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「花はなんで匂う?」あの名学頭を深堀り

『らんまん』高知県佐川町に実在した「万能の学者」
  • 2023年04月12日

朝ドラ『らんまん』で、主人公に間違って水をかけるシーンが印象的な、名教館(めいこうかん)の「蘭光先生」。植物にも精通し、万太郎を学問にいざなう重要な役回りです。主人公の地元、高知県佐川町の歴史に詳しい学芸員に、蘭光先生と名教館について聞きました。
(高知放送局 記者 野本宗一郎)

「花はなんで匂う?実はなんで落ちる?」

寺脇康文さん演じる名教館の「蘭光先生」

4月12日放送の朝ドラ『らんまん』で、寺脇康文さん演じる「蘭光先生」が印象に残った人も多かったのではないでしょうか。主人公・万太郎の植物への興味を巧みに引き出し、学問にいざなう「名先生」ぶりに、第1週で描かれていた病弱な万太郎の今後の成長を期待するシーンでした。

蘭光先生に水をかけられるのがお決まり?

蘭光先生(第8回より)
「花はなんで匂う?実はなんで落ちる?草花はおのおの好んだ場所に生える。ほんならなんで山があり川があるがか?」

主人公のモデルとなっているのが、高知県佐川町出身の植物学者・牧野富太郎博士です。実際、牧野博士は佐川でどんなことを、誰から学んだのでしょうか。

佐川町に実在した「万能の学者」

佐川町には、地元の歴史などを紹介している博物館「青山(せいざん)文庫」があります。
青山文庫の学芸員、藤田有紀さんに、名教館や蘭光先生について聞きました。

青山文庫 藤田有紀学芸員
「江戸時代、佐川にあった名教館には、『らんまん』の蘭光先生のような人物、伊藤蘭林(いとう・らんりん)という、実在の教授がいたんです。あらゆる分野に精通したことから「万能の学者」とも評されました。この蘭林教授のもとでは、牧野博士をはじめ、のちに新時代の各分野で活躍する先人たちが多く学んでいました。」

蘭光先生のような人物が、実際に当時の佐川町には存在していたというのです。

一体、どんな人物だったのか。青山文庫が2015年に出版した図録「佐川の師 伊藤蘭林」の内容も織り交ぜながら、名教館と伊藤蘭林について、紐解いていきます。

文武両道を目指した名教館

まずは、ドラマでも描かれ、実際の牧野博士も通った「名教館」について調べることにしました。

『らんまん』で、名教館の入り口の前に立つ万太郎

青山文庫によると、名教館は明和9年(西暦1772年)に、江戸時代の土佐藩で家老を務めていた佐川領の6代目領主・深尾繁澄が家塾として開きました。家塾とは、領主一族の子弟のための教育の場です。

現在の名教館は玄関部分が当時のまま残されている

科目は、漢文、和歌、測量など、多岐に渡っていた。多くの武士が通っていたこともあり、剣術や弓術といった「武」についての科目もあり、各科目ごとに専従の先生が決められて「文武両道」を目指していた。(「佐川の師 伊藤蘭林」より要約)

『らんまん』で描かれている名教館

青山文庫 藤田有紀学芸員
「名教館は、廃藩置県により、藩がなくなったことで、運営元がなくなりました。これにより、名教館は閉校の危機に陥りますが、町人がお金を出して運営が引き継がれることになりました。このため、武士ではない牧野博士も通えることになったのです。」

「次席教授席」に座っていた伊藤蘭林

こちらは、名教館に通っていた人の証言をもとに見取り図化したものです。

見取り図の中央に見える黄色の「講義の間」は、80畳敷きの大広間でした。『らんまん』では、大勢の生徒に対して1人の先生が教えていましたが、実際に学ぶ科目ごとに、先生の机の前に5人ほどの生徒が集まり、講義を聴いていたということです。

青山文庫の藤田学芸員が注目しているスペースを教えてもらいました。

「『次席教授席』というスペースが講義の間の一角に見えます。ここに座っていたのが伊藤蘭林でした。学頭に次ぐポジションだったのでしょうか。蘭林が重用されていることがうかがえます。それだけ蘭林の学識が高く評価されていたとみることもできますね。」

また「生徒溜席」という場所もありました。ここは各講義に漏れた生徒たちが、教えてもらう順番を待つ場所だったということです。当時の名教館では多くの子どもたちが熱心に勉強していたことがうかがえますよね。ほかにも「射場」や「槍剣場」などもあり、まさに文武両道を目指す施設だったのです。

1000人に及んだ教え子の中には…

伊藤蘭林(提供:佐川町立青山文庫)

佐川出身の伊藤蘭林は、自身も名教館で学び、その後、名教館の教授となったそうです。『らんまん』では、蘭光先生は、万太郎が気になった植物について、すべて詳しく答えていました。ほかの物事の多くも知っている様子がうかがえましたが、実際に伊藤蘭林の専門は文武両道、多岐に及びました。

漢文/詩文/和歌/算術/測量/茶道/挿花/剣術/槍術/弓術/馬術/など 
(本:「佐川の師 伊藤蘭林」による)

武術にも精通していた伊藤蘭林。その魅力を藤田さんはこう話します。

青山文庫 藤田有紀学芸員
「戊辰戦争のきっかけとなった鳥羽・伏見の戦いで、幕府が新政府軍に負けると、新政府側だった土佐藩は、幕府側だった松山藩へ出兵します。この時、蘭林も鎧を着込み、武装を整えて出陣しています。隠居の身分であった蘭林は出陣する必要がなかったと思いますが、わざわざ参加していました。武士としての気概も持った人だったんでしょうね。」

伊藤隆助の名前で出兵の記録が残る(提供:佐川町教育委員会)

名教館が廃止となった後も、自宅で私塾を営んでいた蘭林。1000人を超えたと言われる教え子の中には、牧野富太郎博士をはじめ、明治維新後に宮内大臣を務めた田中光顕や近代土木の先駆者・広井勇など、著名な人物が多く輩出されました。

佐川町にいまも残る蘭林塾

青山文庫 藤田有紀学芸員
「文教の町の根源の一つである名教館や蘭林を知ってもらえて、とてもうれしいです。ゆかりの地がいまも残っているので、ぜひ実際の佐川を歩いて『らんまん』を振り返ってほしいです。」

  • 野本宗一郎

    高知放送局 記者

    野本宗一郎

    タイムスリップして、蘭林をこの目で見てみたくなりました。

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