私は戦地で聞いた
「攻撃で孫を亡くした」

ロシアがウクライナに侵攻してから2月24日で1年。
これまでにおびただしい数の命が失われてきた。なぜ侵攻は長期化しているのか。日本は、そして私たちは、これからどう動くべきか。ロシアによる「クリミア併合」後のウクライナの戦地を目の当たりにした元外交官への取材を通じて考えた。
(森田あゆ美)

2014年のクリミアを見た

プーチン大統領は、うまくいけば数日、長くても数週間で終わると思っていた。ウクライナ東部では、ロシア語を話す人たちが歓迎して迎えるだろうと。完全に見誤った

2月中旬、岩手県内の大学の講義室で、みずからの経験をもとに、ロシアによるウクライナ侵攻について語る1人の元外交官がいた。

角茂樹(すみ・しげき)69歳。昭和52年に外務省に入省し、国連の日本政府代表部大使やバーレーン大使などを歴任、2014年から4年余り、ウクライナ大使を務めた。

角がウクライナに赴任した2014年。
今回のロシアによる軍事侵攻の伏線ともなる、大きな出来事があった。

ウクライナ南部のクリミア半島で、ロシア軍の支援を得た自警団が地方政府の庁舎などを占拠。ロシアのプーチン大統領が一方的にクリミアのロシアへの編入を宣言した。「クリミア併合」だ。
さらに、ウクライナ東部でも、親ロシア派が地元の行政機関などに押し寄せ、ウクライナ政府軍との大規模な戦闘に発展した。

角は、併合の直後から防弾車に乗り防弾チョッキを着て繰り返し東部の戦地を訪れた。そして、現地で何が起きたのか目の当たりにした。

突然ロシアが理由もなくウクライナの領土を奪ったことへのショックはものすごいものがあった。壊れた家のおばあさんに話を聞くと、自分は助かったが孫の女の子が攻撃で亡くなったと。多くのウクライナ人が殺され、避難民となって逃げ出さざるを得ないことへのショックも大きかった

そして、これを契機にウクライナの世論は“反ロシア”の色が濃くなっていった。

ウクライナの東部にはロシア語を話す人も多く、ロシアに親しみを感じている人も多くいた。しかし、ロシアから攻撃を受け、本当に信じられないような悲惨な思いをして、それから東部を含めて反ロシアになったと言ってもいい

プーチン大統領の誤算

角は、ウクライナ国内のこうした世論をプーチン大統領が正確に把握できていなかったことが、侵攻の長期化につながっていると指摘する。

プーチン大統領はウクライナ東部にはいまだにロシアに親近感を感じている人がいて、ロシア軍が入れば歓迎するはずだ、政府の中にも親ロシア派がいて親ロシア的な新しい政権ができるはずだと本当に信じていたと思う

それでは、なぜプーチン大統領は、認識を誤ったのか。
角は、独裁の悪弊だと分析する。

ウクライナの情報は一番ロシアが持っているが、独裁者には都合のいい情報しか上がらないのではないか。プーチン氏を喜ばすには『ウクライナにまだまだ親ロシア派がいる』という情報を上げた方がいい。私が東部で感じた反ロシアの感情とのギャップは非常に大きなものがある

“クリミア後”の支援に奔走

2014年の「クリミア併合」のよくとしの2015年6月、当時の安倍総理大臣が、日本の総理大臣として初めてウクライナを訪問。そこで、国別では最大規模の総額18億ドル余りの経済支援や人道支援を実施する方針を伝えた。

ロシアとの関係を重視していた安倍が多額のウクライナ支援を行った理由は何か。角の見立てはこうだ。

安倍総理大臣はロシアとの関係は維持したいが、2014年にウクライナに対してやったことは認めるわけではないということを示す意味からも支援をしたのだと思う

角は、大使として、日本の支援を形にしてウクライナの人々に届ける活動がうまくいくよう奔走した。戦闘で壊れた家や公共施設を修理したり、避難した人たちが交流する集会所を作ったりすることなどに活用された。また、現在、ウクライナで使われている警察車両の多くも日本から送られたものだという。

日本の支援は

時が経ち、2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻。その直後から、日本はG7=主要7か国の各国と連携し、ウクライナ支援にあたっている。

しかし、戦車や対戦車ミサイルなど前例のない軍事支援に乗り出す欧米各国に対し、「防衛装備移転三原則」の制約から、財政支援や人道支援が中心の日本の対応は、国際社会の中で存在感が小さいとの指摘もある。

