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静岡・富士スピードウェイ 還暦レーサー 富士を疾走

2023スーパーGT第2戦・GT300クラス 和田久選手
  • 2023年05月15日

静岡県小山町にある富士スピードウェイは、三重県の鈴鹿サーキットと並んで日本のモータースポーツの舞台となってきたところだ。
毎年5月の大型連休に開催されるレースには、全国から3万人を超える観客が訪れる。
なにがファンを魅了し、静岡に集まるのか。
還暦を過ぎて挑み続けるベテランレーサーを通じて、その魅力を探った。(全2回の2回目)
◆前編:『還暦レーサー 奇跡のカムバック編』

                       取材・望月豊アナウンサー(静岡局)

いよいよ決勝 

いよいよスーパーGT第2戦決勝。 主催者発表で48,600人の観客が小山町に集まった。

関係者を合わせれば5万人近くが訪れる、まさにビッグイベント。

アールキューズは城内選手がスタートドライバー。
レース直前にも関わらずカメラにおどけてみせてくれる。 

スタート前でも緊張を感じさせないのはさすがベテラン

 ユニークなのは、スタート前の隊列走行で白バイ隊とパトカーが先導するところ。

写真提供 GTA

交通安全の啓蒙を目的に行われているもので、今回は小山町での開催のため、静岡県警高速隊が担っていた。
レース車両が白バイやパトカーと一緒に走っていたら、ミニカー好きな子どもはきっと大喜びだろう。
 

いよいよスタート。

写真提供 GTA

レースは、450キロを2人ないし3人で走る。

和田選手たちアールキューズは、城内選手・和田選手、そして長距離レースの時だけ出走が認められる第3ドライバーの加納政樹選手の順で走る。

 他の車が接触したり早めのピットインをしたりする中、少しずつ順位を上げて、22周目に城内選手がピットイン。和田選手と交代する。

和田久選手
城内選手が戻ってきた
タイヤやコースのコンディションなどを伝える

 富士スピードウェイはおよそ1.5キロのストレートのあと1コーナーに向かって急減速する。
ブレーキを踏むのに必要とされる力(踏力)は120キロ。城内選手は、はじめは片足でブレーキを踏んでいたが、ペダルの践みしろが大きく、片足を伸ばして重いブレーキを踏み続けるうちに腰を痛めてしまった。そこで富士の1コーナーに限っては、なんと両足でブレーキを踏んでいるという。なるほど筋力が重要なのかと思ったら、「(大切なのは)心肺機能だね」。

城内政樹選手

フルブレーキングすると体内の血液が前方に偏るくらいの重力加速度がかかる。レース中、他の車のことを気にしながら、重いブレーキを践み、重力加速度に耐えることを繰り返していたら、あっという間に息が上がってしまう。そうならないよう心肺機能のトレーニングには特に気を使っているという。  

レースは大きな接触や中断などもなく進んでいく。 
アールキューズは、他車が接触やトラブルなどで後退するなか、22位まで順位を上げていた。

メカニックたちもモニターで和田選手の走りを見守る

消耗の少ない硬めのタイヤを装着し、ペースは上げられなくてもタイヤを長もちさせることを優先、他車の脱落に乗じて順位を上げる。これがレース前の作戦だった。長丁場の富士のレースは毎年荒れる。そこにポジションアップの可能性を賭けた。
しかし、チームが狙ったほど順位は上がってこない。 

55周目、3人目の加納選手に交代。

加納政樹選手
耐火マスクを脱ぐ

エアコンのないレーシングカーの車内は高温になる。ドライバーは熱中症対策のため、冷たい水が循環するクールスーツをレーシングスーツの下に着て臨む。以前取材した時は8月のレースで、車から降りると汗と湯気で真っ赤になっていた。それに比べれば、5月の、標高の高い富士はまだ楽なのだろう。余裕があるように見えた。

「全然平気!」と珍しくカメラにおどけてみせた

 結局アールキューズはトップから4周遅れの21位でレースを終えた。 

 

やれることをやるプロ集団 

実は、このレースの個人的なハイライトは予選だった。 

アールキューズは終盤まで最下位、なかなか順位が上がらない。

黒田監督が無線で残り時間を冷静に伝える終わると、画面を見ながら「1台抜け」「37秒台入りたいな」と祈りにも似た声がピットに響く。

黒田朋宏監督

予選最終ラップ。
和田選手は黒田監督の期待通り1分38秒を切って1'37.740をマーク。最終的なポジションを一つ上げた。
その瞬間、黒田監督は小さくガッツポーズし、ピット内ではささやかな拍手が起こった。

