これって“格下げ”
国会議員が町長に

2月18日に行われた宮城県利府町の町長選挙。当選したのは「元国会議員」。市議会議員から市長、県議会議員から知事、国会議員などの例はよく耳にするが、逆に、国会議員から町村長に転身するケースは極めてまれだ。
また最近は、比較的規模の小さい市の市長になる「元国会議員」も目立つ。一体何が起きているのか。
(仙台局 川田陽介/山口局 渡辺謙/神戸局 井上幸子/政治部 安藤和馬)

国会議員から町長へ

2月18日午後10時すぎ。利府町長選挙の候補者、熊谷大さん(43)の事務所は、当選が決まったという知らせにわき上がった。

現職の引退に伴って、過去最多の新人4人が立候補して激しい選挙戦となった今回の町長選挙。熊谷さんは集まった人たちに、「国会の経験をいかして頑張れとエールを送ってもらった結果だ」と胸を張った。

宮城県のほぼ中央部に位置する利府町。仙台市のベッドタウンで人口約3万6000人。

熊谷さんは、おととしの参議院選挙の宮城選挙区に自民党の現職として立候補。それまでは定員2人で、与野党がわけあってきたが、前回から1人に減り、一転して少なくとも現職のどちらかは議席を失う「ガチンコ勝負」に。

熊谷さんは敗れた。リベンジに向けて政治活動を続ける傍ら、人材育成のコンサルタントの仕事も。そんな時、現職町長の引退を聞き、妻にも相談して立候補を決断した。

「『国会議員に戻らなくていいのか』と心配してくれた人もいましたが、迷いはなかったです。『格下げ』という感覚もありません」と話す熊谷さん。

「今は、責任の重さを感じています。これからは、国と地方自治体は同等で、地方のリーダーが、より強いリーダーシップを発揮できる時代になっていくのではないか。国会議員出身の首長は、さらに増えていくのではないでしょうか。今まで培ってきた『政治資源』を最大限発揮して、汗をかいていきたいと思っています」

『先輩』は山口県に

実は、元国会議員の町長には『先輩』がいる。 山口県の東南部、人口約1万2000人の平生町。

山田健一さん(71)は、県議会議員を経て社会党の参議院議員を1期務め、平成10年の町長選挙で当選し現在5期目となる。

町長の生活は「地域密着」だ。朝5時。山田さんの1日は1時間のウォーキングから始まる。町民とふれあう朝の時間を初当選以降大切にしている。午前8時には役場に出て公務をこなし、ランチはほとんど町長室でとる。この日は、好物の焼きサバと卵焼きの入った「愛妻弁当」。夜は、日程がなければ午後6時ごろに帰宅するという日々だ。

「地域の問題を解決すれば、『助かった』『ありがとう』と直接反応が返ってくる。打てば響く『達成感』も感じます。ただ、有権者との距離が近い故に、『あれをやってくれ』『これをやってくれ』と頼まれて困ることもありますが(笑)」

今も忘れない緊張感

ーーー国会議員と町長のいちばんの違いは。

山田町長:『緊張感』ですね。議員は代弁者だが、首長は住民の生命財産を守る責任者。10年余り前に、町内の工場で爆発が懸念されたトラブルが起きて、住民を中学校に避難させましたが、実際に爆発が起きたらどうするか、もっと遠くへ避難させるべきかなど決断が求められました。町民の命を守る『緊張感』、あのときの感覚はいまも忘れていません。

「地域の役に立つという政治家の理念は国会議員も町長も同じで、町民のためには、与党も野党も関係ない」という山田さん。 『後輩』の熊谷さんにエールを送る。

「最初は『町長で名を売って、また国政を目指すんだろう』とも言われましたよ。国政時代の人脈や経験は必ず住民のためになります。ただ、選挙で戦った人たちも含めて、町に溶け込んでいかなければならないので、時には頭を下げることも必要です。住民を巻き込みながら進めてもらえればと。やりがいがあるので頑張ってほしいです」

目立つ首長への転身

知事や政令指定都市の市長に転身する「元国会議員」は少なくないが、最近は、比較的規模の小さい市の市長に転身する「元国会議員」も目立つ。

1月だけみても、福岡・久留米市長に大久保勉さん、沖縄・南城市長に瑞慶覧長敏さん、岐阜市長に柴橋正直さん、福岡・太宰府市長に楠田大蔵さんが市長選挙で当選。いずれも、旧民主党の国会議員だ。

野中広務氏の後押し

兵庫・宝塚市にも「元国会議員」の市長がいる。

中川智子さん(70)は、社民党の党首だった土井たか子さんの影響を強く受けた。衆議院議員を2期務め、当時から気さくな「おばちゃん」で知られた。2009年の市長選挙で初当選し、現在3期目。

ーーーなぜ市長になろうと思ったのか?

