新潟 知っておきたい原子力 福島第一原発事故を振り返る
- 2023年03月06日

東京電力・福島第一原子力発電所の事故の発生からことしで12年。いまもなお原発事故の爪痕が残る一方、エネルギーをめぐる情勢は大きく変化してきました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻などの影響で世界的にエネルギー価格が高騰。こうした中、政府はことし2月、エネルギーの安定供給と脱炭素社会の実現を両立させるため、安全を最優先に原発を最大限活用することなどを盛り込んだ今後の基本方針を閣議決定しました。
世界最大級の原子力発電所がある新潟県で私たちは原子力やエネルギーにどう向き合っていけばいいのか。NHK新潟放送局では「知っておきたい原子力」と題して、原子力に関する話題をシリーズでお伝えしていきます。初回は、福島第一原発の事故を振り返ります。
1971年3月運転開始 福島第一原発1号機

福島県大熊町と双葉町にまたがる福島第一原発には1号機から6号機まであり、原発のタイプは柏崎刈羽原発と同じ沸騰水型。最初に事故が悪化した1号機は東京電力にとって初めての原発で、1971年3月に運転を開始し、事故当時、40年目となる国内でも古い原発の1つでした。
2011年3月11日 巨大地震発生

2011年3月11日午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9点0の巨大地震が発生。
このとき、運転していたのは1号機から3号機。大きな揺れを感知し、核分裂反応を止める制御棒が原子炉に自動的に挿入され、緊急停止しました。地震の影響で外から電気を受けるために必要な開閉所と呼ばれる施設が損傷し、外部から電気をもらうことはできなくなりました。
巨大津波により原子炉冷却機能が喪失
核燃料は運転を止めたあとも熱を発し続けるため、非常用の発電機が立ち上がり、冷却が始まりました。しかし、地震発生のおよそ50分後に押し寄せた巨大津波が事態を大きく変えていきます。

原子炉建屋など主要な施設のある高さ10メートルの敷地を大きく超える津波が地下にあった非常用発電機や配電盤などを水没させ、原子炉の冷却に必要な電源が失われたのです。

外部からの電源のほか非常用電源も失われたため、1号機と2号機共通の中央制御室は真っ暗となりました。原子炉の状態を確認するためには、原子炉の水位や温度、圧力を把握する必要がありますが、計器類の表示が見られなくなり、原子炉の状態が分からなくなったのです。
3つの原子炉がメルトダウン 世界最悪レベルの事故に

1号機では津波の襲来からわずか数時間で核燃料が溶け始めたとみられています。
さらに、発生した水素が建物の上部にたまり、翌12日の午後3時36分に1号機が水素爆発。

爆発の影響であと少しのところまで来ていた電源復旧作業が行き詰まり、3号機、2号機と相次いでメルトダウン。事故は悪化の一途をたどりました。

大量の放射性物質が周囲の環境に放出される事態となり、事故の深刻さを示す国際的な基準による評価はもっとも深刻な「レベル7」。1986年に起きた旧ソビエトのチェルノブイリでの事故と並ぶ史上最悪レベルの事故となりました。
事故の影響で福島県の住民だけで最大約16万5000人が全国各地に避難を余儀なくされ、今も避難生活を送る人たちがいます。