“古都の混迷”の結末は 京都市長選挙

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2月4日に行われた京都市長選挙は異例の展開となった。
告示の直前、ここ京都でも、有力とみられていた候補の1人に「政治とカネ」の問題が疑われる事態が直撃。党勢拡大を狙ってこの候補の推薦を決めていた日本維新の会が自主投票を余儀なくされ、構図が一変した。
有権者113万人を揺さぶった“古都の混迷”の結末は。
(京都市長選挙取材班)

35年ぶりの衝撃

去年11月、京都市内で開かれた村山祥栄の立候補会見。

会場は高揚感に包まれていた。
村山の両脇には、推薦を決めた日本維新の会代表の馬場伸幸と、当時の国民民主党京都府連会長の前原誠司の姿があった。

「民主主義には選択肢が必要だ」
前原は、そう高らかに宣言した。

京都市長選で、繰り返されてきた「非共産対共産」の構図が35年ぶりに崩れた瞬間だった。

京都では、1950年から7期28年にわたり、共産党が中心となって支える革新系の知事が府政を担うなど、共産党が伝統的に強い地盤を持つ。
このため、府知事選や京都市長選では、国政の与野党が協力して共産党系の候補と争ってきた。
去年8月、4期目となる今の任期での退任を表明した京都市長の門川大作も「非共産」側の支援を受けてきた。ここに第3勢力として、維新と前原がタッグを組んで参戦する形となったのだ

京都に緑色のポスター

村山の推薦を決めた維新だったが、当初は、党勢拡大の足がかりになる重要選挙と位置づけ、党の「公認候補」の擁立にこだわっていた。

しかし、候補者選びは難航。
京都市で強い地盤を持つ前原が、維新の公認候補に推薦を出す形に難色を示したことが理由の1つ。さらに、本拠地の大阪に隣接し、京都市長選の「前哨戦」とみられた京都府八幡市の市長選で公認候補が自民・公明両党と立憲民主党のいわゆる相乗り候補に敗れたことなどもあり、無所属の村山への推薦に転じた。

元京都市議の村山にとっては3回目の市長選となる。

立候補表明する村山氏
村山祥栄氏

過去2回は国政政党の推薦を受けず、大敗していたこともあり、支援の必要性を感じて維新の公募に応じた。

関西で勢力を伸ばす維新は、去年4月の京都市議選でも改選前の4議席から10議席へと躍進。
一躍、“有力候補”となった村山の関係者は「初めて市長選を戦う態勢ができた。勝てるチャンスが舞い込んできた」と話した。

村山自身も立候補会見で「薩長同盟はできた。旧態依然とした体制に戊辰戦争を仕掛け、新しい京都の夜明けをここから築きたい」と目を輝かせた。
立候補表明以降、京都市街では、村山と維新共同代表の吉村洋文が写った緑色のポスターが目に付くようになっていった。

村山氏と吉村知事のポスター

「京都エリート」擁立

一方、自民・公明両党と立憲民主党を中心とする「非共産」勢力は、京都市長の門川が退任を表明すると、早速、後継候補を選ぶために動き出した。

自民党京都府連顧問で、元衆議院議長の伊吹文明の呼びかけで、経営者や医師、学生などでつくる有志の会が発足。

伊吹氏らの会見
伊吹文明氏(左)

幅広い政党や団体の支持を得るため、有志の会が、理想とする市長の要件や政策を提言し、候補の擁立を目指す仕組みを構築した。
「府・市の協調ができる」、「中央との人脈や折衝能力」、「市民の心根を理解できる、京都に地縁・血縁のある人」などが要件として挙げられた。

自民・公明両党と立憲民主党が有志の会の提言に賛同を表明する中、白羽の矢が立ったのが松井孝治だった。
松井は旧通商産業省の元官僚で、2001年には当時の民主党公認として参議院京都選挙区から立候補して初当選。鳩山内閣では官房副長官を務めたほか、政界引退後は慶應義塾大学の教授を務め、「政策通」として知られていた。

松井孝治氏(左は官房副長官時代)
松井孝治氏(左は当時、官房副長官)

実家は京都市中心部の老舗旅館だ。

松井は、与野党が相乗りしても幅広い支持を得られる候補として、各党の中では、早くから名前が挙がっていた。
「松井は旧民主党出身だが、議員を引退したあとは、旧民主党を批判するなど、政策が保守的で、うちも乗れる」(自民関係者)。
「中央で対立すると言っても地方は別。元民主の松井は応援しやすい」(立民関係者)。

選定に関わった自民党府連の関係者は「逸材を擁立できた」と自信を見せた。

“保守分裂”に危機感

しかし、盤石の体制を固めたはずの松井陣営には懸念材料もあった。

国家公安委員長を務めた二之湯智の次男で自民党京都府議の二之湯真士が、去年9月、自民党府連の候補者選定のあり方をめぐって反旗を翻し、いち早く立候補を表明。その後、離党届を提出した。(後に除名)。

