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高知 芋けんぴの秘密 『らんまん』に登場したあの菓子

  • 2023年05月01日

連続テレビ小説『らんまん』第4週に登場した高知の菓子。
それが…芋けんぴ
歴史を取材してみると、芋けんぴが高知の“ソウルフード”として、いかに愛されてきたかが見えてきました。
(関西出身 高知放送局に来たばかりのディレクター 篠塚茉莉花)

高知といえば芋けんぴ!

『らんまん』第4週。ちょっぴり切なくなるお祭りデートのシーンに出てきたのが・・・

高知の芋けんぴ

しかし、なぜあそこで芋けんぴだったのか。

実は私は、高知出身ではありません。関西出身で、この春に高知局にやってきたところです。
高知に来てみると、ありとあらゆるところに、多種多様な芋けんぴが大量に売っていて、たまげました。

高知駅の土産物売り場

さらにはこんなものまで!

芋けんぴタワー

さらにさらに、
これをウエディングケーキ代わりにする人まで!

高知の大学で出会ったふたり
芋けんぴタワーでファーストバイト!

どんだけ芋けんぴ食べるねん。
芋けんぴが高知の人に愛されていることを感じます。
さすが高知のソウルフード。

でも、正直、関西人からすると
「芋けんぴそんな食べる…?」という気持ちにも。
そもそも芋チップスとか芋かりんとうならわかるけど、
芋「けんぴ」ってなんや!?

そこで、芋けんぴの由来や歴史、どれくらい食べているのか、高知の人たちに聞いてみると、芋けんぴの裏側には壮大なストーリーや想像を超える食べ方があることがわかってきました。

「芋けんぴ」と「けんぴ」は
 違う!?

そもそも、芋けんぴの「けんぴ」とは何なのでしょうか。

高知にはこーんなに芋けんぴが!

最初に話を聞いたのは、「けんぴ」を日本で最初に作ったという触れ込みの老舗菓子屋。
この時点では正直、「けんぴ」は「芋けんぴ」の略称だろう、くらいの気持ちで電話しました。
すると…

池田真浩さん(「けんぴ」を作る老舗菓子屋 経営企画部長)
「けんぴは芋けんぴとは別物です。よく県外の人に間違われて困ってるんです」

見事に県外出身の私が間違えました・・・え、違うんですか!?
じゃあ「けんぴ」とは?

池田さん
「けんぴとは、小麦粉を主にした焼き菓子のことです。1601年に山内一豊が土佐に入国する際、献上するために創業者が考案しました。
とても堅い干菓子なので、『堅干』と書いて『けんぴ』と呼ぶという説を私たちは採用しています」

こちらが「けんぴ」
全然、芋けんぴとちゃうやん

「けんぴ」の名前の由来については、調べてみるとほかにも、いくつかの説があるようです。

「けんぴ」と「芋けんぴ」は違った…

途方に暮れていると、池田さんからこんな情報が。

池田さん 
「安芸に元祖芋けんぴと言われている店がありますよ」

昔ながらの安芸の芋けんぴとは

そこで次に、安芸市にある元祖芋けんぴだというお店に話を聞きました。

近藤和広さん

近藤和広さん(元祖芋けんぴといわれるお店の社長) 
「芋けんぴは私のひいおばあさんが大正初期に考え出したと聞いています。もともとサツマイモを油で揚げたお菓子をおやつに作って近所の子どもに配ったりしていたのですが、もう少し甘さがほしいと思ったときに、ミカン売りの行商人から、『ミカンの皮に砂糖をまぶしたお菓子がある』とヒントをもらい、揚げたサツマイモに砂糖をつけることを思いついたようです」

和広さんの曽祖母・近藤満喜さん

調べてみると、芋けんぴの発祥については、
嵐の日に弘法大師が一晩泊めてもらった農家に教えた
江戸時代にサツマイモが入って来たときに油で揚げて砂糖をまぶすお菓子が生まれた
とか、様々な説がありました。

弘法大師!?

どんどん話が壮大に…

正確なことはわからないようですが、複数の芋けんぴメーカーに聞いたところ、安芸市で早くから売られていたのは確かなようです。

近藤さん
「芋けんぴという名前については、高知に昔からある『けんぴ』に形が似ていることから、『芋けんぴ』と名付けました」

「芋けんぴ」は「けんぴ」とは別物だけど、それにちなんで名がついたんですね!つながった!