黒田監督はチームのムードメーカー

ピットに戻って車を降りてきた和田選手を皆がおだやかな笑顔で出迎える。

そしてすぐに選手やエンジニアはタイヤの摩耗具合を確認し、メカニックは車のチェックにとりかかり、みな自分の仕事に戻っていく。

マネージャーの関谷輝美さん
チームや選手への気配りを常に欠かさない
メカニックは何度も掃除をしてピットをきれいに保つ

ドライバーをはじめチームメンバーの多くは過去に優勝経験やチャンピオン争いの経験もある。決して最下位争いに満足しているわけではない。

だが、新品パーツもない今の状態ではこれ以上どうしようもない。そんな自分たちの状況を把握し、いまやれることをやって力を出し切ったからこその、安堵と忸怩たる思いが混ざったような表情だったのだ、と感じた。
 

そう、チームはやれることはやっている。 

例えば、和田選手の予選タイムは去年より0.8秒上がっている。一概に比較できないが、ことしの予選トップタイムは去年の予選2位タイムとほぼ同じで、それほど伸びているわけではない。

全体からすれば優勝争いにはほど遠い“独自の戦い”の中で、「自分たちもやれることはやってタイヤの使い方など進歩している」という和田選手の前出の話は当事者としての実感なのだろう。

年齢はどの程度影響する?

年齢的な限界はどうなのだろう。
レースは、1周ごとのペースはもちろん区間タイムもすべて映し出される。少し意地悪い気もしたがラップタイムを見てみた(全ドライバーのタイムはウェブサイトから誰でも見ることができる)。 
タイムは城内選手・和田選手ともおおむね1分40~41秒台。周回遅れにされる時、後ろから来る速い車に譲らないといけないためタイムが悪くなることもある。しかし、全体的には安定したペースで周回し続けていた。

第3ドライバーの加納選手は和田・城内選手よりひと周り以上若いが、経験もあり心技体いずれも、いまが一番充実したドライバーだ。加納選手のほうが若干ペースがいいようで、一人だけ39秒台を記録している。 

だが、これはタイヤが要因だ。
タイヤ交換での停止時間を減らすため、和田選手は左側2本のタイヤしか交換しなかった。しかし、なかなかペースが上がらなかったため、終盤チームは軟らかめのタイヤ4本に交換して加納選手を送り出した。そして、加納選手はチームの期待に応えて最速タイムを更新してみせた。

一度に40台以上がコース上で走るスーパーGTは、障害物競走にも例えられる。下位チームは周回遅れにされる回数も多いし、トップチームは遅い車に“引っかかる”こともある。

だが、多くのドライバーと同様に、和田・城内・加納選手のタイムは、きれいに横ばいのグラフを描いている。安定して速く走るプロドライバーの仕事ぶりが現れていて、ラップタイムからは年齢的な影響を読み取れない。
そして、このあたりのタイムが今の車の限界であることもうかがえた。

レースの世界も“多様性”

モータースポーツは車という“道具”に左右されるところが大きい競技だ。
道具を使いこなすために技術や才能・経験が求められる一方で、道具に助けられる部分もある。
例えば、城内選手は踏力を得るために両足ブレーキを駆使して乗りこなしているが、パワステのように体力的な負担を補ってくれる技術もどんどん登場している。
そうした恩恵は老若男女にチャンスを与えるだろう。和田選手や城内選手のようなベテランから、女性、さらにはeスポーツで活躍する選手の参加も珍しくなくなってきた。

50号車の小山美姫選手(左)は久しぶりの女性ドライバー
イゴール・フラガ選手(右)はeスポーツでも活躍中

そもそも国内最高峰の自動車レースは、資金的にも実力的にも参戦のハードルが高い。
だからこそ、そこで戦うこと自体に価値がある。
それを一番理解しているのがファンなのだろう。
選手やチームのすごさを、小山町に訪れた5万人近いファンは知っているのだ。 

選手もファンをとても大切にしている
どのチームにもファンは列を作ってサインを求める

そんな最高の舞台で速く走ることが、和田選手の生きがいなのだ。 

経験をもとに後進を育てるのも大切な役割。
そちらの方が生きやすいかもしれない。
だが、自分の気持ちに正直になれば、まだまだ走っていたい。
その思いを貫くのは本当に茨の道で、そんな苦しい惨めな思いをしてまで走っていなくていいと、多くの人は考え退くのだろう。
 

だが、和田選手は走りたいのだ。
他人がどう思おうと、走っていたいのだ。
速く走れると思っているうちは走り続けたいのだ。
他の選手の誰よりも、きっと走ることが好きなのだ。

「何歳くらいまで現役で走るつもりですか?」という我ながらつまらない質問に、「全然わからないね。体がもてば70超えてもやるんじゃない。」と答えてくれた。

走りたいという思いがいつになったら枯れるのか、本人もわからない。
ガソリンは「速い車に乗れば負けない」というプライド。
その思いがある限り、和田選手は走り続ける。

孫みたいなライバルたちと表彰台に立つ和田選手の姿を、いつか見てみたい。

  • 望月豊

    NHK静岡 アナウンサー

    望月豊

    静岡県伊豆の国市出身。1998年入局。2003年から2009年まで津放送局で勤務。鈴鹿サーキットを中心にモータースポーツ現場で取材。

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