い巨塔」の望まぬ選挙

緊急事態宣言は解除されたものの、新型コロナウイルスの新たな感染者の確認が相次いでいた6月。医師たちは、別の戦いに奔走していた。
「日本医師会」の会長選挙。
現職の会長と、それを支えてきた副会長による一騎打ちの選挙戦は、日に日に激しさを増す大接戦に。なぜ、こんな時期に、そこまで争うのか?
「白い巨塔」を舞台に繰り広げられたガチンコ選挙の一部始終を報告する。
(小泉知世)

「日本医師会」その力

「日本医師会」は、全国の開業医や勤務医およそ17万人が加入する公益社団法人だ。大正5年に設立された前身の「大日本医師会」から数えて100年以上の歴史を持つ。

その影響力は医療関係の業界にとどまらず、政治にも及ぶ。

医師会の政治団体である「日本医師連盟」は、自民党を中心に、与野党に対して、おととし5億円近くを献金している。加えて、自民党には、組織が全面支援した国会議員2人を送り込んでいる。

文字通り、日本を代表する「業界団体」の1つだ。

“長期安定政権”

そのトップである会長を、平成24年から4期8年にわたって務めてきた横倉義武(75歳)。福岡県の病院の理事長で、地元の古賀誠・元自民党幹事長の後援会長を務めたほか、麻生副総理とも懇意で、政界との太いパイプを築いてきた。

会長就任のおよそ9か月後に政権トップの座に返り咲いた安倍総理大臣も旧知の仲で、診療報酬の改定をはじめとした重要な局面では、じか談判を行うなど、医師会の要求実現に尽力してきた。2期目以降の会長選挙では、無投票や大差で勝利し、その安定ぶりは「安倍政権に負けず劣らず」と評された。

この状況で選挙!?

2年に1度、行われる会長選挙。今回は、6月1日公示、27日投開票との日程が組まれた。

横倉の去就に注目が集まる中で起きた、新型コロナウイルスの感染拡大。医師会は、新型コロナへの対応に追われていた。頻繁に記者会見を行うなどして、各地の医療のひっ迫状況を連日訴えた。また、政府に対して、「緊急事態宣言」を速やかに出すよう迫った。

そして各地の医療機関からは、感染拡大に伴う深刻な影響に対する速やかな対策を求める悲痛の訴えも届いていた。外来の患者や手術件数の大幅な減少などによって、経営は急速に悪化。感染患者の治療にあたる現場の医師たちは、過重な勤務、極度のストレスで、限界に近づいていた

「医師がいま、選挙などをやっている場合か!?」

医師会内でも一時、日程の延期が検討された。しかし収束の見通しが立たない中では、いつ行えるのかも分からないとして、予定通り行うこととなった。

それならば「選挙戦を避け、無投票による決着を」。そう望む雰囲気が広がっていった。

雌伏10年の男

こうしたなか先に動いたのは、以前から「ポスト横倉」に意欲を示していた副会長の中川俊男(69歳)だった。

北海道の病院の理事長である中川は、舌ぽう鋭い政策通として知られ、政府に対しても丁々発止の議論を展開してきた。副会長を務めること10 年。会長就任は悲願だった。

横倉本人とも話をして、今回、横倉の立候補はないとの確証を持った中川は、無投票当選での新会長就任という想定で、立候補に向けた根回しを進めた。

誰もが望まぬ選挙戦へ

しかし、事態は中川の見立てとまったく違った展開を見せる。

横倉は、中川の立候補の固い意思、そして「コロナ禍のもとで医師会が内輪もめをしているように見られるのは避けなければならない」という思いから、一度は、今期限りで勇退する方向に傾いていた。

公示直前の5月28日には、「横倉勇退意向、後継には中川有力」と一部で報じられた。このあと、横倉の携帯電話には、医師会、永田町、霞ヶ関などの関係者から、翻意を求める電話やメールが相次いだ。

「進退についてはしばらく伏せてください。迷っています」
29日の夜遅く、横倉からのメールが、私のもとに届いた。政府与党内で中川に対する警戒感が強いことを知った横倉の胸中は、大きく揺れているようだった。

