ページの本文へ

こうちWEB特集

  1. NHK高知
  2. こうちWEB特集
  3. 高知 笑顔のユーチューバー 白血病の「にゅーいん」のこと

高知 笑顔のユーチューバー 白血病の「にゅーいん」のこと

  • 2023年07月26日

「白血病ユーチューバー」として、4年前から、みずからの闘病や患者へのアドバイスを動画で発信し続けた青年がいます。「にゅーいん」と名乗る彼の動画は、どれも明るくユーモアたっぷり。多くの白血病当事者やその家族から反響を集めました。去年9月に24年の生涯を終えるまで動画を投稿し続けたにゅーいんさん。なぜ動画投稿にこだわり続けたのか、彼を突き動かしたのは何だったのか。にゅーいんさんと同世代のディレクターが、その最後の日々を取材しました。(高知放送局ディレクター 添田ひとみ)

闘病生活 ユーモア交え動画に

めっちゃ嫌だった治療ランキング第一位は…骨髄注射!ほんとに目がカッとなる(見開く)ぐらい痛いのよ(笑)。

入院中に役立つアドバイス!おむつ持って行こうね、おむつ。ほぼ100%の人が下痢になる、ならなくてもトイレまで行くのがしんどくなります。嫌でしょ?パンツとかに漏らすの。

にゅーいんさんが2019年から投稿してきた130本を超える動画。悲壮感はまったく無く、フランクな語り口はまるで友だちとたあいのないおしゃべりをしているかのようです。

チャンネルの総再生回数は40万超え。勇気づけられた人たちから、たくさんのコメントが寄せられています。

私は12歳のときに急性リンパ性白血病で入院しました。こういうことは、周りの人にはなかなか理解してもらえないので、今日までずっと心に秘めてましたが、にゅーいんさんの動画を観て、初めて他人に自分の体のことを理解してもらった気持ちになれて、すこし涙が出ました。

夫を悪性リンパ腫で見送りました。次々と初めての処置や治療をしてすごくキツかったのだと、にゅーいんさんが夫を代弁して私に伝えてくださっているようです。 今更ながら、夫の身体の辛さが私の身に沁みるようで涙が止まらないです。

白血病を患い、いま21歳になる男の子の父です。 こうやって発信して頂けることで当事者の気持ちが理解しやすくなりありがたいです。

彼がYouTubeを始めたワケ

にゅーいんこと、竹内蔵之介さんと私が初めて出会ったのは2019年の11月。当時21歳、3度目の移植準備のために一時退院していたときです。
私自身は、NHKでディレクターの仕事を始めて半年経ったところでした。そんな私から見た蔵之介さんは、少しひねくれててかわいらしい、でもどこにでもいる普通の青年でした。

自宅で過ごす間も動画の撮影を続けていた蔵之介さん。なぜ顔出しで自分の病気について発信しようと思ったのか、YouTubeを始めたきっかけを聞いてみました。

竹内蔵之介さん
虚無感に襲われて、なんか活動というものをしてみたいなと思ったので。暇つぶしで始めたから、特にそういう自分の人生を残したいとかいう訳じゃなかったです。

蔵之介さんは5歳の時に白血病と診断され、幼い頃のほとんどを病室で過ごしてきました。10代になると病状はいったん落ち着き、成長が遅れた体にホルモン剤を投与しながら学校に通いました。「親元を離れて自立した生活を送ってみたい」と一浪して大学に進学、夢だった1人暮らしも始めました。

しかし、大学入学後わずか半年で白血病が再発。ようやく病から解放され、自分の力で自由な生活を送ることができると思っていた矢先、病室に引き戻されました。

妹 さくらさん

妹のさくらさんが当時の蔵之介さんの様子を振り返ってくれました。普段弱音を吐かない兄が、この時だけは涙を流したといいます。

妹 さくらさん
病室にお見舞いに行って、「大丈夫?」って聞いたときに、「しんどい」みたいなことで泣いてるのを本当に初めて見て。お兄ちゃんが人に見せた中で崩れた瞬間というか、一番らしくない時だったので。「これから何しようか」みたいな話をお兄ちゃんがしてたのは覚えてます。

退院の目途さえ立たない入院生活。もし私がその立場だったら、病院のベッドの上で何を考えただろうか。これから再び始まる闘病生活に不安が募る中で、蔵之介さんは「にゅーいん」という活動を通して、病気である自分から、何かを得たかったのかもしれません。

