金メダル目指す日本代表を支える 車いすラグビーの『職人』
- 2024年02月06日
車いすどうしがぶつかり合う、迫力あるプレーが魅力の車いすラグビー。そのプレーを支える『職人』がいます。佐賀市に住む、川﨑芳英(かわさき・よしひで)さん。ふだんは、障害者福祉施設の職員として働いています。
川﨑さんは、福岡県のチームに所属しながら、日本代表でも活動しています。いったいどんな役割を担っているのか、福岡での練習を取材しました。
【コート上の格闘技!車いすラグビー】
激しいタックルが繰り返される、車いすラグビー。
衝撃によって、競技用車いすのバンパーは傷だらけ。試合中は、部品が壊れたり、タイヤがパンクしたりします。
【専門のメカニックが修理を担当】
このため、コート脇には、車いすを修理する専門のメカニックがいます。
川﨑芳英(かわさき・よしひで)さん。福岡県の強豪チームで、選手たちのプレーを支えています。
(川﨑さん)「自分はサポート役というよりも、ひとつのチームの一員。チームそれぞれで役割が違う。自分がどれだけ頑張っても点を入れられないので、どこまで準備ができるかというのが仕事です。」
この日の練習中。衝突によって、黒いユニフォームを着た選手のタイヤがパンク。選手からの合図で、すぐに川﨑さんが駆けつけます。
試合では、タイヤ交換による中断は、1分までしか認められていません。川﨑さんは、タイヤ交換を済ませると・・・・
コート脇でパンク修理にとりかかります。
修理したあとは、予備のタイヤとして、次にパンクした時に備えておくのです。
(川﨑さん)「とにかく素早くですね。当たり前のことを当たり前にするだけです。」
(堀選手)「連続してパンクすると、ベンチに1回下がらなくてはいけない選手が出てくるので、素早く修理してくれる川﨑さんに頼り切っています。」
【メカニックとしての出発点となった『戒めの大会』】
川﨑さんが車いすラグビーと出会ったのは、2014年。当時勤めていたリハビリ施設で練習していた選手たちから、パンク修理などの手伝いを頼まれたことがきっかけでした。
その2年後には、日本代表の試合にも関わるようになりました。
川﨑さんは、初めての海外遠征での経験を心に刻んでいるといいます。
(川﨑さん)「2017年にアメリカ遠征に行ったときなんですが、立て続けにパンクが3回続いて、30秒くらい選手が出られない時間帯が出来てしまいました。その大会は、自分のなかでは戒めの大会になっています。」
それからは、ひたすらスピードや正確性を磨いていきました。選手たちとも距離を縮め、何でも相談してもらえる関係を築き上げてきました。
【整備だけではないメカニックとしての役割】
川﨑さんの役割は、車いすの整備だけではありません。
この日、チームがつくったパーカーを選手が着やすいように、自宅でファスナーを縫い付けていました。
(川﨑さん)「障害が重い方は、自分で脱いだり着たりするのが難しい場合があるので、ファスナーをつけようかなと思いました。」
選手たちのリクエストに応じて、さまざまな作業をこなします。
(川﨑さん)「ずっと障害者施設で働いているんですけど、その人たちは不便なんじゃなくて、周りが寄り添ってあげることが出来れば、それで大丈夫かと。そういうちょっとした工夫やアイデアを出せれば過ごしやすくなるのではと思いますね。」
(川﨑さん)「(ファスナーをつけたことで首や腕が)きれいに入るので楽勝ですね。」
選手たちも、川﨑さんに厚い信頼を寄せています。
(川﨑さん)「ベルトの締まり具合だったり、グローブのほつれているところを縫ってほしいとか、数えあげたらきりがないんですが、本当に自分たちが思うような車いすの仕上がりをやってくれているんで、川﨑さんなしでは戦えないですね。」
チームの一員として、選手たちのプレーを支える川﨑さん。パラリンピックでも、持てる力を尽くし、初の金メダルを狙います。
(川﨑さん)「パラリンピックで金メダルを取るというのは必須。準備だけは確実に行って、試合に臨んでいくことがすべてです。こんな感じで1年頑張ります!」
【取材後記】
パラリンピックで、過去2大会連続で銅メダルを獲得している日本代表。パリパラリンピックでは、過去最高の金メダル獲得を目指しています。
日本代表のメカニックは、川﨑さんただ一人。「パラリンピックに向けても、やることは何も変わらない。選手たちと信頼関係を積み重ねていくことがすべてです」と話しています。
車いすラグビーの試合を見る際は、ぜひメカニックにも注目してご覧ください!
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