彼女は言う「ならば、に」

東京の大学に入った。
大学院で勉強しているうちに、ふるさとの町の議員になった。
その町で、2人の子どもを産み、30歳を過ぎた。
住みにくい、生みにくい、人が減る。どうしよう。
その時、彼女が選んだのは「町長」になる道だった…

若い女性の首長の誕生、それは限界に直面した地方の、生き延びるための選択が形をとったものなのかも知れない。
彼女たちは言う「私が、変える」と。
(新潟局 氏家寛子/福井局 石塚知和)

「衰退の漂う町で、子育てしたくない」

彼女はそこに、子どもを抱いて現れた。

しかし、同じ世代の男女の姿は、決して多くはない。なぜならここは、65歳以上が4割を超える新潟県津南町だからだ。彼女は、その町で、あえて責任を負う道を選んだ。

桑原悠、31歳。

2018年6月24日、彼女は、全国最年少の町長になることが決まった。わずか192票差での当選だった。

なぜ、彼女は町長になることを選んだのか。
「衰退の雰囲気が漂う町で子どもたちに育って欲しくない。いま立ち上がらなければ、手遅れになる」
この強烈な思いが、駆り立てた。

みずから、「子育て中で、人生経験も浅い自分に有権者は不安を持つだろう」と語ってきた。しかし、いや、だからこそ、当選という結果には「町民のみなさんにまっとうな判断をしていただいた」と力を込めて語る。

学生が議員になるという選択

この映像は、彼女が東大の大学院で学んでいた頃のものである。

当時、25歳。彼女はその年、ふるさと津南町の町議会議員になった。

その選択には、理由がある。彼女の師の名前は、増田寛也。そう、「消滅可能性都市」という言葉を全国の自治体に突きつけた、政治家であり研究者だ。日本社会は衝撃を受け、自治体は「人口減少社会」に真剣に向き合うようになった。そんな人物のもとで「公共政策」を学んだからこそ、彼女は自治体の運営に興味を持った。

そして、東日本大震災の翌日に発生した、長野県北部地震。津南町も震度6弱の揺れに襲われた。彼女はその年の10月に、学生のまま議員に立候補している。なんとトップ当選だった。

当時、立った理由は「ふるさとを復興させたい」だった。

そして母になる

それから2年。彼女は養豚業を営む4歳年上の男性と結婚。議員活動をしながら、2人の子どもを生んだ。最近、議員の産休は大きな議論になるが、彼女は自分で町議会での産休制度の創設に奔走。ハードルを越えていった。

それができたことには理由があるという。義理の両親、祖父母と4世代8人で暮らしているからだ。
「家族のサポートを得ながら働くことができるのが私の強み」
と語る。
いま、子どもは3歳と1歳。子育て世代が働ける環境は、当然あるべきだと考える。わが子が使ったベビーベッドを、役場に持ち込んで使ってもらおうとしている。子育て世代が意見を言える雰囲気を作りたいというのだ。

豪雪のなかで

津南町という場所をご存じだろうか。
長野県との境にある山あいの町で、全国でも有数の豪雪地帯。「平成18年豪雪」の際には、4メートルを超える積雪で集落が孤立し、200人近くが閉じ込められた。

主要産業は農業。「魚沼産コシヒカリ」や「雪下にんじん」で知られる。

全国で市町村の合併が相次ぐなか、合併の選択をせず、自立の道を選んだが、昭和30年に2万人を超えていた人口は、半分以下の9800人にまで減ってしまった。

彼女が見たのは、そんな町の現実だった。町立病院は赤字、観光施設は老朽化。そして若者は…
「私が自分でやるしかない」
そう、思った。14人の町議の1人ではダメだ。その権限があるのは…町長だ。

前へ、前へ

町長当選が決まった夜、9時すぎに支持者が集まる祝いの席へ。

やはり、「子育て世代」は多くはない。その様子を見ただけで、「若者の支持を集め当選」などと、生やさしいことで語れないことが分かる。

彼女は、話を聞く耳をもっている。実に細やかに、支持者の間を回る。そして、一人一人の話に、こういう表情で話を聞いていく。従来の保守層の支持も、着実に得た。

「子育て世代への支援」「農産物のブランド化」、彼女が示した政策は、いま、多くの候補者が示すものと大差ないように聞こえる。しかし、彼女には「カード」がある。東大大学院時代に仲間になった、中央省庁の官僚をはじめとした町外の人脈だ。新たな投資を呼び込みたいと思っている。
だから、彼女の訴えは、全て前を向いたものだという。

引退を決めた前の町長が、支援に回ったことも大きかった。上村憲司氏。この夜、満面の笑みだった。彼女の「前へ」を評価する。

「いま地方自治体で、課題を抱えていないところはない。3人の候補者の誰よりも、前を見た訴えだった。後ろを振り返るのではなくて。それが評価されたのでは」

全国最年少の町長ですよ。
「おおっ、ああそうなの?もう何年も議員をやっていたので、そう年を感じなかった」
彼女の貫禄なのか。

2番目に若い女性市長

その1週間前、福井県で初めての女性市長が、大野市で誕生していたことをご存じだろうか。

石山志保、44歳。

全国で2番目に若い女性市長だ。大野市には、実はゆかりがなかった。出身は愛知県安城市。大野市は夫のふるさとだ。
環境庁の官僚だった彼女は、結婚を機に退職し、大野市に。社会人の採用枠で、市役所に就職した。
市長という彼女の選択、理由は何だったのか。

しがらみも少ない

前市長の方針を引き継ぐという彼女。
ただ、こだわっていることがある。小学生の母親として、どうしてももう一度考えたい。それが学校再編だ。市内にある5つの中学校を1つに、10の小学校を2つにする計画で、すでに正式に決まったものだ。
いま一番話を聞くべき、子育て世代の反対意見や不安の声を放っておいていいのか。それで本当に地域のためになるのか。自分の目と耳で確認しないと、決められないという。

地元出身では無い彼女への、陰口も耳に入る。それでも彼女は笑う。
「縁故は少ないが、しがらみも少ない」と。

「このままではまずい」が生んだ現象か

「2000年に入って、少しずつ数が増えてきている」
東海⼤学政治経済学部の辻由希准教授は、⼥性⾸⻑のこれまでの傾向について、どちらかと⾔えば、組織を固めてというより、ゆるやかな市民の連帯という形で選挙戦が展開されやすい都市部に多いと説明する。

その一方で、今回、地方で続いた若手女性首長の誕生について、
「高齢化、人口減少の中で、『自治体消滅』の可能性まで指摘されるようになり、『このままではまずい』というのが一般常識になった。新しいアイデア、新しい人材で何かを変えようという意識の表れと見ることもできる」と分析している。
「今回のような動きがひとつのお手本のようになれば、ほかの自治体にも広がっていくと思う」

“例を示して”

最年少町長となった桑原氏のもとには、いま全国から応援のメッセージが寄せられている。
その中には小池都知事もいる。祝電を送った。「ぜひ女性の視点、政策立案能力を生かして、こうやって地域が元気になるという例を示してほしい」という。
次々と生まれた、若い地方の首長たち。彼女たちのリーダーとしての成否は、もはや彼女たちだけのものではない。

新潟局記者
氏家 寛子
平成22年入局 水戸局、岡山局を経て、新潟局で行政・教育など担当。おととし出産し1児の子育て中。趣味は旅行。
福井局記者
石塚 知和
平成13年から大野市を含む奥越地域を担当。地域の話題や選挙などを取材。