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『らんまん』モデル 牧野富太郎博士の魅力あふれる素顔とは

  • 2023年04月26日

連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルとなった、植物学者・牧野富太郎博士。植物が好きすぎて自らを「草木の精」と呼んだり、研究のための投資をいとわず、現在の額に換算して約1億円の借金を抱えてしまったり…。94年の生涯で1500種類以上の植物に学名を与え「日本植物学の父」と呼ばれました。
そんな牧野博士の魅力あふれる素顔を紹介します。
(高知放送局ディレクター 石原智志)
※この記事は、3月25日に放送した「ようこそ『らんまん』スペシャル」を再構成したものです。

“好き”をとことん極める

牧野博士は自然あふれる高知の山里に生まれ、幼いころから植物の観察に明け暮れました。
22歳のときに高知で書いた植物のスケッチを携えて東京へ向かい、本格的に研究を始めます。北海道から鹿児島まで日本中の野山を歩きまわって調査し、次々と新しい種を発見していきました。研究のために集めた標本はおよそ40万枚にのぼり、94年の生涯で1500種類以上の植物に学名を与えました。 

牧野博士を研究へと突き動かし続けたのは「植物が好き」というシンプルながらも熱い気持ちです。植物が好きすぎるあまり自分のことを「草木の精」と呼んでいたといいます。博士が詠んだ短歌からもその心情が伝わってきます。

朝夕に 草木を吾の友とせば 心淋しき折節もなし
(朝から晩まで植物を相手にしていると、悲しいとか苦しいとか辛いことを感じている暇がない)

“好き”が詰まった4万超の蔵書

博士にゆかりのある牧野植物園には、植物への熱中っぷりがわかるものが残されています。それは、博士が集めた数々の資料たちです。なんと4万5千冊もの蔵書が保管されています。

目につくのがたくさんの百科事典。様々なシリーズのものが並んでいます。博士は、内容を比較することをとても大事にしていたため、様々な出版社の百科事典を集め、植物にまつわる言説の違いを比べていたそうです。 

他にも、一見植物に関係のなさそうな聖書まで並んでいます。聖書には植物がモチーフとしてよく出てくるのだそうです。ほんの少しでも植物に関係する記述があれば、博士はすべて手元に置いておきたかったようです。

 さらに、博士の信念がうかがえる貴重な資料もありました。1940年、博士が78歳のときに出版された「牧野日本植物図鑑」。日本の植物3206種を詳細に記しています。

中を見せてもらうと、修正点が赤字でびっしりと書かれています。“より詳しくわかりやすい図鑑にしたい”とこだわる博士の熱量が伝わってきます。

立場・肩書は関係なし

植物への愛を原動力に偉大な功績を残してきた牧野博士。
相手によって態度を変えることがなく、誰に対しても分け隔てのない人だったと言われています。

去年、博士の生涯をテーマにした長編小説を出版した作家の朝井まかてさんは、博士について、こう話します。

牧野博士の生涯を描いた小説「ボタニカ」と作者の朝井まかてさん

作家 朝井まかてさん
「富太郎は人間関係に垣根がない。人間関係の結び方が上下じゃないんです。水平、フラット。森鴎外とも小学生とも対等に接しました。質問を受けたら、鴎外に丁寧に答えてますけど、小学生にも丁寧に答えています。そこも牧野博士の魅力ですよね」

植物が好きならばどんな相手でも対等に接する。
そんな牧野博士の象徴的なエピソードがあります。教えてくれたのは、植物学者の小山鐵夫さん(89)です。

小さいころから植物観察が大好きだった小山さん。11歳のときにあこがれていた牧野博士に手紙を出すと、返事が返ってきたといいます。

直筆文字で埋め尽くされた牧野博士からの手紙

小山さんに宛てた牧野博士の手紙の一節 
“あなたは植物が好きと聞きうれしく思います”
“植物は実地の研究が一番大切です”

1通の手紙から始まったふたりの交流。博士は、70歳以上歳の離れた小山さんにいつも真剣なまなざしで向き合ってくれました。立場や肩書を問わず人に接した牧野博士の人柄が伝わってきます。

牧野博士の弟子となった小山さんは、植物研究の道へ進み、その後世界でも知られる学者になりました。小山さんのエピソードはこちらの記事でも詳しく紹介しています。 
『らんまん』のモデル 牧野富太郎ってどんな人?弟子が語る

"なんとかなるろう”で困難乗り切る

困難に直面したとき、牧野博士は「なんとかなるろう」の精神でその困難を乗り切っていました。「なんとかなるろう」は「なんとかなるだろう」という意味をあらわす土佐弁で、牧野博士が非常に楽観的だったことが伺えます。
全国各地を飛び回るための移動費や高額な資料代など、研究にはたくさんのお金が必要でした。牧野博士は研究のための投資をいとわず、借金を重ねていましたが…、不思議なことに、「もはやこれまで…」というときにはいつも助けてくれる人が現れたといいます。

牧野博士の家族も、当時は苦労していたそうです。ひ孫の牧野一浡(かずおき)さんが、祖母(博士の次女)から聞いた話を振り返ってくれました。

牧野博士のひ孫 牧野一浡(かずおき)さん
「祖母の話を聞くとやっぱり家族はなかなか大変だったようです。食生活も本当に厳しかったっていう話は聞いてますね。それこそごはんにもおしょうゆかけて食べた。毎日こんにゃくだった。そういう時代もあったと言っていました」

博士が54歳のとき、借金は現在の額に換算して約1億円まで膨れ上がりました。さすがの牧野博士も観念して、大事にしていた標本を手放すことを考えていたといいます。
しかしこのときもまた、博士の決まり文句「なんとかなるろう」のとおり、なんとかなってしまう出来事が起こります。なんと借金を肩代わりしてくれる人が現れ、標本を手放さずに済んだのです。そのことを報じた当時の新聞には、「牧野氏の味方現る」「不遇の世界的植物学者を金持の法科大学生が救う」と記されています。

東京朝日新聞 大正6(1917)年1月3日

牧野一浡さん
「富太郎はとにかくひたすら植物が好きで、一直線に植物を愛して研究していたわけで、他のことはあまり考えていなかったなと思うんですね。その一途さに共感されたんだと思います」

こうした困難を乗り越えてしまうのも、誰にでも分け隔てなく接するのも、根底に「植物が大好き」というまっすぐな気持ちがあるからこそといえます。
そんな牧野博士の魅力が、今後の「らんまん」でどう描かれていくのか、乞うご期待ください!

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