高知に実在『らんまん』万太郎が通った名教館とは?
- 2023年04月11日
2週目に突入した『らんまん』で、万太郎は「名教館(めいこうかん)」という地元の学校に通い始めました。じつはこの名教館、少年時代の牧野富太郎博士が実際に通った学校なんです。一体、どんな場所なんでしょうか?牧野博士のふるさと・佐川町(さかわちょう)のガイドの方に話を聞いてきました。
武家の子が通う学問所 名教館
今回、お話をうかがったのは、佐川町で地元のガイドを務めて20年、「佐川くろがねの会」の吉野 毅さんです。案内されたのは、佐川町の中心部。牧野博士が少年時代に通った名教館の玄関部分が、当時の姿のまま、移築されています。
名教館は、江戸中期に佐川の領主だった深尾氏がその家臣である武士の子どもたちを教育するために設立した学校です。明治時代に入り、一般の者も名教館に通うことができるようになったため、牧野博士も通うことができました。
とはいえ、当時の門下生は武士の子どもがほとんどで、町人は牧野博士ともうひとりだけ、身分による差別があったと伝えられています。ドラマでも、入学初日から雰囲気になじめず、武家の子息たちにいじめられる万太郎が描かれました。
まだまだ明治時代に入りましても身分制度の風習が残っておりまして、常に士族・武士の子どもさんたちは上段に、そして一般の農家とか商家の子どもさんたちは下の段に座って勉強したようです。
“ずば抜けて秀才” 牧野博士の学び
つらい境遇にも負けず、牧野博士は名教館で勉学に打ち込みました。博士が学んだ書物の一部が、佐川町にある博士の生家跡地に建つ「牧野富太郎ふるさと館」に展示されています。
福沢諭吉の書いた「世界国尽(せかいくにづくし)」は、世界各地の地理や歴史、文化などを紹介している本です。
「気海観瀾広義(きかいかんらんこうぎ)」は、日本で最初の物理の本。博士はこの本の文章が面白く、好んで読んだと伝えられています。
牧野博士は、早い時期から儒学を中心に色々な勉強をしていて、本を読むにも読解力の才能があった。“ずば抜けて秀才”という風に言われています。
名教館 撮影場所はどこ?
博士が学んだ名教館、ここで改めて『らんまん』での、登場シーンを見てみると…
祖母のタキに手を引かれ、万太郎が初めて名教館にやってくる場面です。実はこのシーン、実際の名教館ではありませんが、牧野博士とゆかりの深いある場所で撮影されました。
佐川町にある「青源寺(せいげんじ)」です。ドラマではこの寺の裏門とそこに続く石段が、名教館という設定で撮影されました。
青源寺は、1603年に佐川の領主、深尾氏の菩提寺として建てられました。少年時代の牧野博士は、この寺の13代目、愚仲(ぐちゅう)和尚と親交があったと伝えられています。
(寺の)裏山で、牧野博士が石を投げてシイの実を落として取っていたところを愚仲和尚に見つかって一喝され、2人の交流が始まりました。「土佐のいごっそう」つまり、“やり始めたら最後までやる”という精神を叩きこまれたと聞いています。
博士が育った町並み いまも
今回の『らんまん』、他にも地元 土佐の町並みが画面を彩っています。
万太郎の通学路という設定で登場し、地元のエキストラも大勢参加して撮影が行われた「酒蔵の道」です。この酒蔵の壁、高知で生まれた「土佐しっくい」で仕上げられています。
「土佐しっくい」には、ワラの繊維が入っているので、水に溶けにくく、雨が多い高知の気候に適しているのです。
もうひとつ、壁の強度をより高めるのが「水切り瓦」です。壁の面に、直接雨がかかるのを防ぐので、水切り瓦があると、壁が30年以上長持ちするといわれます。ドラマでは土佐の気候風土が育んだ、独特の建築にも注目です。
ドラマの風景 実際に楽しんで
少年時代の博士の足跡をたどるべく、佐川町内のゆかりの場所やロケ地を巡ってきました。今回案内してくださった吉野さんによると、地元のガイドが、牧野博士のさまざまなエピソードを紹介しながら佐川町を巡るコースもあるそうです。みなさんもぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか?
さかわ観光協会
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