『らんまん』モデル牧野富太郎博士と妻・壽衛 結婚生活とは?
- 2023年07月26日
朝ドラ『らんまん』の第83回。寿恵子(浜辺美波)が家計の心配をする場面がありました。
主人公のモデルとなった牧野富太郎博士は植物の研究に多くのお金をつぎ込みました。
その生活を支えていたのは妻・壽衛さんでした。
牧野夫妻の結婚生活に迫ります。
(高知放送局 ディレクター 篠塚茉莉花)
心もとない「生活のお金」
ドラマでは私生活も研究も一見、順風満帆な万太郎。寿恵子と結婚し、初めての子どもを授かる一方、石版印刷機を購入して念願の「日本植物志図譜」を出版しました。
その裏で深刻になっていたのは、お金の問題です。
結婚の際に生家に渡された「千円」という大金を使い果たし、それでも足りない分を、寿恵子がドレスをこっそり質に入れたり内職をしたりして、工面していたのです。
植物の研究にかかる費用も含めた家計を懸命に支える寿恵子。第83回でついに・・・
「生活のお金、内職じゃ心もとなくて」
「万ちゃんが何か植物学のお仕事につけたらいいのにね」
不安をこぼしました。
壽衛さんはどんな人?
主人公のモデルとなった牧野博士も植物の研究に莫大な費用をつぎ込んでいました。
その生活を支えたのが、妻の壽衛さんです。
壽衛さんは、1873年(明治6年)、元彦根藩士の小澤一政の次女として東京飯田町に生まれました。
子どもの頃は家が裕福で、踊りや唄を習うなど豊かな暮らしをしていたといいます。
しかし、陸軍に勤めていた父が亡くなった後は財産を失い、東京で母とともに小さな菓子屋を営んで生計を立てていました。
牧野博士が壽衛さんと出会ったのはその菓子屋でした。大学に通うときに店の前を通っていて、壽衛さんを見初めたのです。
博士は石版印刷の修行中だったため、印刷屋の主人に仲人を頼み、1888年(明治21年)、ふたりは所帯をもちました。
牧野博士は26歳、壽衛さんは15歳でした。
研究まみれで子だくさん
生活苦の日々
ふたりでの生活を始めた牧野博士と壽衛さん。その生活は楽なものではありませんでした。
博士の使う研究費は膨大で、援助してくれていた佐川の生家はやがて破綻。
それにもかかわらず、大量の標本や本を保管するため、家賃が給料より高い家を借りていたといいます。
さらに・・・。
「私の宅ではそれから殆ど毎年のように次ぎ次ぎと子どもが生れる」
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
牧野夫妻の間には子どもが13人生まれました。
博士は友人から「百円の金を十円に使った」と言われるほど金銭に無頓着だったようです。
苦しい生活の中で家計のやりくりなどの一切を担ったのが壽衛さんでした。
「この苦境にあって、十三人もの子供にひもじい思いをさせないで、とにかく学者の子として育て上げることは全く並大抵の苦労ではなかったろうと、今でも思い出す度に可哀そうな気がする」
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
借金取りの対応も・・・
生活費や研究費をまかなうため、博士は借金を重ねました。
「月給は十五円でとてもやりきれぬし、そうむやみに他人が金を貸してくれる訳もなく、ついやむなく高利貸から借金をした」
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
高知県立牧野植物園には、借金の一端がわかる記録が残されています。
大学を卒業した国家公務員の初任給が「五十円」ほどだった時代、負債はその約20倍にあたる「九百八十六円」だと記されています。
借金取りの対応をするのは壽衛さんの役目でした。
「いつだったか寿衛子が何人目かのお産をしてまだ三日目なのにもう起きて遠い路を歩き債権者に断わりに行ってくれたことなどは、その後何度思い出しても私はその度に感謝の念で胸がいっぱいになり、涙さえ出て来て困ることがあります。
実際そんな時でさえ私は奥の部屋でただ好きな植物の標本いじりをやっていることの出来たのは、全く妻の賜であったのです」
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
出産3日後に歩いて債権者との交渉に出向く・・・。
身体への負担は小さくなかったはずです。
その間、博士は研究に没頭していました。
自叙伝には、壽衛さんが「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」と言いながら、自分は古いつぎだらけの着物を着て、芝居などの娯楽も求めずに家計をやりくりし、生活を支えていたことが記されています。
壽衛さんの死
子育て、家計のやりくり、借金取りへの対応など、さまざまな側面から牧野博士を支えていた壽衛さんは、1928年(昭和3年)に55歳で亡くなりました。
博士は壽衛さんの闘病中に発見した新種のササを「スエコザサ」と命名し、献身的に研究生活を支えてくれた妻に感謝の気持ちを表しています。
そして、こんな句をささげました。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
生涯を通して植物の研究を続けた牧野博士。
それができたのは、生活費や研究費が重なる中で家計をやりくりして博士が研究できる環境を整え、献身的に支えてくれた人がいたからこそだったんですね。