本文へジャンプ

【社会保障70年の歩み】第9回・年金「開戦時に産声」

2015年05月08日(金)

勤め人の老後を支える「労働者年金保険法」の公布は1941(昭和16)年3月であった(施行は翌年)。日本海軍がハワイ・真珠湾を急襲し、太平洋戦争が始まる9ヶ月前のこと
なぜ、この時期だったのか。
 

さまざまな説がある。
立法の目的は「労働者をして後顧(こうこ)の憂いなく、専心(せんしん)職域に奉公せしめる」とある。戦争遂行へ、軍需工場や鉱工業で働く労働者の確保が急務だった。働けば年金をもらえる“アメ玉”で誘う狙いだろう。
膨大な軍事費調達に紙幣を大増発し、物価暴騰は必至、その防止策に年金の保険料納付で労働者の購買力を吸い上げる必要もあった。保険料は積み立てられ、軍事費に借用もできる。これら複合的な理由で、年金制度本来の理念や目的にはほど遠かった。
その労働者年金保険の概要は、①強制加入の対象は鉱工業等で働く10人以上の事業所の現場労働者②保険料は月収の6.4%、石炭採掘等の坑内夫は8%(労使折半)③給付は20年以上の加入で55歳から老齢年金支給(坑内夫は15年以上、50歳支給)。廃疾(障害)や死亡時の保証もあった。
1944年には早くも改称・改定され、「厚生年金保険法」になった。当時は「労働者」や「社会」の表現は、労働運動や社会主義思想を連想させると避けられ、「厚生」(国民の生活を豊かにする意味)に切り換えられた。対象者は事務職や女性へ拡大され、保険料を月収の11%、坑内夫は15%に引き上げ(労使折半)、遺族年金の終身支給等も加えた。


社会保障制度は、この年金制度のように必ずしも働く人々への支援だけではない。「社会保険の母国」と言われるドイツでの立法目的が象徴的だ。

ドイツを統一した当時の宰相・オット-・フォン・ビスマルクは、多発する労働争議や革命運動を徹底的に取り締まりながら、一連の社会保険を整備した。「ビスマルク3部作」と呼ばれる疾病(医療)保険(1883年)、労働者災害保険(1884年)、傷害・老齢保険(年金制度・1889年)である。弾圧と懐柔(かいじゅう)を組み合わせる“ムチとアメ”の政策だった。

米・英・仏などに追いつき追い越そうと、「富国強兵」を目指す日本にとって、ドイツは格好のモデルで、医療保険に次いで年金保険の“輸入”を急いだ。
しかし、厚生年金制度はたちまち敗戦という国家の崩壊に巻き込まれる。加入者約832万人が敗戦直後には約433万人に半減し、仮死状態に追い込まれた。


1954(昭和29)年、ようやく新法の成立で再出発を図る
概要は①保険料納付に応じ年金が高くなる報酬比例のみの給付を改め、低所得者にも一定額を保証する定額部分を加えた②支給開始を男性55歳から60歳へ引き延ばし③国庫負担を給付費の10%から15%へ引き上げ④保険料率は月収の3%(労使折半)。
労使ともに負担増を嫌い、保険料率は極端に引き下げられた。それは、各人の保険料納付と運用益で年金を支給する「完全積立方式」から、現役世代の保険料も財源にする「修正積立方式」、やがては現役世代の仕送りに頼る「賦課(ふか)方式」へ移行していく第一歩になった。厚生年金は再建されたが、当時の就業者約4200万人のうち、厚生年金、公務員らの共済年金の加入者は約1200万人に過ぎなかった。

1950年代後半の選挙では、農林水産業者や自営業者を対象にする「国民年金」の創設が最大の争点になった。社会保険方式か、税方式か、政党や有識者やメディア等による激論の末、1959年「国民年金法」が制定、1961年度から施行された。国民全員が健康保険証を持つ「国民皆保険」と同時発足の「国民皆年金」の実現である。


