静岡 家康命日 関ケ原の戦いで乗ったとされる竹かご 戦後初公開
- 2023年04月18日
徳川家康の命日となる4月17日、静岡市の久能山東照宮で、徳川宗家19代当主・徳川家広さんが司祭を務め、家康の遺徳をしのぶ「御例祭(ごれいさい)」が行われました。また、家康が「関ケ原の戦い」で乗った可能性があるとされる竹かごが戦後初めて公開されました。
「御例祭」 19代当主が初の司祭
徳川家康は、1616年の4月17日、75歳で亡くなり、家康がまつられている静岡市駿河区の久能山東照宮では、毎年、命日に合わせ「御例祭」が行われています。ことしは徳川宗家19代当主として家督を継いだ徳川家広さんが初めて司祭を務め、正式な装束を身にまとった神職や地元の人などおよそ270人が参列しました。
一行は、木やりに先導されながら社殿へと進み、宮司が祝詞(のりと)を読み上げたあと、家広さんが玉串を捧げました。このあと一行は、社殿の奥にあり、家康がまつられている「神廟」と呼ばれる石の塔を参拝し、家康の遺徳をしのびました。
徳川家広さん
石段が多くある中、所作もあり、しっかり歩かなければと思っていたので無事に終わって安どしています。「こちらもちゃんと(家康の御霊を)御護りしますので、こちらのこともお守りください」とお願いしました。
関ケ原で乗ったか 家康の竹かご
一方、徳川家康が天下分け目の「関ケ原の戦い」で乗った可能性があると伝わる「竹かご」が久能山東照宮博物館で戦後初めて公開されました。竹かごは横幅が84センチ、高さが125センチあり、国の重要文化財に指定されています。
兵庫県から観光で訪れた女性
殿が乗ってるんですよね。竹じゃないですか、それが400年経ってもこのままあるっていうのがスゴイなぁと思います。家康が乗ったというわりには質素で驚きました。
学芸員によると、この竹かごは、家康用の特注ではなく、戦(いくさ)の際、馬に乗るよりは、敵から目立たないよう質素で小さなものが使われたと考えられるということです。かごの前方には、鉄砲の弾が貫通してできたとみられる穴が開いていて、激しい戦いの様子がうかがえます。
宮城島(みやぎしま)由貴さん
家康公が実際の乗って使っていたというサイズ感と戦場で使っていたというリアリティが感じられると思うので、ぜひそこに注目していただきたいです。
この竹かごは、ことしの夏ごろまで公開されるということです。