ただ、2月に角が東京のウクライナ大使館を訪れた際、コルスンスキー大使は、侵攻の長期化による各国の“支援疲れ”への懸念をにじませ、日本の支援継続に期待を寄せた。


ここ数か月でも日本からコンテナ4つ分の非常に助かる支援がなされ、カイロを前線に送ることができる。凍えている兵士のブーツに入れて温めることができる。日本の皆さんはエネルギー市場や食料供給への影響を肌で感じていて、とても不幸なことだが、平和のためにはほかに選択肢がないということを理解してほしい

そして、大学で教鞭をとる角に対し、こう求めた。

プーチンのような独裁者に権力を握らせ、成功させれば、世界は危険なものになるということを日本の若者に知ってもらう必要がある

復興支援にも期待

侵攻が長期化する中、角は、退官後も培ってきた人脈を生かし、必要な支援などをめぐり、ウクライナの関係者と、日本の政府関係者や民間企業との橋渡し役を務めている。
この日は、ウクライナの国会にあたる最高会議の元議員、ハンナ・ホプコー氏とオンラインで意見を交わした。

日本政府の財政的な支援は武器支援に匹敵する。財政支援がなければ、軍人の給料も払えず、国内の避難民も助けることができず、私たちは生き延びることができない。とても感謝している

そして、軍事侵攻を収束させたあとの復興支援にも期待を寄せた。

私たちは多くの夢を持っており、日本との協力で早くかなえたい。イノベーションや農業、日本の震災復興の経験などで、もっと協力したい。日本の技術でクリミアまでの高速鉄道を走らせたい

若い世代へのメッセージ

「クリミア併合」以降の戦地を目の当たりにしウクライナと向き合ってきた角。若い世代にみずからの知見と経験を伝え、どう行動すべきか問いかけ続けている。

冒頭で紹介した、大学での講義の一幕。角は、いまの国際情勢について、学生たちに警鐘を鳴らした。

世界の平和に対する責任を有している国連の常任理事国がこれほど明らかな侵略を行ったことはかつてない。国連の機能を根本から覆すものだ。独裁者は、非合理的な判断をするものだ

そして、個々人が主体的に考え、判断していくよう求めた。

物事は非常に複雑に動いている。歴史的経緯や現状を踏まえず、いろいろなフェイクニュースやポピュリズムの流れでみんなが『そうだ、そうだ』と流されては困るわけで、きちんと原因を分かった上で判断することが非常に重要だ。国際秩序がどうなっているかを考えて理解し、自分なりの意見を持ってもらいたい

学生たちも、考え始めていた。

日本にも物価高の影響が来ているのは、生活している上でも強く感じる。戦況がこう着していることで解決が難しくなっているが、国際社会がどう解決を促していくかが重要だと思う
身近に感じていかなければと感じた。ウクライナ侵攻がどうなるか分からないが、ニュースを見て自分なりに意見を持っていく必要があるかなと思った

リーダーシップ 発揮できるか

当初は多くの人が予想だにしなかった侵攻の長期化。そして、進みつつある国際社会の分断。

日本外交に求められる役割は何か。取材の最後に、角に率直に問うた。
返ってきた答えは、日本が国際社会を主導することの重要性だった。

国際社会が作り上げた秩序を守らなければならない。日本はG7の議長国であり、国連安保理の非常任理事国だ。国際社会は、日本がどうウクライナの問題でリーダーシップを発揮するか見ている。リーダーシップをとり、国際社会をまとめあげていくことが日本に課せられた重要な課題だ

歴史的な経緯や地政学的な要因など、複雑な要素が絡み合い、ロシアとウクライナに対するスタンスや支援のあり方は、国によってさまざまだ。そうした中、国際社会で議論を主導し、世論を形成していくことは容易ではないだろう。エネルギーや食料の価格高騰が生活に重くのしかかり、私たち自身、出口の見えない閉塞感にさいなまれていることも事実だと思う。ただ、取材の中で角が一貫して強調していたのは、国際社会の中で日本の動きは常に注目されているということだった。

独裁者とその侵略行為を決して容認せず、対じし続ける。侵攻1年を機に、日本の外交方針を支えるのは、私たちひとりひとりだということを改めて自覚したい。
(一部敬称略)

政治部記者
森田 あゆ美
2004年入局。佐賀局、神戸局などを経て政治部。自民党や外務省担当を経て、現在は2回目の野党クラブ。