興は正解か 大船渡の激闘

ことしもまた、サンマが揚がった。
いや、水揚げできて、本当によかった。このところ不漁だったが、ことしは今のところ、まずまずだ。

ーー7年と8か月前、その恵みをくれる海に襲われた町、大船渡市。
被災が激しかった東北3県の自治体の中でも、比較的早く復興が進んでいるとされている。そんな自治体なのに、今月行われた市長選挙では、まさにその「復興」をめぐって激しい衝突が起き、そして大接戦の末、結果が出た。

この町に何が起きたのか、現地から「いま」を伝えたい。
(大船渡・陸前高田支局 舟木卓也)

80%以上「復興完了」なのに…

大船渡の形は独特だ。
リアス式海岸が広がる岩手県の沿岸の中でも、特に入り組んだ地形をしていて、漁港には適した土地柄。もちろん、基幹産業は漁業だ。

東日本大震災では500人以上が犠牲になり、沿岸部の市街地も壊滅した。ただ、大船渡がほかの町と大きく違った点は、湾に沿って急な高台があり、そこに住宅街があったことだ。過去の災害を教訓に造られた高台の住宅地は、被害を免れた。こうしたこともあり、いち早く復興が進んだ。

市によれば、これまでに漁業施設の復旧や、住宅再建のための移転、商業施設のための土地区画整理などは80%以上が完了したという。これまでのものも含め、投じられる復興予算は、2020年度末までに約3900億円という巨額になる。

しかし、市長選はまさに、この「復興」が正しい道だったのか、また、この先をどうするかが大きな焦点となったのだ。

これからは「ソフト」だ

最初のインタビューは、予想通りの言葉で始まった。
「復興計画の事業は、80数%まで完全に終わるか、事業目的を達成してきました。これからは、人口減少に歯止めをかけることと、地域経済を振興して少子化に歯止めをかけること」

戸田公明氏、69歳。

3期目を目指す現職の市長だ。彼はもともとは政治家ではない。大手建設会社のサラリーマンから転身した。海外の営業所の経験も長いという。そういった経歴もアピールポイントで、あの大震災のわずか4か月前に、ふるさと大船渡の人たちから担ぎ上げられて、市長になった。

そんな背景があるから、復興ではいかにも「インフラ」を重視しそうだ。だがそうではない。いま彼は「ハードよりソフト」を強調している。キーワードは「ポスト復興」だ。

「ポスト復興」って?

自治体が復興への支援が得られる期間は、永遠ではない。
政府が東日本大震災からの復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」は、2020年度末までだ。つまり、あと2年余りしか残っていない。復興庁も、後継組織が検討されているが、設置期間は2020年度末となっている。

そんな中、大船渡でも市街地に商業施設や住宅が再建され、復興が「目に見える」ようになってきた。去年4月にオープンした商業施設には、運営会社の目標を6万人上回る、年間約21万人が訪れた。

大船渡駅周辺の区画整理や、防潮堤の建設はまだ一部残っているが、残る2年で手をつけておくべき課題として、戸田氏は「人口減少対策」や「漁業の6次産業化」などを挙げているのだ。

いや「ハード」こそ重視すべきだ

そんな考えに、真っ向から「違う」と言い切るライバルが現れた。

藤原良信氏、67歳。

戸田氏とは年齢も近いが、経歴は全く異なる。生粋の「政治畑」だ。
大学在学中に、岩手県では隠然たる力を誇る小沢一郎氏の書生となった。その後、秘書に。そして県議会議員、参議院議員と、ステップを重ねてきた。

震災が起きた際には、当時、政権をとっていた民主党の国会議員だった。参議院の復興特別委員会で、水産業などの補助金の制度の創設に携わった。2013年の参院選で落選したが、今回の市長選に立った。

藤原氏が有権者に示したのは、戸田氏の考えとは全く違う「大船渡の姿」だった。

11月4日、選挙の事務所開きで、彼は「ポスト復興」についてこう語った。
「財源が急激に減り、間違いなく地域間競争に入る。それなのに、ここだけ幹線道路の整備が立ち遅れている。大船渡港の荷物は、釜石にスライドしてしまっている」

整備すべきは、交通網などの「ハード」。その面で、周辺の自治体との競争にすでに遅れをとってしまっているというのだ。岩手県は県の中心部に北上山脈が連なり、沿岸部と内陸部を結ぶ道路は、物流や観光だけでなく、生活を支える動脈としても欠かせない。ただ、宮古市や釜石市では、高規格道路の整備が進んでいるのに、大船渡市にはそれはない。そこを突いたのだ。

建設会社出身の戸田氏が「ソフト」を重視し、藤原氏が「ハード」を重視する。そんな構図が出現した。

そうした主張に共鳴したのか、この段階で市議会議員11人が藤原氏支持を表明した。大船渡市議会の定数は20人。つまり、半数以上が藤原氏側に付いたということだ。選挙の「票読み」の時に、地元の議員がどちらにつくかというのは重要な指標だ。

さらに、地元企業のトップも顔を出している。藤原氏は「企業からの推薦状は300」とも語った。これが額面どおりなら、予断を許さないことになるが…。

私は、風向きが変わってきたのを感じ始めた。
当初は現職が大きく優勢だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。市政の刷新を掲げる新しいリーダーを押し上げたいという声も聞こえてきた。不安や不満の受け皿となり、藤原氏は票を伸ばしそうだ。

