ページの本文へ

こうちWEB特集

  1. NHK高知
  2. こうちWEB特集
  3. 『らんまん』万太郎と綾の運命を左右 感染症コロリとは?

『らんまん』万太郎と綾の運命を左右 感染症コロリとは?

  • 2023年04月25日

万太郎と綾は姉弟ではなかった・・・。
『らんまん』で、祖母タキによって衝撃の事実が明かされました。
槙野家の運命を左右したのが「コロリ」という病です。いったいどんな病気だったのか調べました。 
※ネタバレを含みます   
(高知放送局 ディレクター 篠塚茉莉花)  

【この記事の内容】
▽「おまんらふたり、夫婦になれ」
 姉弟の関係が明らかに
▽「コロリ」ってなに?
▽ 万太郎の時代 「コロリ」の感染状況は?
▽ ツッコミどころ満載!? 当時の感染対策
▽ 実は、現代のコロナ禍でも・・・
▽「コロリ」その後

「おまんらふたり、夫婦になれ」

タキ(松坂慶子さん)

第17回の『らんまん』では、祖母のタキが、姉弟として育った万太郎と綾に結婚するよう迫るシーンがありました。

万太郎
「・・・は?」

万太郎(神木隆之介さん)

私もまったく同じ反応でした。
おばあちゃん、なに言うてんねん。

しかし、タキはこう続けたのです。

タキ
「おまんらはきょうだいではないき。本当はいとこ同士じゃ」
「万太郎が生まれたころ、コロリという恐ろしい病がはやっちょった。防ぐ手立てがのうてのう・・・」

なんと、万太郎と綾はいとこ同士。
2人の祖父、万太郎の父、さらに綾の両親は、「コロリ」という病気で亡くなっていたのでした。
本家の万太郎が病弱で長く生きられるかわからない中、両親をなくした綾を引き取って、姉として育てたというのです。

綾(佐久間由衣さん)


「万太郎は弟じゃ!弟に添うがは無理じゃき!
それに・・・私にも好きな相手くらいおったがよ・・・!」

もちろん、2人は猛反発。
綾は泣きながら家を飛び出していきます。
万太郎と綾の家族を次々と死に追いやった「コロリ」という病。
いったいどんなものだったのでしょうか?

「コロリ」ってなに?

「コロリ」とは、感染症の「コレラ」のことです。
発症から亡くなるまでの期間が短いことから、「三日コロリ」などと恐れられ、「コロリ」と呼ばれるようになりました。
まるでキツネやタヌキに化かされたように急死するため「狐狼狸」、千里を駆ける虎のように瞬く間に伝染することから「虎狼痢」とも書かれました。

コレラを虎に見立てた絵
「虎列剌退治〔コレラタイヂ〕」明治19年 
出典:東京都公文書館デジタルアーカイブ
(https://dasasp03.i-repository.net/il/meta_pub/G0000002tokyoarchv17_0003730130001)

コレラに感染すると激しい下痢や嘔吐(おうと)といった症状におそわれます。
日本には外国の船が渡来することで持ち込まれましたが、当時はまだコレラ菌が発見されておらず、原因不明の病でした。

緒方洪庵によるコレラ治療指南書『虎狼痢治準』
出典:国立国会図書館ウェブサイト(https://dl.ndl.go.jp/pid/995416/1/2)

日本で最初に流行したのは江戸時代の1822年。その後、江戸時代末期の1858年、1862年とたびたび全国で大流行します。
万太郎が生まれたのはこの時期。モデルとなる牧野富太郎博士の父や祖父が実際になぜ亡くなったかは不明ですが、ドラマでは万太郎や綾の家族がコレラ大流行に巻き込まれたと考えられます。

万太郎の時代 
土佐でのコレラの感染状況は?

