“バリキャリ女子”の実像

合格率およそ9%。昨年度、国家公務員・総合職の試験に合格した人の割合です。この難関試験を突破して中央省庁に採用されるのが、いわゆる「キャリア官僚」。国の中枢で政策立案などを担う重責であるだけに、激務に追われるハードな職場です。そこで働く女性官僚、バリバリのキャリアを身につけた女子、それが「バリキャリ女子」です。安倍政権が女性の輝く社会の実現を掲げ、女性の登用を進める中で、官僚幹部に占める女性の割合は徐々に増加。この春に採用された女性は全体の34.5%。3年連続で3割を超え、次々と女性の総合職が誕生しています。それに伴い仕事と出産・子育ての両立に悩みを抱える女性官僚も増えています。女性が働きやすく、働き続けられる環境の整備が社会全体の課題となる中で、国の中枢ではどうなっているのか? さまざまな立場の方を取材し、現状と課題を探りました。
(政治部記者 小泉知世)
明かりの消えない霞が関

「この電気はいつ消えるんだろう」
この夏、仙台放送局から報道局政治部に異動してきたばかりの私が、仕事帰りに官公庁街、霞が関を歩いた時の印象です。東京に来て1年目の私は「総理番」として、安倍総理大臣の一挙手一投足を追いかけています。当番の日、安倍総理が朝、自宅を出発してから、夜、自宅に戻るまでを追いかけていると当然、帰宅も遅くなります。「寝たら、すぐに出勤時間がやってくる」、そんなことも少なくありません。
30代に入り、子どもはいません。女性記者で子どもがいながら働く人はNHKでも着実に増えてはいますが、「今の仕事を続けながら子育てもするというのは現実的に難しいのではないか」。そう考えてしまう時があります。休日に友達と会えば出産や子育ての話題も多くなり、テレビから「卵子の老化」という言葉が流れると、とてもひと事とは思えません。
一方、各省庁を取材すると、バリキャリ女子に出会うことも少なくありません。政府の第一線で働くバリキャリ女子は、どのように働き、出産や子育てについてどう考えているのだろう。悩みや直面する「壁」はないのだろうか。それが今回の取材のきっかけでした。
激務!キャリア官僚の世界
国家公務員試験に合格し、中央省庁に事務職として在籍する職員はおよそ14万人。そのうち、かつてのI種試験、現在の総合職試験に合格した人、つまり「キャリア官僚」は1万2000人余りで全体のおよそ9%です。財務省や外務省など、各府省庁ごとに幹部候補生として採用され、海外の大学に留学するほか、東京の本省だけでなく、地方自治体、それに在外公館などを経て、重要ポストを駆け上がっていきます。
政府の第一線での政策の立案、時には外国政府との交渉などにも携わる、魅力的な職場である一方、仕事は「激務」のひと言に尽きます。政策立案作業に加え、年末の予算編成の時期には財務省との折衝が深夜に及ぶことも当たり前です。
中でもハードなのは国会の開会期間中です。国会審議では、質問する国会議員が政府に対し、事前に質問内容を通告します。この質問通告を受けて、各省庁の担当者が想定の答弁資料を作成するのです。

ある国会議員から質問通告が前日の午後6時ごろに来た場合、それから答弁資料の作成がスタートします。関係部局との協議を経て作成し、上司の決裁を受けて完成するのは夜中の午前3時をまわることもたびたびだそうです。
質問通告は時にはさらに遅くなることもあるほか、質問通告が来た場合に備えて待機をしなくてはならないこともあります。
しかし、そこで仕事が終わるわけではありません。翌朝の午前7時ごろからは、午前9時ごろから国会で答弁に立つ閣僚に対して、資料内容をレクチャーするという日々が続きます。
昇進の早いキャリア官僚は、30代で多くの部下や重要な案件を抱えたり、海外への赴任が重なったりすることもままあります。これが女性の場合では、ちょうど出産・子育ての時期にあたります。ハードなだけに、これまで女性の割合は多くありませんでしたが、最近では「女性初の局長」という記事も新聞で見られるようになりました。女性が少ない時代に入省した、いわゆる霞が関の「バリキャリ女子」のパイオニアは、どのようにして現在のキャリアを築いてきたのでしょうか。
”通常残業省”から女性初の特許庁長官に