選挙戦に突入 それでも「ソフト」を

戸田氏はそれでも、自説の「ソフト重視」を貫いた。

選挙戦で回るのも、まずは市内に801戸ある災害公営住宅だ。

半数近くの世帯が、高齢者だけで暮らしている。戸田氏は、そこで「みなさんの孤立を防ぎたい」と訴えた。もともと、大船渡は一軒家が多い土地柄だ。災害公営住宅という集団での暮らしには慣れていない。そうしたところでのコミュニティの活性化が、引いては経済の向上にもつながるというのが訴えの一つだった。

こうした場所で住民に反応を聞くと、確かに「交流できる場を作ってもらうことは大事」「独り暮らしの高齢男性は特に心配」「子どもの遊べるところが減った」「買い物が不便になった」など、生活のニーズに直結した声が聞こえた。ただ、それがどこまで票に反映されるかは、分からなかった。

もう一つ重視していたのが、漁業や農業、林業と言った第1次産業の振興だ。「水産資源の管理を行い、6次産業化も果たす」これをアピールしていた。この時点で、大船渡市漁協は戸田氏支持についたという情報がもたらされた。

さらに、「ソフト重視」といってもやはりゼネコン出身だけあって、建設業界からの根強い支持もうかがえた。

「ゲリラ作戦だ」

一方の藤原氏、18日の選挙告示後の第一声で、再びこう言った。
「潤沢な予算があるときに活用して将来像を描いていかないといけない。釜石、宮古、久慈、ほかの市は内陸をつなぐ横断道路を成立させつつある」
「そういうことが、事業者や若い世代に将来の不安と危機感を持たせている」

現在の復興のあり方を見直さなければならないと、改めて訴えた。国政経験がある自分には、今からでも道路建設ができるパイプがある、そう強調した。

さらに、漁業・水産業といっても、一枚岩ではない様子も見えた。地元で有力な水産加工会社が藤原氏を全面的に支援した。

「物流」が生命線のこの会社には、藤原氏の主張が腑に落ちた。藤原氏は水産加工会社を回り、「ともに復興を進めたい」と呼びかけた。

ある選対の幹部は言った。「ゲリラ作戦で票を獲得するしかない。向こうを支持する人たちに直当たりして、1票でもこちらに引っ張る。向こうもやるだろうが、それくらい緊迫した選挙だ」

政党も動いた

基本的にはどちらの候補も無所属だ。

ただ、戸田氏は国民民主党の県連の推薦を受けていた。また、選挙戦の中では「共産党の地元支部が戸田氏への自主支援に回った」という情報がもたらされた。

この報に、藤原氏の選対幹部は、「せっかく背中にタッチできるところまできたのに…」と苦渋の表情を見せた。

一方、市議会議員の過半数の支持を得ていた藤原氏。自民党大船渡支部と政策協定を結んで支援を受けることを確認していた。しかし、民主党の議員だった藤原氏が自民党に近づいたことで、様々な方面で少なからず波紋が生じたという。

ただ、藤原氏の街頭演説では、比較的若い人が目についた。決して大声で声援を送るわけではなかったが、日を追うごとにその数は増えているように感じた。決戦の日に向け、勢いはさらに加速しているようにも見えた。

選挙戦を取材して、私がデスクに報告したメモの一節を公開しよう。
「○○のサンプル調査では、数ポイント差で現職・戸田氏が優勢だったというが、予断を許さない展開」

激戦の果てに

そして迎えた11月25日の投票。投票率は、なんと前回を6.57ポイントも上回り、73.91%に。30%を切ることもある昨今の地方選挙では、極めて高い投票率となったのではないだろうか。

私は開票所となった市の施設に向かい、そこで開票作業を見守った。刻々と票計算の機械に飲み込まれていく票。やはり大接戦だ。

それでも開票開始から1時間余りたったその時、決着はついた。

戸田公明 1万2074票
藤原良信 1万1052票

1022票差という接戦を、現職の戸田氏がものにした。私は、当選ラインを超えた時点で、局で報告を待っていたデスクに電話で一報を伝えた。あまりの僅差だったので「本当か」と尋ね返され、数字を何度も見返した。

当選直後のインタビューで、戸田氏か開口一番に言ったのが「苦しい戦いだった」ということだ。
そして、自分の訴えが受け入れられた、としながらも「さまざまな観点から大船渡市の課題の切り口がある。対抗馬には別の切り口があった」とも語った。

そう、復興には、様々な考え方がある。

「ポスト復興」に向けての進め方は、大船渡だけでなく、被災地に共通する課題だ。来年2月には、隣の陸前高田市でも市長選挙が行われる。そちらでの論点は、市の中心部にできつつある巨大な「かさ上げ地」の利用方法が、依然として6割ほどで未定であること。今回の選挙と同じように、現職と新人が立候補を表明していて、やはり激しい論戦になるだろう。

被災者がどのような復興への道を求めているのか、本当の意味で豊かな復興とは何なのか。選挙とは、それが端的に表れるものの一つなのかも知れない。それを今後も、できるだけ近くで取材していきたい。

それはさておき、選挙戦の取材も一段落。被災地のためにも、まずはことしのサンマが豊漁でありますようにと、願わずにはいられない。みなさんにも、三陸の美味をぜひ味わっていただきたい。

盛岡局記者
舟木 卓也
平成25年入局。水戸局を経て盛岡局。今夏から大船渡・陸前高田支局に赴任。復興途上の被災地で課題と未来を掘り起こしている。趣味はラーメン屋巡り。