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『らんまん』モデル牧野富太郎博士を育てた祖母はどんな人?

  • 2023年06月30日

『らんまん』で、厳しくも優しい祖母として常に大きな存在感を放っていたタキ(松坂慶子)。万太郎(神木隆之介)を幼少の頃から支え続けてきました。
主人公のモデル・牧野富太郎博士の祖母も、博士の人生に影響を与えていたようです。
(NHK高知放送局ディレクター 篠塚茉莉花)

祖母タキの死は「ひとつの時代の終わり」

『らんまん』第13週は、万太郎の生家の酒蔵「峰屋」の人々にとって大きな節目になりましたね。
万太郎と寿恵子、そして綾と竹雄が結ばれた一方・・・

万太郎の祖母タキがこの世を去りました。
「峰屋」の大黒柱であり続けた存在がいなくなり、ひとつの時代の終わりを告げることになりました。

タキは、万太郎を「峰屋」の当主に育てようと厳しく接しながらも愛情を注ぎ、植物を愛する孫に理解を示す、威厳と優しさを備えた人物です。
生け花や囲碁をたしなむ一面も描かれました。

牧野博士の実際の祖母も、ドラマのタキと通じる部分があったようです。
いったいどのような人物だったのでしょうか。

牧野博士の祖母とは?

牧野博士は幼い頃に父や母など身近な家族を次々と亡くしました。
こうした中で、博士を育てたのが祖母の浪子さんです。

家系図(一部抜粋)

博士との血のつながりはありませんでしたが、浪子さんは博士を大切に育てました。

「育ててくれたのは祖母で、牧野家の一人息子として、とても大切に育てたものらしい。小さい時は体は弱く、時々病気をしたので注意をして養育された。祖母は私の胸に骨が出ているといって随分心配したらしい。酒屋を継ぐ一人子として大切な私だったのである」
(牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』講談社2004年)

病弱だった博士を心配した浪子さんは、クサギの虫(クサギという木を食べるカミキリムシなどの幼虫)やアカガエルを薬として食べさせたり、おきゅうを据えたりしていたようです。

ドラマでも、タキが幼い万太郎が丈夫になるようにと、おきゅうを据える場面がありましたね。

文化人だった浪子さん

浪子さんには文化人としての一面もありました。
祖父の小左衛門が和歌を好んで作っていたため、浪子さんも和歌をたしなみ、領主の深尾家の歌会にも出入りしていたといわれています。

牧野博士の故郷・高知県佐川町にある青山文庫に、浪子さんの和歌が残されています。

もろ人の あかぬ色香を 幾千代の
    春もかをらん 花のうつし絵 浪子

画像提供 佐川町立青山文庫

博士を大切に育てた浪子さん

浪子さんは1887年(明治20年)に78歳で亡くなりました。
佐川町に浪子さんのお墓があります。

墓誌には、浪子さんが博士を大切に養育したことや、すぐれた和歌を詠んだことなどが刻まれています。

浪子さんの墓誌の一部

青山文庫学芸員の藤田有紀さんは、この墓誌を牧野博士が書かせたのではないかと考えています。

藤田有紀さん(青山文庫学芸員)
「浪子さんが家業を見てくれていたから、博士は家業を離れて自由に植物の研究をすることができた側面があったと思われます。好きなことをできる環境を作ってくれた祖母の存在が、植物学の道に進む土台を築いたのではないでしょうか」

墓誌のことばは博士から浪子さんへの感謝の表れかもしれませんね。

江戸から明治にかけての激動の時代を生き抜き、夫や息子に先立たれながらも家業を支え、孫を大切に育てた浪子さん。

牧野博士が植物の道に進むことができたのは、そんな祖母のもとで自由に研究できる環境やサポートを得られたからこそといえそうです。

 

  • 篠塚茉莉花

    NHK高知放送局ディレクター

    篠塚茉莉花

    2020年入局
    「『らんまん』主人公のモデル・牧野富太郎博士の“前の妻”とは」に続き、植物学者牧野富太郎誕生の背景にいた女性シリーズをお送りしました。

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