最初に話を伺ったのは、今の経済産業省、旧通商産業省に入省してキャリアを積み上げてきた宗像直子さんです。女性として史上2人目の総理大臣秘書官を務めたあと、ことし7月に女性で初めて特許庁長官に就任しました。
就任直後、他の省庁に先駆けて打ち出したのが、結婚前などの旧姓使用を業務で全面的に認めることでした。特許を認める証書に特許庁長官として署名する際、「旧姓を使用できないか」と思ったことがきっかけでした。調べると、旧姓使用を認めるかどうかは各省庁の判断で決められることがわかり、特許庁全体で対外的な文書での旧姓使用を認めることにしたのです。
東京都出身で、東京大学を卒業したあと、昭和59年に通商産業省に入省した宗像さん。同期でたった1人の女性でした。当時の通産省は「通常残業省」とも、やゆされる職場で、宗像さんは「深夜まで業務に追われた」と振り返ります。
子どもが生まれたのは課長補佐の時。2か月の産休を取得したあと、短期の1か月の育児休業を希望しましたが、当時の人事担当者から「すぐ復帰してくれ」と求められ、産休を終え職場に戻りました。
夫も忙しい中でともに子育てを担ってくれましたが、2人の手が回らない時に支えてくれたのは、すぐ近くに住む母でした。社会人になる前から「結婚して子どもを産んでも仕事を続けなさい」と言ってくれていた母は、保育園のお迎えや食事の用意など、全面的に支えになってくれたと言います。
宗像さんは「母がたまたま『スーパーママ』だったから子育てと両立することができた部分は大きい。主人も一緒に子育てに取り組む『元祖イクメン』だった」と話していました。そして特許庁長官になった今も、精力的に働き、世界のさまざまな国に出張するなど多忙な日々を送っています。
悩む現役女性官僚たち
宗像さんの入省から30年あまり。国家公務員も女性の採用が進み、今年度の女性の採用は全体の34.5%、女性の採用数の統計を取り始めた平成元年と比べておよそ5倍に増えています。これに伴い仕事と出産・子育ての両立に悩む人も必然的に増えています。

このうち1人の女性キャリア官僚に話を聞きました。現在、30代で主査を務める女性です。3年前に長男を出産し、合わせて1年余りの産休と育休を経て、去年5月に職場に復帰しました。主査は一般企業の係長や主任に当たる役職で、現在の部署では、来年の通常国会に向けて法案の作成にあたっています。この女性は、子どもを迎えに行くため、途中で帰ることに心苦しさを感じると話していました。
また職場への復帰にあたっても不安を感じたということです。復帰直後は保育所が見つからず、別の庁舎に新設された保育所に息子を預けたこともありました。しかし、ラッシュ時に乳幼児を連れて行くわけにもいかず、遠回りをして通っていたそうです。同じ公務員の夫も育児に協力してくれていますが、夫婦ともに地方出身のため遠くに暮らす親に頼ることもできず、子どもが熱を出すと、夫婦のどちらかが早退せざるをえない状況です。
ある日、「子どもが38度の熱を出した」と保育園から連絡を受け、上司の了解を得て仕事を切り上げ、電車で約1時間離れた自宅に戻りましたが、すでに病院は閉まっていて、熱が下がらず翌日も午前中に仕事を休むしかなかったといいます。上司に理解があることや同僚が仕事を手伝ってくれることが、仕事を続けるうえで支えになっているということです。
「週に1度は夫にお迎えを代わってもらい残業をし、その日は深夜近くまで仕事をしていることもあります。上司や仲間が支えてくれているから、好きな仕事を続けることができていますが、仕事と子育ての両立は本当にハードです」と話していました。
人事はどう受け止めているのか
周りの支えで子育て中の女性が仕事が続けられるのは望ましいことですが、支える側の負担が過重になっていないか?。霞が関の人事担当者も悩みを抱えています。
「出産を経て職場に復帰したあと、残業の少ない職場に行く人が増える一方、独身の人などに残業の多いポストがまわりやすく負担が偏りがちになる」

