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逮捕者続出!『らんまん』神木隆之介さん演じる万太郎の運命は

  • 2023年05月01日

朝ドラ『らんまん』第21回では、自由民権運動の集会で演説していた主人公・万太郎(神木隆之介さん)が「集会条例違反」で捕らえられる衝撃の展開に。史実では当時、一体何が起きていたのでしょうか。(高知放送局 記者 田中開)

条例違反で逮捕者続出?

衝撃の展開となった『らんまん』第21回。自由民権運動のリーダー・早川逸馬(宮野真守さん)が万太郎を壇上に呼び、照れながらも万太郎が植物と自由について演説していた時でした。

警察官「演説中止!」「集会条例違反だ!」

踏み込んできた多数の警察官によって、万太郎ともども、自由民権運動のメンバーが一網打尽にされたのです。

歴史の教科書で習った記憶が頭の片隅にありますが、集会条例とは何なのか。また当時、自由民権運動をめぐってどんなことが起きていたのか。ドラマのモデル・牧野富太郎博士の足跡を追いながら取材を進めることにしました。

禁固刑に罰金刑…弾圧の歴史

先週に引き続き、話を聞いたのはこの人。高知市立自由民権記念館の筒井秀一館長です。長年高知の自由民権運動を研究しています。

自由民権記念館 筒井館長
「集会条例は自由民権運動の高まりを抑え込もうという政府側の意向で、政治的な集会や結社を制限するため、明治13年にできた条例です。牧野博士が運動に参加していた明治14年ころは高知でも取り締まりが厳しくなっていたと考えられます」

筒井館長によると、当時の新聞や裁判の記録をたどるだけでも、集会条例や警察官を侮辱した罪などで自由民権運動のメンバーが多く摘発されていたといいます。明治14年10月に国会開設の詔(みことのり)が発表されると、自由民権運動にとってはひとつの成果を上げたことになりますが、その一方で弾圧は厳しさを増していったといいます。

万太郎は無実を訴えるが…(『らんまん』第21回)

自由民権記念館 筒井館長
「詔の発表から約1年間で、高知県内での演説の中止や解散の命令は30件余りに及び、政治的な演説をしていたとして少なくとも5人が禁固刑を受けるなど、警察が取り締まりに非常に熱を入れていたことが分かります」

明治10年代の高知警察署のイラスト

当時は集会条例のほかにも、民権派が発行していた新聞を規制する新聞紙条例も制定されていて、筒井館長によると、当時の新聞の編集長の中には、18回の刑事罰を受けて、1年であわせて罰金80円・禁固60日となった人も出てくるなど、激しい言論弾圧が行われたということです。

牧野博士はどうだった?

取り押さえられる万太郎(『らんまん』第21回)

ドラマのモデルとなっている植物学者・牧野富太郎博士は、20歳ごろの青年時代、自由民権運動に参加していました。(詳しい記事はこちら)宮野真守さん熱演『らんまん』牧野富太郎博士の当時の実話は

そんな牧野博士、実際にドラマのような取り締まりを受けたことはあったのでしょうか。

自由民権記念館 筒井館長
「調べた限りではドラマのシーンのような事態に巻き込まれることはありませんでした。ただ実はある時、牧野博士が警察に出頭したという記録が残っているんです」

筒井館長によると、牧野博士は明治15年に出身地の佐川町で「公正社」という団体の立ち上げに関わり、副社長を務めていたということです。この団体は名目上は学術研究のための勉強会を目的としていましたが、集会を開くなど自由民権運動との関わりもあったとみられています。

当時の牧野博士(中央) 写真は川田家所蔵

自由民権記念館 筒井館長
「この団体が政治結社ではないかという疑いがかかり、明治15年8月、当時副社長だった牧野博士は佐川の警察署に出頭して弁明しているのです。署長自ら取り調べたようで、公正社がいかに警察から目を付けられていたかがうかがえます」

筒井館長によると、この時、牧野博士は署長から「何を研究しているのか」「政治的な性質があるのではないか」「読書会を開いているようだが、何を読んでいるのか」「会費は何に使っているのか」など質問攻めにあったそうです。これに対し、牧野博士は「社会を良くするため、地元の小学校で一般的な学問の勉強会をしているんだ」と押し通したといいます。
 

警察「公正社の規約には学術研究とあるが、何を研究しているのか」

牧野「一般の学術だ。ただし政治に関する事項を論議することは除いている」

自由民権記念館 筒井館長
「実は警察は当初、社長を呼ぼうとしたのですが、その人物が多忙を理由に断って、牧野博士が代理として出頭したようです。警察はこれ以上追及しなかったようですが、当時20歳の若さで警察に呼ばれるというのは、誰にとっても肝が冷える経験ですよね。でも牧野博士は自分の主張を貫いていて、堂々としたものだったと思います」

その後の自由民権運動は

植物に手を伸ばす万太郎(『らんまん』第21回)

筒井さんによると、盛り上がりを見せていた自由民権運動にも波があり、牧野博士が運動から脱退したとみられる明治16年以降は、徐々に下火になっていたといいます。

自由民権記念館 筒井館長
「文明開化が進む中で、鉄道や道路をどう整備するかという生活上の問題が出ていました。運動に熱心だった若手メンバーには地元の実力者の跡継ぎも多く、自由民権運動という一種の『空中戦』を続けて反体制を貫くより、自分たちの町に鉄道や道路を引くために運動から手を引く選択をする民権家も多くいました。生活がかかっていますからね」

「今でこそ投票率が課題ですが…」

そんな中、再び運動が激化するタイミングもありました。明治25年のいわゆる「選挙大干渉」です。当時の国会では板垣退助をはじめとした民権派が多数を占めていましたが、反民権派が国会での勢力拡大とを狙い、露骨な選挙干渉を行ったことで、各地で激しい対立を引き起こしました。

錦絵「高知県民吏両党の激戦」(自由民権記念館所蔵)

筒井さんが見せてくれたのは、佐川町の斗賀野(とがの)という地区で起きた大規模な乱闘騒ぎを描いた錦絵です。民権派と反民権派の抗争に警察も加わった、全国で最も激しいとされた衝突で、10人が死亡し60人以上が負傷する大事件となりました。

自由民権記念館 筒井館長
「日本という国がまだ若かった時代なのだと思います。今でこそ選挙をやるたびに投票率が落ちることが課題となっていますが、当時は選挙権を持たない人でも『自分たちの地域の代表を国会に送るんだ』という熱量で運動に参加していた。やり方には賛否があるでしょうが、今私たちが持っている自由や権利は、こうした経緯の積み重ねの結果なのだと、ぜひ知ってほしいですね」

どうなる万太郎

呆然とする万太郎(『らんまん』第21回)

さて、史実ではドラマとは少し違う警察とのかかわりを持っていた万太郎ですが、第21回の放送では「首謀者」として厳重な牢に捕らわれてしまっています。

実家の「峰屋」を離れて植物の道に進もうと決意した矢先の大トラブル。万太郎、どうなってしまうのでしょうか。これからの展開を手に汗握って見守りたいと思います。

  • 田中開

    高知放送局 記者

    田中開

    2018年入局
    警察担当だった時には手にも取らなかった明治時代の警察の資料を調べました

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