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【社会保障70年の歩み】第5回・医療「日本型の長所・短所」

2015年03月05日(木)

「国民皆保険」が1961(昭和36)年度から始まる前、すでに日本医師会を率いていた武見太郎会長は、こう警告した。
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「いまの医療制度で皆保険をやるのは、軽便鉄道のレールを全国に広げ、そこに特急列車を走らせるようなものだ」(「実録・日本医師会」)


医療機関の状況を、貨物を運ぶ程度の粗末な鉄道にたとえ、患者という乗客が殺到すれば、脱線・転覆してしまう、というのだ。25年間も会長に君臨し、医師のストライキ(保険診療の拒否)までやって「ケンカ太郎」と呼ばれた大物医師の診断である。


確かに、皆保険によって市町村運営の国民健康保険(市町村国保)は当時の3670市町村全域に広がり、加入者は約4900万人に膨れあがった。一方、地域の中心部から半径4㎞以内、人口300人以上で診療所もない「無医地区」が全国1489を数えた(1960年度)。「保険証は手にしたが、村には医者がいない」「うちの町には病院がない」との嘆きや怒りが各地で聞かれた。

しかし、国民全員が保険証を持つことは、医療機関の確実な収入源になる。国民の所得も、1964年の「東京オリンピック」開催へ向かう高度経済成長で着実に増えた。
当時の統計では、1955年末~65年末の10年間で、病院は年間ざっと平均200か所、診療所は同1300か所ずつ増え続けた。公的な医療保険と医療供給体制とは二人三脚で普及する。それは、近年も「介護保険」創設と介護サービスの飛躍的な拡充で再現されている。

当然ながら医療費は急増していく。
医療技術・医薬品の高度化、薬づけ・検査づけの傾向、保険給付率の改善(市町村国保で62年10月、世帯主7割・窓口負担3割、65年から段階的に世帯員も同様)、やがて迎える高齢化などの複合的な費用膨張である。
すでに死語に近いが、「健保」に加え「国鉄」(民営化前の国有鉄道)、「米」(国が米を買い上げた食糧管理制度)は、ローマ字読みで最初は「K」の「3K赤字」と呼ばれた。
保険料率の引き上げ、大幅な公費補助の投入、診療報酬の抑制、職域(被用者)保険の給付率引き下げ(つまり窓口負担の引き上げ)などと対策も複合的に繰り返された。


画期的な制度・サービスも、時代の変遷につれ、制度疲労や不適応を引き起こす。その代表が、皆保険の基盤である「市町村国保の変貌」と「病院頼み」の体制だ。

時代を一気に近づけるが、市町村国保の加入者の職業別構成は、皆保険から半世紀で劇的に変わった。
発足間もない1965(昭和40)年、加入者総数に占める農林水産業者は約4割、商工業者らは2割余を占めた。それが2012(平成24)年には何と2.4%と11.5%まで落ち込んだ。(以下図1参照)
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図1:市町村国保の職業別割合(世帯主)


農林水産業と零細な商工業の衰退、高齢化に伴う年金生活者の急増、正社員数を抑える企業運営が生み出す非正規労働者の大量出現を映し出す。それが市町村国保に高齢化・低所得化・疾病多発の三重苦をもたらした。
同時に、市町村合併もあって国保は1700余に集約され、加入者総数は発足時の約4900万人から約3500万人に激減した。特に地方の過疎化に伴い加入者3000人未満の市町村国保が全体の4分の1に達した。零細な保険集団は、風邪でも流行ればすぐ赤字に陥り、リスク分散が難しい。
もうひとつ、医療機関の整備・拡充も日本独自の道を歩んだ。欧州主要国では自治体やキリスト教会によって公的な病院が建設されたが、日本では病院も診療所も「自由開業制」の下、大半は民間の力で整えられた。そのため病院数やその配置、治療内容やベッド数に対する規制は難しい。
しかも、患者が自由に医療機関を選べる「フリーアクセス」が当初から認められた。欧米の病院は原則的に入院専門だが、日本では外来(通院)の患者も受け付ける。自分の「家庭医」を決める制度もなく、大病院志向が強まっていく。
人口1000人当たり病床数は13.4床で、フランスの2倍、イギリスやアメリカの4倍強に上る。しかも、平均入院数は長く、100床当たりの医師数、看護師数は極端に少ない。さらに外来患者も引き受ける(図2参照)
「多い・長い・少ない」と言われる日本医療の特徴である。
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図2
 

病院頼みの象徴は、1977年には病院での看取り数が「自宅死」数を超え、いまや死亡総数の約8割は「病院死」になったことだ。超高齢社会は大量死の時代を意味し、このままでは病院はパンクしてしまう。
市町村国保という基盤に亀裂が走り、病院中心の医療は壁にぶつかった。
いわばハードとソフトの両面で「皆保険」は危機を迎え、いま再構築への取り組みが始まりつつある。

第6回・医療「皆保険という“岩盤”」へ続く。


執筆:宮武 剛
    元新聞記者。
    30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
    社会保障、高齢者福祉の専門家。


連載【社会保障70年の歩み】
プロローグ「首相への挑発状」
第2回・生活保護「1年パンツ1枚」
第3回・生活保護「水と番茶の違い」
第4回・医療「無保険者3000万人から」

コメント

私は単身生活で生活保護です。
近くに後期高齢の両親がいます。
父親も双極性障害で母親が切り盛りしてます。
地域の福祉に世話に。
最後は途方に暮れた悪夢ですよ。
ネット・テレビで情報へて
くよくよと考える毎日です。

投稿:マサキ 2015年08月11日(火曜日) 21時06分

最近はネットなどで病院に対しても口コミなどがあり,それを見て病院を選んでいる人もいること思いますが,一般人は医術に関する知識がある人のほうが少なく,結果的に大きいところは信頼できる,先生の言うことは信頼できると思っている人が多いと思います。医療サービスに対してもしっかりと自分自身で選択するのは難しいと感じています。

投稿:いとう 2015年05月06日(水曜日) 17時07分

病院頼みになってしまったのは、核家族化が影響していると考えます。
一人暮らしはできないが、少しの介助で自宅生活が可能な方が施設や病院に入っているのは、同居者がおらず、何かあったときに危険だという認識もあると思います。
人の人生の終わり方としてどんな形がベストであるのでしょうか?

投稿:むらた 2015年04月25日(土曜日) 08時24分