトレンド入りした。

「『社民党をなくしてはいけない』という人たちがこんなに声をあげてくれている。手応えはある」と語った福島。
のべ100か所以上で街頭演説をおこない、18日間の選挙戦を終えた。

選挙結果は…

そして迎えた投開票日。

社民党は、比例代表で1議席を獲得し、福島はみずからの議席を守った。
そして、得票率も2.37%と「2%」を超え、今回も国政政党の政党要件を維持した。

しかし、党所属の国会議員の数は2人のままで、今後も、党の存亡がかかった選挙が続くことになった。

福島は、結果が出たあとの記者会見でこう語った。

「社民党は古い政党と思われているが、人権問題やジェンダー平等など、長年主張してきたテーマは新しく、若い人が関心を持ってくれている。鍵となる若い世代や女性たちとつながって、党を刷新させ、再生社民党を元気に作っていきたい」

“新しい政党”として再び勢いを得ることができるか。福島には引き続き、党の未来がかかっている。
(文中敬称略)

政治部記者
佐々木 森里
2015年入局。公明担当。