中川市長:当時、宝塚市は、2代続けて市長が贈収賄で逮捕される異常事態で、市民もうんざり、職員も疲弊していました。国会での経験を生かして、弱い立場の人たちに光が当たる「温かい政治」を実践したくて、社民党の先輩で、広島市長だった秋葉忠利さんたちにも相談したんですが、なかなか答えが出せなくてね。

それで、国会議員時代からお世話になっていて、先日亡くなった野中広務さんに電話したんです。「悩んでるんです」と。野中さんは町長の経験もありますから。そしたら「やりなさい」と。

「市長はね、まちを作れるんだよ。君は宝塚が好きなんだから、もっと好きになれるように、もっと市民が喜んでくれるようなまちにすればいい」と言ってくれて、ものすごい勇気をもらいました。野中さんのひと言で決断しました。

(写真:初当選し万歳する中川氏 2009年)

再度 国政目指す?!

「もう10歳若ければ、もう一度、国政を目指したいくらいですよ」
中川さんのこの言葉には、地方の置かれた厳しい状況がある。

中川市長:『地方創生』とか言いますが、地方に頑張れと言うなら地方が行革して切り詰めなくても実現できるよう、もっと地方交付税が必要です。

『地方創生』で、人口を増やすと言ってもきれいごとじゃないんです。うちのまちで暮らしてくださいというのは、ほかから引っ越してくださいという「人口の取り合い」にすぎません。

ある自治体が小学生の医療費を無料化する、じゃあうちは中学生までやる。こんなことを続けていたら、自治体はどんどんつぶれてしまう、そんな危機感を強く持っています。国会議員にも実態をもっと知ってもらいたい。そのためには、政治家がもっと国と地方を行き来してもいいくらいだと思っています。

背景には何が

こうした状況の背景には何があるのか。 みずからも衆議院議員から三重県知事に転身した経験のある早稲田大学名誉教授の北川正恭氏に聞いた。

ーーー地方の首長に転身する元国会議員が目立つが、背景をどう見るか。

北川氏:最近は、その時々の風が当落に影響する傾向があるので、かつてより「政治を志す」ことが軽い感じになってきて、「国政がダメなら市長」というように、転身のハードルが低くなっている気がします。また、地方分権が進み、首長自身が判断できる範囲が広がってきたことや、首長が再就職先になっているという要素もあると思います。

ーーー国政選挙で敗れると、復帰が難しいという側面は。

そこを資金的にも基盤的にも担保するのが政党の役割の1つですが、日本は政党の人材育成の機能が弱いと思います。「公募」で候補者を選ぶこともありますが、いまだに、世襲や地縁・血縁で決まるケースが多いですよね。例えば、イギリスでは、政党が新人を発掘し、ふるいわけをして、トレーニングする機能が進んでいて、サッチャー元首相もブレア元首相も、その中で出てきた人たちです。

ーーー自身が三重県知事に転身した理由は。

1995年の「地方分権推進法」の成立に政治生命をかけて取り組みましたが、ちょうどその頃、当時の知事が引退を表明し、周囲から推されました。私自身、「地方分権推進法」を現場で実践することも一つの役割かなと思って、立候補を決めました。

(写真:三重県知事選で当選した北川氏 1995年)

ーーー国政経験のメリットはある?

あると思います。私は国政を4期務めて、議会の運営も分かっていたし、各省庁の幹部クラスも知っていたので、恐れることはありませんでした。国会議員の前に県議会議員も経験していたので、表も裏も分かった上で、知事をできたのはよかったです。

ーーー元国会議員の首長には何が求められる?

国会議員は納税者の声を国政に届ける立場ですが、首長は行政の責任者。つまり、税金を徴収し管理する側になります。それだけに「自分が民意の反映者だ」という自覚を持って、市民の側に立った行政を行ってもらいたいと思います。そうしないと「地方創生」は夢のまた夢になってしまいますから。

「国会議員はつぶしがきかない」
永田町を取材しているとそんな話をよく耳にする。
落選すれば、人は離れ、カネもなくなる。復帰は容易でない。とりわけ、衆議院は小選挙区制度のもとでこの傾向は強まっているのではないかと感じる。

しかし、落選しても一定の知名度は残る。北川さんも指摘したように、首長が、さまよう元国会議員の「再就職先」となっている側面もあるのかもしれない。来年の統一地方選挙に向けて、これから地方の政治が注目される時期になる。国会議員も町長も有権者の審判を受けるのは同じだ。住民とより真摯(しんし)に向き合い、住民の生活の向上に尽くしてもらいたい。

 
山口局記者
渡辺 謙
平成22年入局。津局、秋田局を経て山口局岩国支局へ。米軍岩国基地・防衛問題などを取材。
仙台局記者
川田 陽介
長崎局、宮崎局を経て仙台局へ。地元・宮城で震災やスポーツなどを担当。仕事のモットー:生活者の視点を大切に
神戸局記者
井上 幸子
平成6年入局。和歌山局、科学・文化部、大阪局を経て、現在、神戸局。