それにしても、なぜ広い高知で安芸の人々が早くから芋けんぴを売り出したのか。
安芸にあるほかの芋けんぴ屋にも話を聞きました。

川島清貴さん(安芸の芋けんぴ屋社長)
「安芸はもともとデンプン工場が多く、デンプンの原料となる白いサツマイモが栽培されていました。そのイモを使って、家庭用のお菓子として簡単に油で揚げて、砂糖と絡める芋けんぴを作る家は多かったと聞いています。だから早くから芋けんぴを売り出したのが安芸になったのではないかと思います」

安芸の芋けんぴ屋たちは、全国にも飛び出して、高知の芋けんぴを広めていきます。

川島さん
「父の時代は、全国のデパ地下で実演販売をして、高知の芋けんぴを売っていました。
できたては美味しいから飛ぶように売れたそうです。私が小さかった昭和40年ごろ、父はほとんど家にいませんでした。
作り方も簡単で、見よう見まねで家でも作れるので、全国の家庭でも作られて広まっていったのではないでしょうか」

今も高知の玄関口・高知駅では芋けんぴの実演販売が

しかし、時代とともに、安芸の芋けんぴは生産が減っていったそうです。

川島さん 
「デンプンが海外から輸入されるようになると、デンプン工場は減りました。
安芸の芋けんぴの材料として使っていたのは、九州などでは焼酎の原料としても使われる芋なのですが、高知では需要がないので畑も減りました。
そこで、うちでは代わりに赤い金時いもを使うようになったんです。でも、金時いもは糖度が高いので揚げにくく、単価も高いから、小規模で手作りするしかありません。
こうした経緯で、安芸にあった芋けんぴ屋は減り、うちも含めて小規模の店が多いんです。」

安芸の皆さんのお話を聞いて、昔ながらの手作り芋けんぴが根づいているのだなとわかりました・・・が。

川島さん
「高知に芋けんぴ屋はたくさんあって、それぞれのお店にこだわりがあるから一概には言えませんが、東西でも違う傾向にありますよ」

1キロも秒殺⁉高知の芋けんぴ文化

そこで向かったのは、高知県西部にある芋けんぴ屋。

四万十町

よく見てください、店の入口。

1キロの芋けんぴ袋が山積み・・・
ホームセンターか!?

たしかに、小規模生産と言っていた安芸とは全然違いますね・・・

こちらで話を聞かせてくれたのは、芋けんぴの生産に携わって30年以上という、野口紀美子さん。

野口紀美子さん(69歳)

『らんまん』ではお祭りのシーンに登場しましたが?

野口さん
「私が子どもの頃は、お祭りの出店がいっぱいあって、実演販売してました。素揚げにした芋けんぴと鍋とガスを持って行けば、お水とお砂糖はどこでもあるから、水あめを作ってその場で作れたんです」

素揚げの芋けんぴ
左に見えるのが水あめが入った鍋

野口さん
「芋けんぴはドラマに出てきたようなベージュの袋に入れて売っていましたよ」

「今うちには白い袋しかないけど…」と言いながら、お店にあった芋けんぴで実演してくれました。

野口さん
「こんな感じでしょ?
 私が小さい頃もね、こうやって売ってたのよ」

そうですそうです!
高知では昔からお祭りで手軽に芋けんぴを食べてたんですね!

日常で、お祭りで、身近なおやつとして親しまれてきた芋けんぴ。
あの1キロの芋けんぴを買って行くお客さんにも、話を聞いてみました。

まずは、営業先への手土産に芋けんぴを買いにきたという男性。

両手に大量の芋けんぴ…。200グラム入りを25袋(5人に5袋ずつ配るって、それひとり1キロやん!)、そして1キロの大袋2つ!

男性
「1キロは取引先の企業に持って行くんだけど、みんなガサっと取って紙コップに入れて食べるんですよ。秒殺です

やってみました。
紙コップに芋けんぴ、いいですね。

驚くべき猛者もいました。
四万十町出身で今は高知に住むお父さんのために、大好きな芋けんぴ1キロを買いに来た姉妹のお話。

父のために買いにきた姉妹
「父は今85歳なんですが、昔からここの芋けんぴが大好きで、朝昼晩のごはんのおかずにして食べて、食後にも食べるんです。私には信じられないですが…苦笑」

こんな感じ…?(撮影後、それぞれできちんといただきました)

「けんぴ」という伝統菓子を背景に、さつまいもの普及とともに生まれた「芋けんぴ」。
作り方、販売方法も県内各地それぞれの店のこだわりがあって、食べ方も人それぞれ。
芋けんぴが高知のソウルフードであることは、よくわかりましたし、『らんまん』に登場したことを改めて、すてきだなと感じることができました。

『らんまん』から見えてくる高知の食文化、今後も楽しみにしたいと思います。

  • 篠塚茉莉花

    高知放送局 ディレクター

    篠塚茉莉花

    2020年入局。神戸市出身。
    お祭りではたこ焼き派です。

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