そう答えるのは内閣府で人事を担当する課長補佐、泉吉顕さんです。
女性職員が産休や育休に入る場合に最初に悩むのが「人繰り」だといいます。毎年度、全体の定員が決まっている国家公務員。穴を埋めるためには、別の部署から異動してもらうことが多くなります。
外部から採用する制度もありますが、キャリア官僚の役割を、短期雇用で担える人は簡単には見つかりません。人が減らされる部署に反発が起きないよう配慮も必要になります。
泉さんは、ある組織で、女性職員に産休や育休を取らせたところ、他の職員の負担が増えすぎてしまい、「女性は採用したくない」という方向に意識が進んでしまったという話も聞いたことがあるということです。
また「復帰ポスト不足」も大きな課題だと指摘します。5年前、内閣府では、勤務に時間制限を設けるキャリア官僚はほとんどいませんでしたが、現在は徐々に増えています。一時的なことだとして組織的に応援していますが、残業が少ないポストは限られることから、短時間勤務を希望する職員を繁忙な部署に配置せざるをえない場合も、今後、出てくるのではないかと懸念しています。
泉さんは「本人たちにとっては短時間勤務が育児との両立に欠かせないこともわかるので対応は悩ましい。ただいつかは復帰前の仕事量に戻ってもらわないと仕事がまわらなくなる」と話しています。
現場からの提言
今の状況を変えていきたいと、動きだすバリキャリ女子の取り組みも始まっています。環境省の政策企画調査官、内藤冬美さんです。32歳の時に長男を出産しました。出産直後に、スイスにあるジュネーブ国際機関日本政府代表部に赴任するチャンスがめぐってきました。
夫婦で悩んだ末に、経済産業省で働く夫が10か月の育休を取得し、ジュネーブに同行し子育てを手伝ってくれました。その後、夫も隣国のベルギーのブリュッセルに赴任できたことから、国境を越えながら支え合い、3年間の在外勤務を乗り切ることができたそうです。
しかし、およそ7年前に発生した東日本大震災で状況は一変しました。当時、資源エネルギー庁に勤めていた夫は、原発事故への対応でほとんど自宅に帰れない状態に。「1人で幼い子どもを抱えるワンオペ育児になり、何度も『限界だ』と感じた」と話していました。
そんな時に、人事院が主催した女性管理職を育成する研修会に参加した内藤さんは、他の参加者も同じような悩みを抱えていることに気付きました。そして有志で、平成26年に120人を超える女性官僚にアンケートを行い、内閣人事局や国会議員に対し、働き方の改善を求める提言を行ったのです。
“持続可能な霞が関を”

内藤さんたちが掲げたスローガンは「持続可能な霞が関」。女性職員が増える中、現在の働き方を続けていては、持続可能性が失われると指摘したのです。
強く要望したのは、国会議員からの質問通告を早めてもらうなど、立法府も巻き込んで深夜残業を減らす努力をすること、そして自宅での業務を可能にすることです。残業ができずに周囲に負担がかかるのを減らしたいという思いもありました。
内藤さんたちは、仕事の方法を変えることで、残業の少ない部署でなくても戦力になれるのではないかと考えています。また出産後もキャリアを続けたいと思えるように、負荷が高い仕事を20代で経験させることなども提案しました。
内藤さんは「子どもを抱えている限りは、誰かに負担をかけざるを得ないのは避けられないと思う。業務も簡単に減らせるものがいくつもあるわけではない。それでも、できるだけ減らす努力をすること。女性が増えていることを踏まえて働き方を全体で考えていくことが少しずつできれば、女性だけではなく府省庁全体にとっても良い働き方ができるのではないか」と述べていました。
女性が働きやすい社会とは
国内トップクラスのバリキャリ女子を取材すれば、女性の働き方のヒントが見つかるのではないかと思い取材を始めました。しかし、実際に話を聞くと、若い頃からみずからに厳しく努力を積み重ね、キャリアを積み上げてきた彼女たちにとっても、出産・子育てと仕事の両立は最大の難関だったのではないかと感じました。
その難関を彼女たちは、みずからの努力に加え、家族や周辺の支援で何とか切り抜けてきたのだなと感嘆しました。つまり周辺の支援や理解、それに援助がないと、出産・子育てと仕事を両立するのは容易ではないのです。
一方、組織の中で別の人に大きな負担が及んだり、不公平感が広がったりすれば、内藤さんたちが目指した組織の持続可能性も失われてしまいかねないことも見えてきました。多様な働き方の背景には、多様な生き方があります。社会には、彼女たちのように仕事も子育ても選択する人もいれば、独身や子どもをつくらないことを選ぶ人、仕事はそこそこに子育てに力を入れたい人などもいます。その誰もが納得できる、環境を整える必要もあります。

厚生労働省などによりますと、保育所などの空きを待っている「待機児童」の数は、ことし4月現在で2万6000人余りと首都圏を中心に増加を続けています。一方、子どもを持たない夫婦も増え、去年の出生数は、初めて100万人を下回り、統計を取り始めて以降、最も少なくなっています。
こうした状況を踏まえて、「子どもは家庭で育てるのが基本」という考え方から、「社会全体で子育てを支える」という方向に社会全体の雰囲気も変わってきているように感じます。安倍政権も幼児教育や高等教育の無償化に予算を振り向ける方針です。ただ、これには多額な予算が必要で、国の財政再建への道のりは遠のき、みずからの子どもや孫に、借金をつけ回しているのもまた事実です。
「誰かに負担をかけることなく、仕事と子育てを両立できるような社会になってほしい」
今回、取材したバリキャリ女子の多くが語っていました。今回の取材を通じて、女性が働きやすい社会の実現は、誰にとっても優しい社会の実現と同義ではないかと感じました。つまり誰にとっても働きやすい社会の実現を目指すことが、女性の働きやすい社会の実現への近道なのではないでしょうか?

- 政治部記者
- 小泉 知世
- 平成23年入局 。青森局、仙台局を経て政治部へ。現在、外務省担当。