20150508_001.jpg
国民年金手帳

20150508_004.jpg
記者会見する古井喜実厚生相
1961年1月5日NHKニュース「拠出型国民年金 あすから徴収」


主な内容は①20~60歳を対象(ただし、厚生年金、共済年金等の加入者を除く)。厚生年金等に加入する夫が扶養する妻や学生は任意加入②社会保険方式。ただし、発足時50歳以上は納付期間も短く70歳から全額税による老齢福祉年金を支給。20歳前に障害者となった場合も税で障害福祉年金を支給(いずれも一足早く1959年度施行、恩恵的な制度で低額だった)③保険料は20~35歳未満は月額100円、35歳~60歳未満は同150円④保険料25年納付で月額2000円、40年納付で同3500円を65歳から支給(経過措置で最短10年納付も認める)⑤国は保険料収入の2分の1相当を保険料とともに将来に備え積み立て。自営業者は農地や商店等の資産を持ち、定年もない。そのためお手本のドイツでは任意加入だが、日本では「全国民に」という平等が大事にされた。

しかし、難問が残った。どんな形で保険料を徴収するのか。
自営業者の所得は売上高から経費を差し引いた利益で、自己申告に頼る。豊作・豊漁や不作・不漁で変動も激しい。その「所得把握が困難」ゆえに保険料率の適用はできず、「当面は」と定額保険料にされた。月額100円の出発時はともかく、保険料が高くなるに連れ、高所得者の目立つ個人経営の開業医、弁護士等にも、低所得者の多い零細な商店主、5人未満の個人事業所従業員等にも一律同額の保険料を課す矛盾が拡大していく。

この「当面は」の措置は、実に半世紀を超え大きな宿題で残る(2015年度の保険料1万5590円)。



第10回・年金「お神輿の担ぎ方」に続く。

執筆:宮武 剛
    元新聞記者。
    30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
    社会保障、高齢者福祉の専門家。

連載【社会保障70年の歩み】
プロローグ「首相への挑発状」
第2回・生活保護「1年パンツ1枚」
第3回・生活保護「水と番茶の違い」
第4回・医療「無保険者3000万人から」
第5回・医療「日本型の長所・短所」
第6回・医療「皆保険という"岩盤"」
第7回・介護「措置という古い上着」
第8回・介護「選べる福祉へ」

コメント

年金計算の仕方、40超えてようやく理解出来てきました。
サラリーマンのときは、収入もある程度一定であり、一律で天引きされていたのであまり関心ありませんでした。

しかし、最近毎月の収入が不安定になり、年金だけで月の収入の2割近くを納める形になってきました。

残業や住宅手当て、通勤費、その他総支給額からの計算の上に、前払い制度。随時改定も、変動あった月から3ヶ月たってないと再計算できず、2等級以上の変動があった場合や色々ややこしい縛りがある
労働環境などが変わり、給与が半分近くに減っても給与が多い時のまま徴収されるこの制度。おかしいと思いませんか?
年金機構や会社に相談しても、決まっていることだからととりつく島もなし。
改正するために働きかけるところもわからず、おかしいと誰も思ってないのでしょうか?

投稿:年金徴収おかしい 2017年07月20日(木曜日) 19時43分

日本は、平等を大切にしますが、年金を定額にすることもある側面からは正しいようにも感じます。
仕事をしてそれに見合った賃金を頂くからこそ、たくさん稼ぐためにどのように頑張れば良いかを考えるのではないでしょうか。
働けないことは、それぞれ事情があるのもありますが、たくさん稼いでいる人が楽をしているわけではなく、将来年金がもらえるかどうか不安な若者にとっては、老後の生活のための貯金に励むのも仕方のないことのようにも感じます。

投稿:むらた 2015年06月11日(木曜日) 17時40分

貧困の格差が広がる中で、低所得者と高所得者が一律に負担する矛盾を早急に解決して欲しいと思いました。「当面の間」とは、いつまでをさすのか、明確でないため期限を決めた中でそろそろ本格的に課題に向き合って欲しいと感じました、

投稿:みきこ 2015年05月27日(水曜日) 23時12分