それから2日後、会長選挙の公示を翌日に控えた31日に、再びメールを受け取った。
「会長選挙に、再度チャレンジします」

横倉の翻意に、中川は記者会見で、悔しさを隠さなかった。
「横倉会長から、ことしに入って2回ほど『今回で私は降りる。君に任せる』と直接言っていただいだ。私は2年間待ったんです。副会長10年目、出番が必ず来ると努力してきたんだ」

誰もが本音では望まないまま、コロナ渦での選挙戦が始まった。

最大の票田は…

会長選挙は、各都道府県の医師会から会員数に応じて選ばれた「代議員」の投票によって行われる。今回の代議員数は、372。その票を争う選挙戦は、首長や議員も顔負けの激しいものとなった。

先行したのは、しっかり準備を進めてきた中川だった。

6月7日には、地元の北海道をはじめ、10人の都道府県の医師会長らが、東京都内で中川と並んで記者会見し、中川支持を表明した。

当時は、政府が、東京への移動は自粛するよう求め、都でも独自の「東京アラート」が出されていた期間中。中川は「批判は認識しているが、いろいろな状況を考えての最終判断だ」と述べた。

中川の強力な援軍となったのは、最大の票田である東京都医師会の会長、尾﨑治夫だった。横倉も一時「後進に道を譲る」相手と目していた尾﨑が、中川についた。

尾﨑は、「この間の経過を見て、正義は中川先生にある。コロナの終息には2、3年かかる。新しい医師会を一致団結してつくることが大事だ」と強調した。

横倉陣営からは、「中川は尾﨑に『自分は1期しかやらず、次の会長はあなたに譲る』と言って口説いたそうだ」といった声も聞かれた。

必死の巻き返し

出遅れる形となった横倉陣営。
「緊急時にトップを変えるべきではない」
「体制が変われば、政府与党との関係が難しくなる」
必死の訴えで、巻き返しを図った。

東京に次いで票が多い大阪と愛知の医師会長からは支持をとりつけたが、陣営内では「まだ、中川に届いていない」という票読み。当初は、「人の密集を避ける」という選挙戦を目指していたが、6月14日には、事務所開きを行って、全国から100人近くの幹部を集める対応を取らざるを得なかった。

永田町、動く

「横倉さん、危ないんじゃないか」
政府与党内にも、「横倉劣勢」の観測が出回っていた。

即座に動いたのが、自民党の二階幹事長。急きょ、横倉との対談をセットし、自民党の機関誌に掲載した。

タイトルは「政治と医療界の連携を再確認」。幹事長みずから、横倉支持を党内外に打ち出す形となった。

さらに、投票日2日前には、総理大臣官邸で、横倉と安倍の面会もセットされた。

面会後、横倉は、記者団に、こう説明した。
「現職の会長のうちに、今後の地域医療を守るための助成のお願いをしなければならないと思って伺った」
そして、こう続けた。
「総理からは、『しっかり“また”頑張ってください』と言われた」

一方、自民党内では、地元の医師会に「電話作戦」をおこなう議員たちもあらわれた。
「○○医師会は、横倉会長でまとめた」
「△△医師会は、隠れ中川支持だ」
「選挙」と聞くと血が騒ぐのがさがなのか、期間中、顔を合わせた議員からは、口々に独自の情勢分析がもたらされた。

閣僚の1人はこう漏らした。
「医師会の会長選挙は、公職選挙法も適用されないから何でもありなんだよ」

「NOと言える医師会に」

こうした動きに、中川陣営は、横倉体制への批判を強めていった。

中川は「官僚や政治家と適切な距離感を模索し、是々非々で付き合い、いざという時はNOと言える強さを持ちたい」と皮肉った。
「いつの間にか非常に聞き分けのいい医師会になっている。政権中枢と『電話で話せる』とか『すぐ会える』ではなく、正々堂々と話して納得させるのが日本医師会の本来の姿だ」と語気を強める陣営幹部もいた。

さらに、批判の矛先は、自民党の動きにも向かった。
「自民党の国会議員が、地元の県医師会の先生に個別に電話をしてきている。民間団体に政治が介入するのはあってはならない」

