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「特定失踪者」 家族の思い

  • 2023年03月07日

北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者「特定失踪者」の1人、大澤孝司さん。
49年前、県の職員として佐渡市で働いていた時に行方がわからなくなりました。
拉致被害者への認定を求めて活動を続ける兄・昭一さんはことしで87歳。ここ数年体の衰えを感じることも多くなったといい、進展がない状況に強い危機感を募らせています。
                            NHK新潟放送局 油布彩那

大澤孝司さん

県の職員として佐渡市で働いていた大澤孝司さん。

1974年2月24日、飲食店で夕食を取ったあと、寮から200メートルほど離れた知人の店に寄ったのを最後に行方が分からなくなりました。当時27歳でした。

特定失踪者問題調査会などによりますと、
「店に見知らぬ男たちが孝司さんを追いかけてきた」という証言や、
「近くで車が急発進する音を聞いた」という証言があるほか、
北朝鮮で農地整備の仕事をしてくれないかと知人に誘われていたことなどもわかっています。
しかし、警察などによりますと、北朝鮮の拉致を裏付ける決定的な証拠がないということです。

もう一度カメラで

 

もういっぺん帰ってきてこのカメラで、その辺の写真を撮りに行ってもらえたらと

こう話すのは、大澤孝司さんの兄・大澤昭一さんです。

カメラが好きだった弟の孝司さんは、高校生のときに初めてカメラを買ってもらい、新聞部に所属していたといいます。

大澤さんは、孝司さんが行方不明になった当時、寮にそのまま残されていたカメラを今でも保管しています。

孝司さんが撮った田中角栄氏

カメラに目線を向けている男性。
新潟県出身で、後に総理大臣となる田中角栄氏です。

親戚が田中氏の自宅を訪れる際、大学生だった孝司さんも一緒について行き、写真を撮影したといいます。

当時カメラが普及してなくて、弟が持ってたので、一緒にその場に行きました。
写真何枚も撮ってそしたら帰り際に田中角栄に、肩ぽんとはたかれて『おまえその写真が出来たら、俺んとこも一枚送ってくれ』と言われたそうです。

(行方不明になった)当時、拉致だとわかって、田中角栄氏にお願いしたらどうなったかなという気持ちはありますね。

進展無いまま 兄は87歳に

特定失踪者の家族会の代表も務めた大澤さん。

弟の北朝鮮での生存を信じ、署名活動はもちろん、担当大臣や官房長官に面会するなどして、拉致被害者への認定を政府に求めてきました。

行方不明というのは現実なんです。こういうのも拉致だと認めてもらいたい。

しかし、進展はなく、孝司さんの行方はわからないまま49年。

大澤さんは2月に87歳になり、この2,3年で体の衰えを感じることが多くなったといいます。

たとえば、脳梗塞とか心臓発作がおきても、普通だと思う。
ここまで頑張ってきたんだけど、ぷつんと切れる状況がじき来るんでないかと思ってます。
最後の力を振り絞って、あっち行ったりこっち行ったりしてます。

「ことしが最後になるかも」

ことし2月20日。

「もう最後になるかもしれない」そんな思いを胸に、これまで100回以上訪れた佐渡市へと向かいました。

自分がいつどうなるかわからないなかで、孝司さんのことを記録に残しておきたいと考えた大澤さん。

同じく新聞部だった孝司さんの同級生と一緒に、孝司さんの当日の道のりをたどります。

ここから250メートルから300メートルの寮に向かって出ようとする時、お客さんが入って交錯状態になりながら、出てそれが最後なんです。

同級生
国府川のあたりの工事もやってたみたいなので、当時から大きく変わっているのではないかと思う。

孝司さんはことし77歳に

10歳下の孝司さんもことし77歳になります。

大澤さんにとって、弟の健康が一番の気がかりです。

お前も体が弱ってきただろうけど、こっちは小・中学校の同級生も元気だから。
その人たちもお前ともう一回会いたがってるから、もう少し頑張ってくれと。

時間だけが経過し、家族の高齢化は進むばかり。

大澤さんは、進展がないことに強い危機感を募らせています。

高齢化して関係者が亡くなってる人も被害者家族と同じで、相当数いると思います。
ここまで我慢したんですけども、政府として困っている国民は救うべきだと思うので、特定失踪者を置いてけぼりにし続けないでほしい。
もう一歩日本の国から踏み込んでもらって、あなたたちはそういう可能性があるなということで準認定を作ってもらって、そういうのは日本の国の政府の役目じゃないかと思うので。

  • 油布彩那

    新潟放送局 記者

    油布彩那

    令和元年入局
    警察取材や拉致問題を担当

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