幕末の土佐で、コレラはどのくらい流行していたのでしょうか。
高知県土佐市宇佐にある真覚寺の住職・井上静照師(1816~1869)が、日記に残していました。

『真覚寺日記』(真覚寺蔵)

1858年9月の日記には、高知城下で95人が死亡、83人の病人がいるとの記述があります。
感染者や死者数を正確に把握できなかった時代ですから、実際はもっと多くの被害があったでしょう。
日記には、大阪に向かった土佐の船の乗組員が全員コレラで亡くなり、空船になったという話までありました。

『真覚寺日記』(真覚寺蔵)

高知では明治以降もコレラがたびたび流行し、その致死率はおよそ7割とされています。
これより前の万太郎の時代も、死に至る病として恐れられていたと考えてよさそうです。

ツッコミどころ満載!? 
当時の感染対策

コレラの治療薬も効果的な予防法もわからなかった時代、土佐では感染への恐怖から、現代から見ると思わず「それ効果ないやろ!」とツッコミたくなるような感染対策も行われていたようです。

対策①
前後不覚になるほど焼酎を飲む。たくさん焼酎を飲むと病気が体に染み込まない! 
対策②
山伏にほら貝を吹いてもらい、病を隣町に送る。
もちろん隣町からはクレームが来て、争いに。
対策③
3年経てば病が終息するらしいので、夏にみんなで正月祭を行い時間を早める。
著者の井上静照師によると、効果はなかったとのこと。 

なぜ、このような感染対策が行われたのでしょうか。
高知県立歴史民俗資料館学芸員の梅野光興さんは、必ずしも「非合理的だった」で片付けるべきではないと指摘します。

高知県立歴史民俗資料館 梅野光興さん

梅野さん
「当時の知識を総動員し、ダメだったら新しいことを試すというトライ&エラーを繰り返していますから、まったく非合理だとも言えません。
非科学的でもさまざまな方法に頼るところに、不安と闘う人間らしさがあると感じます。
今から考えるとめちゃくちゃだけど、対処方法が豊かで、むしろ現代の方が貧弱に感じるほどですね」

当時の人たちはさまざまな「感染対策」を試しつつ、神社に参拝したり、呪術に頼ったりして、家族の無事や回復を祈っていました。
『真覚寺日記』には、町中は人出が少なく寂しい一方、潮江天満宮は参拝客で賑わっていたと記されています。

潮江天満宮(高知市)
 

梅野さん
「医者も少なかった時代、正体不明の疫病がはやったとき、人々は神仏と呪術に頼るしかありま
せんでした。対処法がなく何もできないことは、人々を不安にさせます。 
神社で祈ったり、呪術によって願う気持ちを形にしたり、祭りで一体感を味わったりすることは、科学的な効果はなくとも、人々の心を癒やすことはできたのではないでしょうか」

実は、現代のコロナ禍でも・・・

新型コロナウイルスの大流行を経験した現代の私たちも、同じようなことをしています。
2020年5月に高知県越知町で行われた稲の虫よけの行事。「稲虫退散」と書かれたのぼりに並んで、「コロナ退散」の文字があります。

「虫送り」ののぼり
高知県立歴史民俗資料館の常設展示より

梅野さん
「ただじっとしているのではなく、行事や祭りの中で、早くコロナが落ち着いてほしいという願いを形にしているのは、昔もいまも同じです。
コロナに対して科学的な効果がないのはわかっていても、連帯感や一体感が生まれ、気持ちを落ち着けてくれたはずです。アマビエの流行などもこれに似ていますね」

『肥後国海中の怪(アマビエの図)』
京都大学附属図書館所蔵
Photograph courtesy of the Main Library, Kyoto University - Amabie
(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000122/explanation/amabie)

「コロリ」その後

明治や大正に入っても、コレラの流行は繰り返され、高知では3000人以上が亡くなりました。
牧野富太郎博士も、高知でコレラ流行に見舞われたという経験を自叙伝に記しています。

「その時分コレラの予防には石灰酸をインキ壺に入れ、それを鼻の孔になすりつけ予防だとして いた。鼻につけるとひりひり滲みた」
(牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』講談社学術文庫 2004年)

牧野博士もコレラの感染対策をしていたんですね。

近代を描いたドラマだからこそ感じられる、今とのつながり。
当時の人たちや登場人物に思いはせながら、今後の展開を楽しみたいですね。

  • 篠塚茉莉花

    NHK高知放送局

    篠塚茉莉花

    2020年入局 神戸市生まれ
    日本史と日本酒が好きなので、『らんまん』には常に興奮してます。

ページトップに戻る