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水俣病集団訴訟・判決にかける

原告団長の思いは
  • 2024年03月06日

国が実施した救済策の対象とならなかった人たちが10年前、国や熊本県、チッソに賠償を求めて熊本地方裁判所に起こした裁判に、2024年3月、判決が言い渡されます。原告団長として被害を訴え続けてきた男性の思いを取材しました。
(熊本放送局 記者 西村雄介)

集団訴訟の原告団長

水俣市の森正直さん。

国の救済策の対象外となり、10年前に裁判を起こした1人です。

水俣病が公式確認される6年前の1950年に生まれて以来、水俣市で暮らす森さん。

患者が発生した地域の小学校に通い、幼いころから水俣の魚や貝を食べ続けてきました。

(森さん)
「食べるときには、まちばりをさして、こう、引き出しながら食べますよね。絶品でおいしいです」

予想だにせぬ被害に

中学生のころ、口や手にしびれを感じ始めます。

 

しかし、水俣病によるものとは思いもしなかったといいます。

(森さん)
「子どものときは学校でも水俣病に触れる機会も聞く機会もなかった。重篤な、動くことができずに学校も来れない人とか、そういう人が水俣病と思っていた.私が水俣病という感覚はなかった」

10年あまり前、ともに育ったきょうだいなどが救済策に申請したことを知り、みずからも手を挙げましたが、最も長く水俣にいた森さんだけが対象外となりました。

しかし理由は明らかにされず、司法に訴える道を選びました。

(森さん)
「びっくりしましたね。私も60年くらい水俣にずっと生きてきて魚をいっぱい食べて症状もあるのに、なぜ認められないのか」

提訴から10年、気がかりは

原告団長となって先頭にたち、被害を訴えてきた森さん。

気がかりなのは、高齢で亡くなる原告が増えていることです。

平均年齢は75歳を超え、この10年で230人以上が亡くなりました。

2022年、93歳で亡くなった原告の女性に手を合わせました。

(森さん)
「一緒に結審も判決も迎えたかったけれども。いい報告ができるように頑張って闘ってまた来ます」

 

症状の幅を認めて

裁判が始まる前の集会で被害を訴え、法廷でも証言した森さん。

 

救済を望む原告たちの思いは届くのか。10年に及ぶ裁判は大詰めを迎えています。

 

(森さん)
「水俣病も全部重篤な患者ばっかりじゃないはず。症状が軽い人も被害者は被害者ですからそれは認めてもらいたいですね。亡くなる人がまた増えてくるのではないかと思っているから、生きているうちに1日でも早く判決を聞かしてやりたいという思いですね」

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地。公式確認60年となる2016年から水俣病を継続取材。熊本地震・令和2年7月豪雨を発生当初から取材。

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