東日本大震災 いぎなり東北産 安杜 羽加さんが語る"あの日"

「NHK東北温泉地応援プロジェクト」に参加する東北出身アイドルグループ「いぎなり東北産」。
NHK仙台放送局|東北温泉地 応援プロジェクト

今回、いぎなり東北産のメンバーに“あの日”のこと、そして、“あの日”からのことについて、語ってもらいました。

2011年3月11日、安杜羽加さんはどこで何をされていましたか?

(安杜 羽加)
(当時福島県で)小学2年生なので8歳かな。学校の放課後でバス通学だったんですけど、バスを待っている放課後の時間なのでみんなで遊んでいて、外で鬼ごっこをしていたんですけど、そのとき、地震にあいましたね。そもそも地震っていうのがあんまりわからないくらいだったので、何が起きたかもわからないパニックのまま・・・。結構長い地震だったのでみんなで集まって「何、この揺れは?」みたいな感じ。周りに先生もいなかったし、同級生だけだったのでパニック状態みたいな感じでしたね。本当に怖かったというか、家族も一緒にいなかったし、ただ泣くことしかできないみたいな感じ。周りの子もみんな泣いていたから、それにつられて泣いちゃうし、不安ばっかりみたいな感じでしたね。

その後、安杜さんの自宅に大きな被害がありませんでしたが、いつもと違う日常が始まりました。

(安杜 羽加)
福島だとやっぱり原発が一番大きかったかなあって思って。外に出られない。あんまり外に出ないで家の中で過ごす、学校ももちろん休校ですし、すごく不自由というか、外で遊びたいのになあとか思ったけど、そういうのも出来ない状況で生活していました。お家の中で過ごすってなると、ニュースが流れてくるから、もっと大変な方をニュースで目の当たりにして、すごくつらいっていうか・・・でも、どうしようも出来ないしっていう・・・今の自分で精一杯っていうか、すごく苦しかったですね。

自宅に大きな被害のなかった安杜さんの自宅には、親戚も避難してきたといいます。

(安杜 羽加)
ママの実家が海の方なんですよ。おばあちゃんとママの妹がビショビショのまま避難してきて、「津波、危なかった」みたいな感じで逃げてきたのはすごく覚えていますね。

震災後、安杜さんは親や大人たちの不安な様子を目にすることはなかったそうです。

(安杜 羽加)
きょうだい3人いるんですけど、(親たちは)不安な様子を見せたら、私たちが不安になっちゃうのをわかっていたから見せなかったんでしょうね。私たちをとりあえず安心させてくれた・・・。ママとかもそうだけど、不安がっているところをあんまり見ていない気がします。
でも、相当不安だった、今、思うとすごく不安だったんだろうなあって思うけど、私たちのことを優先で考えてくれていたんだなって思いますね。

安杜さんは東北出身のアイドルグループとして、これからも震災のことを伝え続けたいと考えています。

(安杜 羽加)
みんなが東北出身のグループってことは、震災のことっていうのは切っても切れない。もちろん経験もしているし、より身近に経験をしてるからこそ、しかも、人前に出るという立場だから、絶対的に伝えていかなきゃいけない。人前に出ているからこそ、伝えられるものがあるんじゃないかなって。責任ではないけれど、そういう意識はもちろんあるので。でも、マイナスな感じじゃなくて、元気とか、勇気とか、プラスなことも出来るんじゃないかなって。私は福島出身なので、原発で今も地元に帰れない方とかいらっしゃるので、そういう人にちょっとでも私たちが希望というか、勇気や、元気を与えられていけたらなって。「同じ福島だよ」っていうだけで「福島の人なんだ」っていう温かい応援があるので、福島県を背負うというわけではないけれど、たくさんの笑顔を届けられたらいいなって思っています。

安杜 羽加さん、貴重なお話をありがとうございました。

NHK仙台放送局のサイト「あの日、何をしていましたか?」では、
みなさんの2011年3月11日について投稿を募集しています。
あの日、何をしていましたか?|NHK仙台 みんなの3.11プロジェクト