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【社会保障70年の歩み】第12回・労災保険「過労死もサリン事件も」

2015年07月28日(火)

明治期、「工場法」の立案者は、職工を「生産用具の一種と見なすべきもの」と説明したほど労働者の扱いは機械以下であった。1931(昭和6)年、やっと成立した「労働者災害扶助法」等も適用範囲は狭く、補償は薄く、近代的な労働者保護にはほど遠かった。
他の労働法制と同様に1946(昭和21)年公布の「日本国憲法」に「労働者の権利と保護」(第27条)が明記され、長く暗い時代からの脱出が始まった。
 

1947(昭和22)年、「労働基準法」の制定で災害補償が義務付けられ、その実行のため「労働者災害補償保険法」も同時に制定された。名称に「補償」とあるのが、この保険の独自性を示す。それは使用者側に何らの過失が無くとも責任を課す「無過失賠償責任」の理念が根底にあるからだ。
さまざまな業務上の事故や病気が発生するが、その個別の事業主の賠償責任を国家規模の保険システムに仕上げた。パートタイマーやアルバイトを1人雇えば事業主は労災保険に加入の義務がある。不法滞在の外国人を雇っても事故が起きた際には事業主は責任を負う。事業主は保険料を全額負担し、被用者(勤め人)の負担はない。つまり国家による社会保障制度の一環になった(公務員は独自の災害補償法を持ち、民間被用者対象)。
労災事故の認定は①業務遂行性(仕事を進めるうえでの事故)②業務起因性(仕事が原因で起きた事故)の二つの条件を満たすこと。建設現場などで起きる転落事故は、この二つの条件に当てはまるが、私的なトラブルでもみあい落ちて業務起因性が認められないケースもある。もっと難しいのは後述する「過労死」「過労自殺」の認定である。
労災事故に認定されると、治療面はもちろん、障害が残っても大きな支えになる。事故の対象範囲、補償の水準、その方法などは各種の職業病の発生や被災者の運動を軸に繰り返し議論され、ゆっくりだが改善・改良されてきた。
 


1960年代、採石・採炭・セメント製造の現場では、労働者が珪酸(けいさん)を含む粉じんを吸い込み、「珪肺」(けいはい)が深刻な問題になった。肺機能が侵され、肺炎や肺結核等の合併症を併発する不治の病である(現在は石綿等を含め「じん肺」と総称)。

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日本の素顔「職業病」1961年9月放送

 

長崎県佐世保市で、ある炭鉱夫はこんな歌を残した。「炭塵(たんじん)に冒され(おか)来し我が肺の黒き斑点は消えがたからむ」「発作出で胸かきむしる苦しみに這ひ転(ころ)伏(ぶ)して我は咳(しは)ぶく」。最重症の認定を受けたのは死の1か月前であった。退職から5~10年も経て発症することが多く、訴訟を起こしても患者たちは時効の壁に泣かされた(澤田猛著「黒い肺」、未来社)。
当時の労災保険は療養が3年以上経過後に一時金を払い補償を打ち切っていたが、1960年と1965年の改正で、傷病補償年金や障害補償年金による長期補償へ切り換えられた。
65年改正では従業員5人以下の事業所も全面的に強制加入にされ、大工や左官などの「一人親方」(経営者兼従業員)や、中小企業事業主とその家族従業向けの「特別加入制度」が導入された。
1973年には「通勤災害」が加えられた。通勤・退勤途上の転倒、転落、落下物被害、交通事故などに適用される(経路を外れた「逸脱」や関係のない飲食店立ち入りや映画鑑賞等の「中断」を除く)。交通事故等は事故原因者への民事損害賠償請求権と労災保険の給付請求権が同時発生し、損害の補填が重複しないように支給調整される。
「地下鉄サリン事件」(95年3月20日)で被害者は通勤災害の認定を受けた。「東日本大地震」(2011年3月11日)は午後2時46分発生で就業中の人々が多く、自然災害ではあったものの、「危険な環境下での仕事」と解釈され、被災者の大半が労災認定を受けた。

 

現在は、労災認定により7種類の保険給付が受けられる。▲「療養補償」は、労災病院や労災指定病院で医療サービスを無料で受けられる(指定外の医療機関では償還払い)▲「休業補償」は被災前の収入の8割を補償▲「障害補償」は傷病の治癒後に障害が残った場合に年金か一時金を支給▲「遺族補償」は遺族に年金か一時金を支給▲「傷病補償」は療養の開始後1年半経過しても治らない場合、傷病等級に応じ年金を支給▲「介護補償」は障害補償年金、傷病補償年金の受給者が介護を受ける際に現金を支給▲葬祭料(通勤災害も同様の給付7種類)。
保険料は、過去の災害発生状況等を勘案し事業主に対し業種(55業種)ごとに総賃金の最低0.25%(金融、通信業等)から最高7.9%(水力発電、ずい道新設)を課す(うち0.06%は通勤災害等向け)。また、業務災害の多少に応じ保険料率を増減させる「メリット制」を設ける。


労災保険制度の大きな問題のひとつは、死傷事故の報告を怠る「労災隠し」である。
土木建設等では元請け・下請け・孫請けと仕事は重層化され、労災事故が多発すると、下請け等は契約を打ち切られたり、官公庁の入札に元請けが参加できなくなったりする。それを恐れて事故を隠すことがある。不法滞在の外国人労働者雇用を伏せるため事故を隠そうとするケースも少なくない。
先進国では特異な「過労死」も依然として多発している。脳・心臓疾患が代表例で、業務が主因でストレスや過重な負担を引き起こしたのか、高血圧等の基礎疾患が自然に悪化したのか、「業務起因性」の判断が難しい(2014年度で過労死の請求は763件、うち労災認定は277件)さらに近年は「過労自殺」も急増している(同年度で精神障害等の請求は1456件、うち認定497件)。
欧米では「過労死」を意味する言葉自体がない。国際的に「KAROSHI」と表記されるのは、労働時間が異様に長い傾向や労働者の立場の弱さを象徴している

第13回・子育て支援「スターティング・ストロング」に続く

執筆:宮武 剛
    元新聞記者。
    30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
    社会保障、高齢者福祉の専門家。

連載【社会保障70年の歩み】
プロローグ「首相への挑発状」
第2回・生活保護「1年パンツ1枚」
第3回・生活保護「水と番茶の違い」
第4回・医療「無保険者3000万人から」
第5回・医療「日本型の長所・短所」
第6回・医療「皆保険という"岩盤"」
第7回・介護「措置という古い上着」
第8回・介護「選べる福祉へ」
第9回・年金「開戦時に産声」
第10回・年金「お神輿の担ぎ方」
第11回・雇用保険「育児も支える」

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