東日本大震災 三浦誠己さんが語る"あの日"

3月9日(土)に放送した「FMシアター『今夜、星と波の間(あわい)に』」に出演した、俳優の三浦誠己さん。
東日本大震災から13年、それぞれの“あの日”との向き合い方がテーマ。NHK仙台のプロジェクト「あの日、何をしていましたか?」から生まれたラジオドラマです。
『今夜、星と波の間(あわい)に』 - FMシアター - NHK

今回、三浦さんに“あの日”のこと、そして“あの日”からのことについて、語ってもらいました。

○三浦誠己さん(当時35歳・東京)


 ―2011年3月11日、三浦誠己さんはどこで何をされていましたか?

(三浦誠己さん)
35歳で、大手の物流倉庫でアルバイトをしてました。鉄筋4階建てで、10トントラックが各フロアに10台以上とまるようなおっきい建物で。そこで荷物の仕分けなんかをしてたんですね。
揺れたのは、もう全く僕は分からなくて、気が付いたら、周りの働いてる人達がみんな「逃げろ」って言って。外に逃げたら、10トントラックがもうグラグラ揺れてて。だだっ広い駐車場があるのでそこにみんなでわらわらと集まって、喋ってました。その時は地震だっていうのは分かってるけど、どこが震源で(規模が)どのくらいかっていうのは全く分からないまま。

外に避難したときはまだ、あまり緊迫感はなかったといいます。

(そのあと)すぐに近くで黒煙が上がったんですよ。火事。黒い煙がバッと上がった時に、ちょっと「やばいな」っていうのはみんな何となく感じたような気がしますね。

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荷物がもう来ないですよね、そうなると。作業は中断されて「ご飯を食べて帰ってください」みたいな。食堂で、無料で御飯提供しますって。で、ご飯を食べている時に、テレビで津波の映像と、縁どられた津波警報の日本列島の絵が出てて。お互いね、そっちに親類がいるのかとか、そういう確認をしたのは覚えてますね。「ご実家そっちじゃないですか」とか「家族は住んでいらっしゃいませんか」みたいな話をみんなでしたのは覚えてますね。

その後、当時の自宅まで20キロ以上の道のりを歩いて帰ったという三浦さん。その道のりで感じていたことを教えてくれました。

色んな通りが、都心から郊外に向けて歩いていく人の列。もうずらっと。もう先のほうまで人がずっと歩いていて、どっち見てもずっと人が歩いているっていう。それだけの人間が移動してるということを目の当たりにして。
その時は想像できないんですよね。「そんな無理して帰る必要ないじゃん」と思ってたんですよ。でも、家族がいる方……お子さんがいたり、おじいちゃん・おばあちゃんがいたりとかっていう方は、安否確認できないから。おそらく携帯も繋がらないっていう状況の中で、とにかく心配で帰りたかっただろうなという。新しい自転車を買って帰ってる人もいらっしゃったし。でも、その時はそこまで考えなかったです。「何でそこまでみんな帰りたいんだ」みたいなね。

―家に帰ってからは、何をしていたか覚えてらっしゃいますか?

朝まで起きてたんじゃないかな。テレビ見ながら。何か考え事をしてたような気がしますね。それはもう、自分の仕事において、自分の人生において、これからどうなっていくんだろうとか。どういうことを自分が考えて行動しなきゃいけないんだろうっていうことを考えてたような気がしますね。

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“あの日”の出来事は、三浦さんにとって自分の中での価値観が大きく変わるきっかけでした。

これはとんでもないことになってるなっていうことと、ちょっと「ちゃんとしよう」というかね。僕なんか芸能界入って、俳優っていう仕事でも、根無し草みたいな暮らしだったのが、なんとなく自分で襟を正すような気持ちになったのは確かでしたね。
「俳優としての自分」っていうことから、「人間としての自分」っていう考え方になったから。例えば、一つの映画のお仕事が決まって、その撮影に没頭して毎日を過ごしていくってことと、当たり前のように人が暮らしていく中でやらなきゃいけないことっていうのが、ちょっと乖離してた部分はあったような気がするかな。だからまあ、親に連絡するとかね。自分が一人の人間として生きていくってことの考える割合が増えたのは確かですね。

震災の直後は、撮影のキャンセルや変更など俳優の仕事にも大きな影響がありました。その中で三浦さんは「俳優」という仕事の存在価値についても、考えさせられたといいます。

CMの撮影を都内でする予定だったのが、都内ではできないからって、スケジュールをずらして関西で撮影しましたね。その時もやっぱ「そこまでして撮る必要あんのか」とかって考えちゃうけど。でもそれは、僕にとったら仕事なわけじゃないですか。なくなったら困るわけですよね。
こんなこと言ったらあれだけど、「映画やドラマなんか必要かよ」って思うぐらいのことは考えましたから。この世でみんな生きていくのに、食にまつわる仕事なのか、移動にまつわる仕事なのか、何か燃料を開発する仕事なのか……。人間が生きていくために最低限必要なものの中で、この芸能ってね、どこまで必要なんだろうとかね。その時はもう廃業しようかなぐらいのことだったんだと思うんですけどね。

―それからも俳優業を続けられて、今のお姿があると思うのですが、ご自分なりに結論のようなものはあるんでしょうか?

それしかできないっていう答えに到達したのかもしれないです。
2011年の末に、僕、岩手県の田野畑村っていうところでドラマの撮影をしてるんですよね。12月のクリスマスから(2012年)2月の頭まで滞在して。被災した主人公の父親役をやった時に、ちょっと救われたじゃないですけど。僕の関わっていく方法としては、これが最善のことなんだろうなというのが、ストンと自分の心に落ちたような気はしますね。
現地の皆さんから、「色んな人が来てくれて、色んな人と喋って交流できたことで、すごく元気をもらった」っていうような反応をいただいた時に、我々の仕事の意味があるのかなというのは、その時そうか、思ったのか……。だからやってるのか……。自分で思い出しながら喋ってますけど、うん。そうですね。時間をかけて、自分の中で納得するところに到達できたのかなとは思いますけどね。
募金するとか、そういうことはできないけど、自分は俳優としてそういう作品に携わった時に本当に一生懸命やるってことが答えだと、その時に思ったんだと思うんですね。

三浦誠己さん、貴重なお話をありがとうございました。

NHK仙台放送局のサイト「あの日、何をしていましたか?」では、
みなさんの2011年3月11日について投稿を募集しています。
あの日、何をしていましたか?|NHK仙台 みんなの3.11プロジェクト


「あの日、何をしていましたか?」から生まれたラジオドラマ「今夜、星と波の間(あわい)に」は、3/9(土)夜10時からFMで放送しました。
「らじる★らじる」で、3月16日(土)午後10:50まで聴き逃し配信しています。
こちらのリンクからぜひ、お聴きください。

FMシアター「今夜、星と波の間(あわい)に」

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2024年3月9日(土)午後10時~10時50分(全1回)[FM]

【作】
新井まさみ

【出演者】
富田望生 三浦誠己 小林虎之介
宿利左紀子 白鳥英一 河合美緒

【あらすじ】
仙台出身の志島ほのみ(富田望生)は、FM宮城の新人ラジオパーソナリティ。毎週土曜夜の生放送『サタデーナイトプラネット』の担当になって、もうすぐ半年が経つ。夢だったラジオの仕事には慣れてきた……でも、東日本大震災についての投稿を紹介するコーナーだけは、いまだに自分らしくできていない。そんなある日、寄せられた投稿の中にある問題が発覚。ほのみは自らが抱えてきた気持ちと、一人ひとりの「あの日」に向き合っていく――。

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