避けたいと願った「内輪もめ」感が、日に日に強まるなか、横倉の表情にも疲れがにじんでいた。
「時間は巻き戻せんねぇ」
自民党本部のエレベーターの中、横倉は天を仰いでつぶやいた。

17票差

6月27日、東京・文京区にある日本医師会館には、投票権を持つ代議員のうち、欠席の1人を除く371人が集まった。
そして、所属する医師会の意向や自分の考えを踏まえて1票を投じた。

そして、午前11時すぎ、開票結果が読み上げられた。
「中川俊男191票、横倉義武174票」

当選したのは中川。17票差という接戦を制した。あいさつに立った中川は、激しい選挙戦に、現場の医師たちから、怒りの声すら出ていたことを念頭に謝罪した。
「新型コロナウイルス感染症が終息していないなかで、このような激しい選挙になったのはすべて私の不徳のいたすところであります。改めてお詫びを申し上げます」

そのうえで、「これからはノーサイドで、一致団結していまの難局を乗り越えなければならない。国民の健康と命を守るためなら、どんな圧力にも決して負けず、堂々とものを言える新しい日本医師会に変えていきたい」と決意を述べた。

一方の横倉。選挙後の報告会で、集まった支援者たちに笑顔で語りかけた。
「いま医師会が割れたらいかん。今度は中川執行部にみんなで協力してほしい。一番大事なのは、地域で暮らす方の生命と健康を守る医療のために何ができるのかだ。力を合わせて手を組んでいただきたい」

待ち受ける2つの課題

「長期安定政権」を築いてきた横倉を破った中川には、当面、2つの大きな課題が待ち受けている。

1つは、医師会をまとめ、コロナ禍に立ち向かう医療現場を支えていくことは急務だ。

激しい選挙戦は、怪文書まで飛び交い、医師会内部に少なからぬ亀裂をもたらした。中川は、当選直後、横倉に「名誉会長」という新たなポストを用意して、就任を要請した。

横倉陣営からも協力をとりつけ、一枚岩にまとめていけるか。1か月近くに及んだ選挙戦が、将来「疲弊する医療現場の支援より優先された」と指摘されるような事態にならないよう、中川新体制が、さっそく問われることになる。

そして、もう1つの課題は、政府与党との関係だ。

「是々非々でつきあう」としてきた中川に対し、政府与党内からは「中川さんには政界とのパイプはほとんどない。まずはお手並み拝見だ」といった声が出ている。

政策実現に向けて、どのような関係を築いていくかに注目が集まるが、中川の選挙後の記者会見を聞く限り、簡単に考えを変えるつもりはなさそうだ。
「政権与党の自民党を支持することはもちろんだが、その上で、どのような主張をどういう場面でするのか考えたい。政府に対しても、言いづらいことをはっきり申し上げて、いろいろなことを強く求めたい」

中川は、地域の医療現場の声、そして患者の声も大事にして、医師会としての政策を練り上げたい考えだ。どのような「中川カラー」が描き出されるのか注目したい。

今後の政局も占う!?

「医師会長選挙は、その後の政局を占うとも言われている」
自民党の閣僚経験者の言葉だ。

横倉の前任である18代会長の原中勝征は、民主党政権誕生後に、政権支持を訴えて当選したが、政権末期に再選を目指した次の選挙では、「自民党とも関係を築くべきだ」と主張した横倉の前に敗れた。

横倉の敗戦を受けて、厚生労働省の幹部はこう言い切った。
「敗因は、横倉さんが『国や財務省』ではなく、『安倍総理』に近いと思われていたことと言っても過言ではない。安倍総理と近いことがいいと思う人たちばかりではなかったということだ」

安倍の自民党総裁としての任期は、残り1年3か月。衆議院選挙も、来年10月までに必ず行われる。
今回の医師会長選挙は、どんな未来を占っているのだろうか。
(文中敬称略)

政治部記者
小泉 知世
2011年入局。厚労省と日本医師会を担当。新型コロナウイルスの取材を続ける。