どんなに過酷でも 笑顔絶やさず

自由な大学生活から一転、病室ですることもなく虚無感に襲われた中で始めたYouTube。しかしどんな時でも、動画の中では、落ち込んだり苦しんだりする姿を見せませんでした。

3度目の移植にあたっては、医師からこれが最後の移植になること、そして治療の際に亡くなるリスクも高いことを告げられていました。助かるかどうか分からない、そんな移植の直前に投稿した動画のタイトルは「最後になるかもしれないし、ならないかもしれないアドバイス」。抗がん剤の副作用で思うように口が回りません。それでも、いつもと変わらないテンションで「心の中にヒーローを」と呼びかけました。 

にゅーいん
僕からひとつね、アドバイスをしておきます。みなさん、心の中にヒーローを作ってください。本当に苦しい時、精神的にきつい時、そういう時に支えてくれるのって苦しんでも逆転するヒーローの姿、うん、これだね。誰でもいいし、なんでもいいんで自分の心の中に作ってみてはいかがでしょうか。それではまた来年、会えるといいね。じゃあね。(2019年12月14日投稿)

術後数か月は予断を許さない状況でしたが、移植は成功。2020年4月には退院し、自宅に戻ることができました。

なぜ過酷な状況でも明るく発信するのか。蔵之介さんはYouTubeでこう話しています。

にゅーいん
暗くてしんみりしたドキュメンタリー系のお話ってYouTubeにもぶっちゃけあふれかえっているんですよ。だから僕はちょっと方向性を変えた闘病の動画を出したかったっていうのがあったし、僕自身も暗いしんみりした感じでこれまで病気と闘ってきたわけじゃないんで。(2020年11月27日投稿)

物心ついたときから白血病と闘ってきた蔵之介さんにとって、病気や治療は、常に自分とともにあるごく当たり前のことでした。蔵之介さんは「幼い頃から常に必死に病気と向き合い、苦悩し、乗り越えようとしている白血病患者」というイメージに違和感を抱き、YouTubeではそんな押し付けられたイメージではない“素の自分”でいたいと思っていました。

動画が闘病家族の支えに

病気という日常を明るく語る蔵之介さんの動画から気づきを得た人がいます。

青木佑太さんと長男 一馬くん

群馬県に住む青木佑太さん。4年前、当時4歳だった長男 一馬くんを白血病で亡くしました。闘病中、有効な治療法が見つからず衰弱していく息子の姿に打ちひしがれていたなか、青木さんは蔵之介さんのある動画に出会いました。

にゅーいん
母親、父親ってすっごい悲しむじゃないですか。その印象すっごい強いんですよ。「うちの娘が…」みたいな。あれはね、かえってダメなんですね。やっぱり子どもの前では明るく接してくれないと子どもって困惑しちゃうんですよ。

 幼くして白血病を患った当事者が語るその言葉に、青木さんはハッとしたといいます。 

青木佑太さん
ほんと、まさにそうだなと思って。やっぱり息子もおんなじこと考えるんだろうなって思いながら見てましたね。

それ以来、青木さんは一馬くんとの時間を家族みんなで楽しもうと決意しました。一馬くんが大好きなウルトラマンをベッドに並べ、体調の良い日にはウルトラマンごっこをして遊んだといいます。息を引き取るその時も、家族で川の字になって寝ころがりながら、笑顔で「頑張ったね、大好きだよ」と声をかけ続けました。

青木佑太さん

青木佑太さん
辛いことももちろんいっぱいあったんですけど、でも、本当に大好きな息子とずっと関われたっていうのは幸せだったなって思います。にゅーいんくんの動画で気づかされたというか、「こんなに向き合って過ごせるなんて最高じゃん」って思うんですね。

動画で生まれた社会との絆

青木さんは、蔵之介さんの動画を自身のブログで紹介。そのことをきっかけに2人は交流を始めました。そして蔵之介さんの3度目の移植が成功したあと、ついに2人はオンラインで初めての対面を果たしました。 

