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水俣土石流20年、遺族の祈り

  • 2023年07月25日

19人が犠牲となった熊本県水俣市の土石流災害から7月で20年。

被災した地区の慰霊碑にささげられたのは、家族を失った無念さを背負い、生き抜いてきた遺族たちの祈りでした。

(熊本放送局 記者 西村雄介)

未明の山あいで

7月20日、午前4時。

水俣市の山あい、宝川内地区にある慰霊碑に次々と訪れた地域の人たち。

その1人、吉海寿次さんです。

20年前のこの時間。家族や自宅を土石流でなくしました。

(吉海寿次さん)
「毎年、この日、この時間は忘れられない」

「家がない」

2003年7月20日、午前4時20分ごろ。

未明からの大雨で土石流が発生し、宝川内地区、深川地区であわせて19人が犠牲となりました。

当時、地区の消防団の1人として、住民の避難誘導にあたっていた吉海さん。

(吉海寿次さん)
「周りを見渡したところ、地区が、今まで緑だった のが、茶色だったんです。車では行けなかったので、1キロくらい歩いて見えるところまで来た。そして、土石流で流された状態を目にした。見た途端、家がない。それが一番、家族はどうなったのだろう、避難したのかな、どうなのかな、それだけしか、考えなかったですね。それ以上は、考える気力もなかったです」

土石流は吉海さんの自宅を巻き込み、家に残っていた妻の直子さん、母のエイ子さんが犠牲となりました。

直子さんは36歳。エイ子さんは64歳。

当時、子ども2人は小学生。

早すぎる死でした。

(吉海寿次さん)
「女手1つで、育ててくれて、親孝行をしないといけないというときに亡くしてしまって、それは後悔してます。これからいろいろなことをやっていこうかなと思ったところで、災害でなくしてしまったのは残念でした」

「前の災害、忘れられていくから」

現在、地区の被災者の会で会長を務めている吉海さん。

年月がたつなかで、経験を忘れず、伝え続ける大切さを感じています。

(吉海寿次さん)
「20年もたつと面影がないような状態。前あった災害が忘れられていくじゃないですか。あったことを教訓として、今後、対策をしていかないと、いけないのかなと」

毎年の土石流、つらい思いないよう

発生から20年となる23年7月20日。

多くの人が、犠牲となった人たちに祈りをささげました。

寿次さんのおば、トキ子さんです。

トキ子さん自身も、消防団の1人として住民の避難誘導にあたっていた長男を土石流で亡くしました。

(吉海トキ子さん)
「私たちはちょっとしたケガですんだ。でも、20年は早かった。忘れることはできません」

(吉海寿次さん)
「ことしは久留米や秋田で災害があって毎年、つらい思いをされている方がいると思う。つらい思いをしないように心がけてみんなで(防災を)やってもらえれば」

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地。公式確認60年となる2016年から水俣病を継続取材。熊本地震・令和2年7月豪雨を発生当初から取材。

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