拉致を知らない世代へ 「曽我さん親子」
- 2022年09月21日
2002年に行われた日朝首脳会談で、北朝鮮が初めて拉致を認めてからことしで20年。
政府が認定する北朝鮮による拉致被害者17人のうち、帰国を果たしたのは5人です。
拉致被害者と再会を果たせないまま亡くなる家族が相次ぎ、解決に向けて一刻の猶予も許されない状況となっています。
その一方で、時間の経過とともに拉致問題を知らない若い人たちが増えているのも事実です。
『拉致を知らない世代へ』と題して、拉致問題についてシリーズでお伝えします。
新潟放送局 記者 油布彩那
母との買い物帰りに突然...
1978年8月12日の夜。
お盆の準備で足りない物があると気づき、家から400メートルほど離れた雑貨屋まで母と買い物に出かけました。
買い物を終え、たわいもない会話をしながら歩いていたところ、後ろから足音が聞こえてきました。
「なんだろうね...ちょっと気味が悪いね」
家まであと100メートルほどのところまで来たとき、3人の男が足早に駆け寄ってきたのです。
襲いかかってきて口を塞がれて手足をしばられ、担がれて川まで運ばれたあと小さな船に乗せられました。
曽我ひとみさん 母・ミヨシさん
佐渡市で拉致された曽我ひとみさんとミヨシさんです。
ひとみさんは当時19歳、ミヨシさんは当時46歳でした。
母はどこ? 北朝鮮「日本で元気に暮らしている」
北朝鮮に着いてから、ひとみさんは聞きました。「母はどこにいますか?」
男性は「日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言いました。
その後は、朝鮮語を学ばされ、小説などの翻訳の仕事をしていました。
そして、元アメリカ軍の兵士と結婚し、2人の娘が生まれました。
ひとみさんは拉致されてから24年後、2002年に帰国を果たしました。
母の「ただいま」を聞きたい
帰国を果たしたひとみさんですが、母・ミヨシさんの行方はわからないままです。
「わずかな時間であっても母ちゃんを取り戻し、最後の瞬間までともに過ごしたい」
「母ちゃんの『ただいま』を聞いて、元気よく『おかえり』と言いたい」
ひとみさんは、ミヨシさんをはじめ帰国していない拉致被害者の救出を目指して
署名活動や小学校などでの講演を行い、拉致問題の解決を訴えています。