青木さん

気張ってやってる感じがしない、肩抜いてやってる感じとか、当事者目線のそのままの気持ちで語っているというのがとても魅力的で。

蔵之介さん

僕、気張ってやるのが苦手なんですよ。お褒めの言葉をいただけたなら自信を持って今のスタンスで行こうかなと思います。

初めて視聴者の生の声を聴き、自分の動画が誰かの支えになっていることを実感した蔵之介さん。徐々に、動画での発信に手ごたえを感じ始めていました。

蔵之介さん
同じ白血病で「自分はこんなにつらいのに、こいつは何でこんなに明るいんだ」とか思っている人がいるんじゃないかなとか、最近ちょっと不安に思ってたところがあったんですけど、「そんなことないよ」って青木さんが直接言ってくれたことが、自分がこれからのYouTubeの動画で発信するにあたって励みになったので、それが今回発見できただけでもすごいうれしいです。

蔵之介さんの動画は、患者やその家族以外にも広がりました。静岡県にある大学の講師が動画を見たことをきっかけに、蔵之介さんは120人の看護学生に向けてオンラインで講演しました。学生からの質問に一つ一つ丁寧に答え、終わったあとには学生たちから感想文が寄せられました。

動画から自身の活動が広がっていく中で、蔵之介さんにはある願いが芽生えていきました。

蔵之介さん
社会に関わっていたいかな。役に立たなくてもいいから、普通の人が歩むこの社会っていうレールに片足くらいは突っ込んでおきたい。見放されたくない。こういう体で何もできないのはしょうがないですけど、それでも、せっかく生まれてきたわけですから、何らかのものは残したいって思うんじゃないですかね。

「自分にできること」を探し続けて

少しずつ自分の活動に手ごたえを感じ、歩む道を見つけ始めた蔵之介さん。しかし、18年に及ぶ闘病生活の影響で、体は急速に衰えていました。医師からは「今の体力で耐えられる治療法はない」と告げられ、症状の悪化から動画を撮れない日が続きました。それでも蔵之介さんは、動画投稿をやめようとは思いませんでした。この頃、蔵之介さんが投稿したツイートです。

毎週日曜になると今週も撮れなかったなあってなっちゃう…
まあ僕の視聴者さんたちは気にしないでと言ってくれるんだろうけどそれでもなんか…お仕事できてない感があるなあ
やっぱある程度生きがいにはなってたみたいですね、YouTube

この投稿から2か月。蔵之介さんは、病室から音声のみの動画を投稿しました。

にゅーいん
みなさんこんにちは、にゅーいんです。今の現状を報告しておくと、治療のしようがマジでないんですよ。だからね、とにかく酸素だけつけてのほほんと暮らしてます。動画はやっぱしばらく撮れそうにないんだよね。あまり期待せずに、動画が上がったらまた見るか、みたいな感じの心構えでいてくれると助かります。というわけで、次がいつになるかわからない動画でお会いしましょう、にゅーいんでした。じゃあね。                                                       

これがにゅーいんさんの最後の動画となりました。併発した肺の病気の影響で絞り出すようにしか声が出せないながらも、笑い混じりの明るい語り口はいつも通り。最後まで「明るく発信する」という姿勢を貫き続けました。

蔵之介さんが亡くなった3日後、みずからの闘病をつづった本が発売されました。その中で、蔵之介さんはYouTubeでの発信について次のように書き残しています。

いろんな表現のしかたがあって、なんでもアリだと思うけど、僕は明るくこの病気を語っていきたいなって思っています。今、白血病と闘っている人、そして病気以外でもいろんな意味で苦しんでいる人が、どうか元気になりますように。そして、みなさんが元気になることで、僕も元気になれる。そんなつながりを、YouTubeでつくっていけるといいな、と思っています。

(にゅーいん著『いつか、未来で』より)

“生きる”とは

去年9月に24歳で亡くなった蔵之介さん。最期、どんな思いを持って旅立ったのかは分かりません。
しかし、もっと生きたかった、その思いは強く感じています。

白血病について明るく発信することが、どれだけ蔵之介さんにとって生きがいとなっていたのか。そして、どれだけ多くの人を励まし勇気づけてきたのか。その生きざまは、とても真似できるものではありません。

“生きる”ということがどれだけ大変で、そしてどれだけ恵まれているのか、私は蔵之介さんの生きざまを通して気づかされました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

  • 高知放送局 ディレクター

    添田ひとみ

    平成31年入局 
    福岡県出身
    福祉に関心を持つ。これまで、消滅集落や医療的ケアをテーマにした番組や企画などを制作。 

ページトップに戻る