ねほりはほり聞いて!

政治のことば

ねほりん

ねほりん

なにかと難しくてわからない政治のことば、このコーナーで解説するよ

ぱほりん

ぱほりん

政治のことば

今回は
北方領土めぐる交渉

ねほりん

ぱほりん

デスクイメージ

デスク回答

北方領土めぐる交渉とは

北方領土をめぐる交渉をまとめました。

1945年8~9月 ソビエトが北方四島占領
ソビエトが日ソ中立条約を無視する形で日本に宣戦布告し、千島列島に侵攻。択捉、国後、色丹、歯舞の四島を不法に占領した。

1951年9月 サンフランシスコ平和条約に調印
日本は、この条約によって千島列島を放棄。しかし、「千島列島には北方四島は含まれない」というのが日本の立場。写真は調印式で署名するに日本全権団首席の吉田茂首相。

1956年10月 日ソ共同宣言
日本とソビエトが国交回復。共同宣言には、平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことなどが明記される。
東西冷戦の中 交渉は長くこう着状態に

1991年4月 日ソ共同声明
冷戦終結後、領土交渉が動き出す。共同声明の中でソビエト側が、四島の名前を具体的に書き、領土問題が存在することを初めて文書で認める。

1993年10月 東京宣言
1956年の「日ソ共同宣言」の有効性を認めたうえで、「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」などとした交渉指針を確認。

1997年11月 クラスノヤルスク合意
「東京宣言に基づき2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意。

1998年4月 川奈提案
橋本総理大臣が「択捉島とウルップ島の間(北方四島の北)に国境線を引いたうえで、当分の間、ロシア側に施政権を委ねる」と提案するも、その後、エリツィン大統領が事実上拒否。

2001年3月 イルクーツク声明
1956年の「日ソ共同宣言」の有効性を確認するとともに、「東京宣言」に基づき四島の帰属問題を解決し平和条約を締結することを再確認する。
日本の政権が短期間で次々代わる中 領土交渉は停滞

2010年11月 大統領が国後訪問 日ロ関係悪化
領土交渉が停滞する中、当時のメドベージェフ大統領(写真左)が国後島を訪問。日ロ関係は冷戦終結後、最悪と言われるほど悪化した。

2013年4月 交渉再開 安倍ープーチン時代
北方領土をめぐる交渉が再開したのは、安倍総理大臣とプーチン大統領がそれぞれ政権に復帰してから。安倍総理大臣が日本の総理大臣として10年ぶりにロシアを公式訪問し、プーチン大統領と会談。共同声明で「双方に受け入れ可能な形で最終的に解決し、平和条約を締結する」と決意を表明する。
2016年5月 「新しいアプローチ」
安倍総理大臣が打ち出したのが、今までの発想にとらわれない「新しいアプローチ」。四島の帰属の問題をいったん脇に置き、まずは島の将来像を描く作業を協力して行うとして、それが、日ロの北方四島での共同経済活動へとつながっていく。

12月 まずは共同経済活動から
プーチン大統領が、ロシアの大統領として11年ぶりに日本を訪問。安倍総理大臣が、地元の山口県長門市の温泉旅館に招いて個人的な信頼関係を演出し、共同記者会見では、共同経済活動を行うための特別な制度について交渉を開始することで合意したと発表した。

2018年9月 「プーチン発言」の波紋
プーチン大統領が国際会議の場で、「前提条件なしに年内の平和条約締結」を提案。その発言の真意を巡って臆測も飛び交うなか、安倍総理大臣は「プーチン大統領の言葉からサインを受け取らなければならない」と述べ、2018年11月以降の首脳会談が重要になるとの認識を示す。

11月 シンガポール合意 日ロ交渉は新局面へ
そして迎えたシンガポールでの日ロ首脳会談。「平和条約を締結したあと歯舞群島と色丹島を引き渡す」とした1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉を加速することで合意した。

12月 交渉の体制で合意
アルゼンチンで行われた日ロ首脳会談で、安倍総理大臣とプーチン大統領は、今後の平和条約交渉の枠組みについて、河野外務大臣とラブロフ外相を交渉責任者に、森外務審議官を総理特別代表、モルグロフ外務次官を大統領特別代表として、交渉担当者に充てることを確認した。

北方領土についての関連記事はこちら

北方領土について詳しくまとめたサイトはこちら

ページトップ