立候補表明する二之湯氏
二之湯真士氏

これにベテランの市議も同調し、保守分裂の様相を呈していた。

また、去年11月の松井の立候補表明からほどなくして、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題が表面化。
このため、当初は松井を支援するはずの自民党の府議や市議が表立って活動を控えるという事態に陥った。

「少しでも風が吹けば、維新に市長を明け渡すかもしれない」
自民党府連の関係者は日に日に危機感を募らせていった。

20年ぶりの見送り

共産党にも異変が起きていた。
前回・4年前の市長選で推薦した福山和人が、2回目の挑戦を表明したものの、今回は推薦を見送ることになった。

立候補する福山氏
福山和人氏

京都市長選での推薦見送りは20年ぶりのことだ。
「幅広く支持を得たい」とする福山の意向を尊重して「支援」にとどめた。

京都で存在感を示してきた共産党だったが、近年は、党員の高齢化が進み、組織力にかげりも見えていると指摘されている。

去年4月の京都市議選では、改選前から4議席を減らし、市議会では、維新と国民などが統一会派を組んだことで、第2会派から第3会派に転落した。

共産党の関係者は苦しい胸の内を明かした。
「福山は人権派の弁護士として知られ、弁が立ち、現在考えられる中では“最良”の候補。ただ、京都で組織力があるとはいえ、政党支持層だけでは当選は難しい。無党派層も取り込む必要があり、推薦は出さなかった」

政治とカネ 京都でも

「3極の混戦」「新人四つどもえ」
選挙戦への関心の高まりも期待された。

しかし、告示まで1週間あまりに迫った、ことし1月13日。
その構図はあっけなく崩れた。

維新や国民府連などが、村山の推薦を取り消したのだ。
村山が政治資金パーティーの券を販売しながら、実際には、参加者がおらず、コンプライアンスに反する疑いがあると発表した。

京都市内で、緊急の記者会見に臨んだ維新代表の馬場は「京都で築いてきたものが瓦解(がかい)した」と唇をかんだ。
年末に国民を離党し、新党「教育無償化を実現する会」を結成して村山を推薦した前原も同席し、「京都は長らく『共産対オール与党』の選挙が行われてきたが、与野党がしっかり対じする中央の構図を持ち込む目的だった。選択肢がなくなり、有権者におわびしたい」と頭を下げた。

会見に臨む馬場氏と前原氏

維新や教育は自主投票を決めた。
一方、国民民主党本部は松井の推薦にかじを切った。

街角で随所に見られた緑色のポスターは瞬く間に剥がされていった。

村山は「違法性はなく、有権者の選択肢を狭めたくない」として立候補を表明したが、選挙の構図は、事実上、長年続いた「非共産対共産」に逆戻りした。

「始まってみれば、いつもの京都の選挙だ」
京都府の幹部は、ぼやいた。

“混迷”の果てに勝ったのは「非共産」の松井

京都市長選は、自民と立民などが推す松井孝治が初めての当選を果たした。

京都市長選挙結果

松井は結果を受けて「京都のことを分かっていたつもりだったが厳しい選挙戦だった。それゆえに率直な有権者の意見を聞くことができた。真正面から市政運営に取り組んでいく。とてもありがたいが重く受け止めなければならない勝利だ」と述べた。

当選後の松井氏あいさつ

松井は福山と1万6千票差の薄氷の勝利。
ある自民党の幹部は「『政治とカネ』の問題で有権者は怒っているということだ」と話した。
自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題が影響したということだ。

京都は、世界的な観光都市でありながら、財政状況は政令指定都市の中でも悪く、地価や不動産価格は高騰し、子育て世代など若者の市外への流出も続く。

観光客が集中することで、さまざまな弊害が出る「オーバーツーリズム」など、京都市が抱える課題は多い。

16年ぶりの新市長となる松井は、どのような処方箋を示し、市民の理解を得て課題を乗り越えていくのか。引き続き、しっかりと取材していきたい。

(文中敬称略)
京都市長選挙の開票結果はこちら

2月4日京都市長選挙開票速報などで放送

京都局清水記者
京都局記者
清水 阿喜子
2011年入局。札幌局、北見局、政治部などを経て現所属。京都市政を取材。松井候補を担当。
京都局松田記者
京都局記者
松田 尚人
1994年入局。初任地は大津局。主に文化芸術宗教を取材。村山候補を担当。
京都局櫻井記者
京都局記者
櫻井 亮
2012年入局。経済部などを経て去年8月から現所属。主に京都府政や企業を取材。二之湯候補を担当。
京都局春口記者
京都局記者
春口 龍一
2021年入局。京都が初任地。京都府警担当を経て丹後舞鶴支局。京都府北部で水揚げされる寒ブリが大好物。福山候補を担当。