終戦から77年 全国戦没者追悼式 「戦争の惨禍二度と繰り返さない」

終戦から77年を迎えた15日、犠牲になったおよそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が都内で行われました。

東京の日本武道館で開かれた式典には全国から遺族の代表などが参列しました。

ことしはコロナ禍以降初めての行動制限がない中で開かれた式典で、4つの府県が遺族代表の参列を断念したものの、参列者の数は992人と最少だった去年を上回りました。

天皇陛下が皇后さまとともに式壇に着かれたあと国歌が演奏され、感染防止のため、ことしも斉唱は行われませんでした。

続いて、岸田総理大臣が式辞を述べました。

岸田総理大臣は「私たちが享受している平和と繁栄は戦没者の皆様の尊い(たっとい)命と苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れない」と述べました。

そのうえで「戦後、我が国は、一貫して、平和国家として、その歩みを進め、歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきた。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いていく」と述べました。

そして「いまだ争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、積極的平和主義の旗のもと、国際社会と力を合わせながら、世界が直面するさまざまな課題の解決に全力で取り組んでいく」と強調し、参列者全員で1分間の黙とうをささげました。

そして天皇陛下が「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面していますが、私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。

このあと遺族を代表して、昭和13年11月に中国で父親を亡くした岡山県の大月健一さん(83)が「戦争は遠い過去の歴史的出来事ではなく、今も身近にあることを再認識し、世界の恒久平和実現に向けて、一般市民まで犠牲となる戦争の悲惨さと平和の尊さを語り続け、継承していくことを諸霊にお誓い申し上げます」と追悼の辞を述べました。

そして、参列者が式壇に菊の花を手向け、戦争の犠牲になったおよそ310万人の霊に祈りをささげました。

参列者の高齢化進む 70歳以上が8割近く

終戦から77年を迎え、参列者の高齢化も進んでいて、70歳以上の人で8割近くに達しています。

最年長の遺族として参列したのは広島県安芸高田市の澤崎卓兒さん(95)です。

澤崎さんの兄の進さんは終戦直前の昭和20年7月にフィリピンで戦死し、同じく兄の源次さんは終戦後シベリアに抑留され昭和22年12月に病死しました。

澤崎さんは兄の進さんの写真を持って参列していて「兄に今のわたしを見て安心してほしいという思いで参列しました。わたしも終戦の1年後にいまの北朝鮮からの引き揚げで大変苦労をしましたので、若い人にはこのような思いは絶対させたくない」と述べました。

そして年齢的にもことしが最後の参列だとしたうえで「追悼式はこれからもずっと続いてほしい」と話していました。

ロシアによるウクライナ侵攻については「絶対にあってはならない」と話していました。

また、戦争の記憶を受け継いでいこうと、遺族として参列した高知県の小学2年生で7歳の磯野万葉さんは、曾祖父の吉川重久さん(当時30)が東部ニューギニアで、大伯父の公文良男さんが中国で戦死しています。

終戦から77年 全国戦没者追悼式 天皇陛下のおことば全文

終戦の日の15日、天皇陛下は皇后さまとともに全国戦没者追悼式に臨み、新型コロナウイルスの厳しい感染状況にも触れながら、人々の幸せと平和を願うおことばを述べられました。

天皇陛下のおことば全文

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来77年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。

私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面していますが、私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。

ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

上皇ご夫妻や愛子さま お住まいで黙とう

宮内庁によりますと、上皇ご夫妻は東京 港区の赤坂御用地にある、お住まいの「仙洞御所」でテレビを通じて戦没者追悼式をご覧になりました。

そして正午の時報とともに黙とうをささげられました。

また天皇皇后両陛下の長女の愛子さまも、お住まいの御所で正午に黙とうされたということです。

各地で亡くなった人を悼み 平和について考える集会

終戦の日の15日、戦争で亡くなった人を悼み平和について考える集会や催しが各地で開かれました。

このうち東京 千代田区の靖国神社では、総理大臣や閣僚に参拝を求める団体が集会を開きました。
この中で、自衛隊の元最高幹部で「英霊にこたえる会」の寺島泰三会長は「国民の間で改憲の意識が高まっている今こそ憲法改正の絶好の機会だ。国会で速やかに議論を進め、新たな日本に脱皮を図っていくべきだ」と述べました。
また、ウクライナ出身の評論家、ナザレンコ・アンドリーさんは、ロシアによるウクライナ侵攻を踏まえ「今回の侵攻をひと事ではなく、ウクライナが負ければ日本にも危機が及ぶ可能性があるという意識を持ち、今こそ憲法改正を考える覚悟を持ってほしい」と訴えました。


