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『らんまん』主人公のモデル・牧野富太郎博士の“前の妻”とは

牧野博士が研究生活を続けられた背景には”1人目の妻”がいました
  • 2023年06月22日

『らんまん』のモデルとなった牧野富太郎博士の妻は壽衛さんですが、ドラマと違って牧野博士はこの前に別の女性と結婚していました
博士が研究を続けられた背景にはその1人目の妻の存在がありました。どんな相手だったのでしょうか。
(NHK高知放送局ディレクター 篠塚茉莉花)

牧野博士の前の妻とは?

牧野博士が結婚したのは、壽衛さんという女性です。

牧野博士と壽衛さん
画像提供 高知県立牧野植物園

博士はこの前に、別の女性と結婚していたといわれています。
その女性について、公的な資料では確認することはできません。ただ、生前の牧野博士のこのような発言が残っています。

「わたしの元の家内というものは、いとこでいいなずけみたいなものであって、どうも面白くなかった。(中略)いとこ同士のは、興味がなんにもなかった」
阿川佐和子編『問答有用 徳川夢声対談集』(ちくま文庫2010年) より引用

その相手として考えられているのが、いとこの猶さんです。

猶さん
画像提供 高知県立牧野植物園

牧野博士の伝記によると、猶さんは当時の教員養成学校である女子師範学校を卒業し、牧野博士の生家である岸屋に来て、家事や経営を手伝っていました。
ふたりの祖母・浪子さんは、牧野博士と猶さんを結婚させて、岸屋を継がせたいと考えていたようです。

記録がないので正確なことはわかりませんが、佐川と東京を往復しながら研究生活を送っていた頃に結婚したと言われているので、牧野博士が20歳すぎのことでしょうか。

画像提供 高知県立牧野植物園

牧野博士は東京で研究をしながら、佐川からたびたび研究費を送金してもらい、生活を支えてもらっていました。

しかし、最初の牧野博士の発言にもあったように、この結婚は長くは続きませんでした。

「猶さんは、師範学校出身の立派な婦人であったが、性格が合わないというか、そういうことで間もなく牧野青年と離婚することになった(牧野儀之助氏談)」
上村登著『花と恋して 牧野富太郎伝』(高知新聞総合2022年)より引用

猶さんのその後

東京で牧野博士は菓子屋の娘だった壽衛さんを見初め、1888年にふたりは所帯を持ちました。牧野博士26歳、壽衛さん15歳のことでした。

壽衛さんと牧野博士
画像提供 高知県立牧野植物園

この頃、岸屋の経営は傾いており、猶さんからの送金にも限界が来ていました。
高知県立牧野植物園には、「金策に困ったので一度佐川に帰ってきてほしい」と猶さんが牧野博士に懇願する手紙が残されています。

猶さんから牧野博士への手紙
高知県立牧野植物園所蔵

1891年、牧野博士は財産整理のために佐川に帰ります。
その際に、猶さんと、番頭として岸屋を支えていた和之助さんに、岸屋を譲りました。

猶さんと和之助さんは結婚。前述の伝記によると、ふたりはしばらく岸屋を経営していましたが、その後店をたたんで醤油屋を営んだそうです。さらに、静岡県の焼津に移ってほかの事業をするようになりました。猶さんは晩年は東京に住み、1950年に亡くなったと記されています。

交流が続いたふたり

牧野博士と猶さんはそれぞれ別の相手と結婚しましたが、まったく交流が絶えたわけではなかったようです。

一緒に写っているこの写真は、1929年に東京で撮影されたもの。
ふたりの親戚としての付き合いは続き、その子どもどうしも親しくしていたそうです。

中央が猶さん 牧野博士親子とともに
画像提供 高知県立牧野植物園

お金がかかる研究を若いころから続けて、植物学者として成功した博士。それがどのように支えられてきたかを知れば、博士の人生をさらに深く理解できるかもしれませんね。

  • 篠塚茉莉花

    NHK高知放送局ディレクター

    篠塚茉莉花

    2020年入局
    妻から見た牧野富太郎を考えると、植物学者の牧野博士とはまた違った側面が見えてくる気がしました

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