東日本大震災 いぎなり東北産 橘花怜さんが語る"あの日"

「NHK東北温泉地応援プロジェクト」に参加する東北出身アイドルグループ「いぎなり東北産」。
NHK仙台放送局|東北温泉地 応援プロジェクト

今回、いぎなり東北産のメンバーに“あの日”のこと、そして、“あの日”からのことについて、語ってもらいました。

 

2011年3月11日、橘花怜さんはどこで何をされていましたか?

(橘花怜)
当時は(宮城県内の)小学1年生で、帰りの会をしているときでした。先生が「じゃあ、みんな、明日から頑張っていきましょう」って言って、そういう話をしているときに、揺れが始まって。みんな急いで机の下に隠れて、いろいろな物が崩れ落ちたり、窓がビシビシいっているのが、今でも強く覚えています。みんな最初のほうは声をあげて「怖い、怖い」って叫んでいる感じだったんですけど、途中から声も出ない感じで。どさどさいう落ちる音とか窓のガンガンみたいな、いろんな音とかが響いていて、そういう音と自分の心臓の音しか聞こえないみたいな状態でした。そのあとは、校庭に避難して迎えを待っていたんですけど、ちょうど雪が降っていて、すごく寒かったのを覚えています。(家に帰ったのが)夕方5時ぐらいだったと思うんですけど、まだひな祭りの飾りを飾っていたんですよ。家の中がぐちゃぐちゃになっちゃっていて、家に入れなくて、そこから避難所で生活していました。
(橘花怜)
避難所は家の近くの公民館に集まっていて、みんなでご飯を作りあってっていう感じでした。私は幼かったので、いつも遊べないようなみんなと遊べたり、食事もお母さんたちがみんなで物を持ち寄って作って下さったりして、非日常を少し楽しめるぐらい、家族が頑張ってくれたなって思っていて。少しでもマイルドな思い出にしてくれたのは、みんなの力とか支えがあったからだなって、今になってとても思いますね。

震災後に見てきた家族や大人たちの姿が、アイドルを目指したことにつながっているといいます。

(橘花怜)
幼いながらも家族がいつもの笑顔じゃないことは感じていて、そこがきっかけで誰かを笑顔にしたい、みんなを笑顔にしたいっていうので、アイドルを目指したので。私にできることって何だろうって考え始めて、(みんなを)笑顔にできないかなって。
(橘花怜)
いぎなり東北産っていう名前で活動させて頂いていて、私たちができることって何だろうって考えたときに、やっぱり、伝え続けることかなって。歌や私たちの存在を通して、あの日のことをずっと忘れないでいてもらえるように伝え続けていければいいなって思っています。私たちが頑張ることによって、きっと被災地からでも夢を見ていいんだって思って、夢を与えられるような存在になれたらいいなって思っていて。いぎなり東北産として頑張っていると、お世話になった方々がたくさんメッセージをくれたりするんですよ。「武道館を目指して頑張ってね」とか、「横浜アリーナ歌っているのを見たよ」とか・・・。だから今までお世話になった方や、つながりがある方に、頑張ることによって恩返しをしていけたらなと思っています。

橘花怜さん、貴重なお話をありがとうございました。

 

NHK仙台放送局のサイト「あの日、何をしていましたか?」では、
みなさんの2011年3月11日について投稿を募集しています。
あの日、何をしていましたか?|NHK仙台 みんなの3.11プロジェクト