東京 千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、戦犯を合祀する靖国神社の在り方に反対の立場の団体が集会を開きました。

全国の平和団体でつくる「フォーラム平和・人権・環境」の勝島一博共同代表は、ロシアによるウクライナ侵攻に触れたうえで「戦争という極限状態では人間は想像を絶する残虐な行為に至ることを物語っている。いかなる理由があったとしても戦争行為はもちろん、戦争に至るような国づくりを許してはならない」と述べました。

また「戦争をさせない1000人委員会」の内田雅敏事務局長が「私たちの世代に託された平和のバトンをしっかりと握り直し、次の世代に手渡すべく反戦平和へのみちを走り抜く決意だ」と述べました。

鹿児島では若い世代が戦争のない世界実現を呼びかけ

15日、鹿児島県南九州市の知覧町では平和の尊さを訴えるスピーチコンテストが開かれ、若い世代が戦争のない世界の実現を呼びかけました。

南九州市の知覧町には太平洋戦争末期、国内で最大規模の陸軍の特攻基地が置かれ、この基地から飛び立った439人の若者が命を落としました。

新型コロナウイルスの影響で、スピーチはおととしは中止、去年は無観客での開催となりましたが、ことしは3年ぶりに観客を入れて行われました。

事前審査で選ばれた中高生ら10人がスピーチし、このうち県立喜界高校1年の喜禎あさひさんは、特攻隊に志願した曽祖父と特攻平和会館を訪れた時のことを振り返り、「当時の心境を尋ねると、曽祖父は涙を浮かべながら『よく分からない。あのころは何も考えられなかった』と答えたのです。戦争は人の心も体も壊してしまうものだと思いました。私は命をかけて飛び立った若者たちの姿を次の世代へ伝えていこうと思います」と力強く述べました。

また鹿児島市の中学3年生、森田未空さんは、戦死した曽祖母の父親などについて触れ「『戦争という名の幸せどろぼう』が世界から消え、皆で幸せを分け合える日が来ることを願っています」と訴えました。

訪れた中学1年の女子生徒は「友達や家族とささいなことを話せることが幸せなことなんだと感じました」と話していました。また、71歳の女性は「子どもたちが身近なところから戦争・平和について考えていて頼もしく感じました」と話しました。

太平洋戦争の激戦地フィリピン 3年ぶりの慰霊祭 戦没者に祈り

終戦の日の15日、太平洋戦争の激戦地となったフィリピンで、3年ぶりに慰霊祭が行われ、日本とフィリピン合わせておよそ150万人の戦没者に祈りがささげられました。

フィリピンの首都マニラ郊外にある霊園では15日、新型コロナウイルスの影響で3年ぶりとなる慰霊祭が行われ、フィリピン在住の日本人ら、およそ180人が参加しました。

慰霊碑を前に、全員で黙とうしたあと、参列者は献花台に菊の花を手向け、犠牲者に祈りをささげていました。

太平洋戦争末期、旧日本軍は、フィリピンを本土防衛の最前線と位置づけ、アメリカ軍と住民を巻き込んだ激しい地上戦を繰り広げ、日本の兵士ら、およそ50万人が戦死し、100万人にのぼるフィリピンの人たちが犠牲となりました。

軍属だった父親を亡くした村上治子さん(90)は「新型コロナウイルスの影響で、多くの遺族が日本から訪れることができず、戦没者もさみしいだろう。日本とフィリピンは仲よくしなければならない」と話しました。
慰霊祭を主催した越川和彦 駐フィリピン大使は「日本は不戦の誓いを守ることでフィリピンから信頼されるようになった。その努力をこれからも続けなければならない」と話しました。