SP 要人警護の世界 政治家との距離感は

折り目が整えられた黒いスーツに身を包み、周囲に鋭い視線を向ける。
家を出る際にはいつ遺体で戻ってもいいようにと下着も清潔なものにすることが自分の中のルールになっていた。
その男の仕事は“人間の盾”となることだった。
(金澤志江)

集中・緊張の中での警護

「ずっと集中、緊張している状態だった。秘密保持の観点から家族にすらその日どこに行くのか、誰を警護しているのかを伝えていなかった。妻は政治家と一緒にテレビに映り込んだ私を見て初めて誰の警護をしているか知って驚いていた」

石丸徳幸(57)はかつての自分の任務についてこう振り返る。
警察官として1990年に警視庁に入庁し、配属先の警察署の署長の勧めでSPとなった。1997年からおよそ10年間、閣僚や政党幹部、警視総監、海外からの賓客の警護を担当した。

試行錯誤する警護対象者との距離感

石丸がSPとして初めて担当した政治家は初代・国土交通大臣の扇千景だった。
かつては俳優として宝塚歌劇団などで活躍した扇。行く先々で多くの人が集まり、警護には難しさもあったという。

扇元大臣を警護する石丸氏
2002年12月 来年度予算案の折衝に向かう

また、当時は女性SPが少なく、トイレなど一緒に入ることができないスペースもあったため、当初どこまで踏み込んで警護すべきか思い悩んだ。

警護の対象となるのは自宅を出てまた自宅に帰るまでで、私的な旅行や少しの外出なども例外ではない。公務の日程は省庁の大臣秘書官に、またプライベートの日程については議員事務所の秘書にある程度聞くこともできるが、中には本人しか把握していない予定もある。

このため、どこにでもついて行って警護を行うには政治家本人の理解を得ることも重要になる。

「任期中、警護対象者を守り抜くことがSPとしての最大の責務」と語る石丸。

どうやったら自分の存在が負担とならずに、扇が安心して過ごすことができるか、仕事がしやすい環境をつくることができるか考え続けた。

スカートを着用することが多かった扇の階段の上り下りのサポートや、雨の日靴がぬれた時にさっと拭くなど、近くで警護しているからこそできる細やかな気遣いを意識したという。

石丸氏

(石丸徳幸)
「警察官だから安心安全のためにどこでもついて行くことができるわけではない。警察官と政治家といえども人間と人間なので、信頼関係ができてこそ同じ空間を共有できる。当然一線はあるし、立場も任務も役割も違うが、とにかく礼を尽くして誠心誠意守るという姿勢を示し続けることが重要だ」

“スーパーマン”? SPとは何だ

「セキュリティーポリス」、通称「SP」は警視庁に所属する。
組織が創設されたきっかけは1975年6月に発生した当時の総理大臣である三木武夫の襲撃事件だった。三木は元総理大臣・佐藤栄作の国民葬のために訪れていた日本武道館で、背後から走り込んできた暴漢に殴られた。

暴漢に襲われる三木首相(当時)
1975年6月 三木首相(当時)が暴漢に襲われる

アメリカのシークレットサービスを参考にその年の9月に立ち上がった。
SPが所属するのは警視庁警備部警護課で、第1警護から第4警護まで分かれている。第1が内閣総理大臣、第2が衆参両院議長や国務大臣、最高裁判所長官、第3が国賓や外国要人、第4が政党要人だ。

ちなみに総理大臣や閣僚、党幹部などが地方遊説した際に現地の警察本部や警察署に所属し、警護にあたる警察官はSPではない。あくまでSPは警視庁の警察官のうち一定の条件を満たした中から、さらに選抜された人たちだ。

警視庁OBの中には「体格や柔剣道の強さ、拳銃の腕前はもちろんのこと、警護対象者との相性もあるので、人格やコミュニケーション能力も考慮される。“スーパーマン”のような人たち」と話す者もいるほどだ。

“あうんの呼吸”と”身だしなみ”

石丸がSPとしてやりがいや存在意義を感じたのは、歴代の警護対象者と信頼関係が築けたと思える瞬間だったという。

例えばパーティーや講演を終えてその場を離れようとする時に、対象者の目配せに反応して動くタイミングがはかれるようになった時だ。

「“あうんの呼吸”というか、言葉ではなく察して意識が共有できるようになる。ほかにも演説なんかの時に少し距離を取った位置にいて私の姿が見えないと、“あれ?SPさんは?” “丸ちゃん(愛称)は?”と私を目で探す時がある。『ここにいます』『そこにいたのね』という目配せもある。自分の存在が当たり前になっていて、それが警護対象者の安心につながっていると感じた」

石丸は“身だしなみ”にもこだわっていたという。固めた髪にオーダーメイドのスーツ。くつも磨き上げていた。

「常にそばにいるので不快な思いをさせないというのと同時に、警護対象者の背景にもなることを意識していた。ネクタイも政治家が忘れた時に差し出せるようにそれなりのものを身につけていた。それに格好がだらしないSPがついていたら周囲の人に『大丈夫か』と不安な印象を与えかねない。具体的な規定はないが各SPがそれぞれ気をつけている」

現職のSPにも話を聞いたが、“場面にあった服装をすること”を心がけていると話す。

(現職SP)
「拳銃を身に着けたりするので、それが目立たないよう上着の胴回りが大きめだったり、ベルトループを太くしたりと男女ともに既製品では対応できない。どこでもスーツというわけではなく担当している政治家に恥をかかせないよう、ゴルフや旅行にはカジュアルな服装をして浮かないようにしている」

SPにとって安全を守りながら要人が“どう見えるか”も意識すべき事項なのだ。

政治家のひと言が人生を変えた

主に国土交通大臣のSPとしてキャリアを重ねていた石丸に急きょ白羽の矢が立った。
自民党の幹事長代理となった安倍晋三(当時50歳)の警護を担うことになったのだ。

アメリカで安倍元首相の警護にあたる石丸氏
2005年5月 アメリカ訪問に同行

警護対象者については警護の基本事項を定めた「警護要則」で「内閣総理大臣、国賓その他その身辺に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者として警察庁長官が定める者をいう」とされている。

もともと警護対象となっていなかった自民党の役職だったが、石丸は「当時、次期総理大臣候補ということで警察庁から依頼があったと聞いている」と話す。

担当になってしばらく経った時のことだった。まだ30代だった石丸は地方出張の移動中、警護のため新幹線で安倍の隣に座っていた。そこで安倍に思いがけず声をかけられる。

「石丸さん、政治に興味ない?政治家向いてるよ」

あまりその言葉を深く考えなかったと振り返る。

「当時はとにかくSPの仕事に情熱を持っていた。もっと警護の技術を上げようとか、もっといい仕事をしようと思ってたから『ありがとうございます』と、ただそれだけで終わった。そうした会話をしたこともいつの間にか忘れていた」

時を経て2022年7月8日。警視庁人事課に配属されていた石丸は安倍が演説中に銃撃されたことをニュースの一報で知ることになる。その時にかつてかけられた言葉が蘇ってきたという。

2か月後、石丸は警視庁を退職。そして、2023年の統一地方選挙で地元の鳥取県議会議員選挙に立候補した。400票余りの差で落選するも、今度は永田町の議員秘書という立場で政治に関わろうとしている。石丸にとっては事件が転身決断のきっかけとなった。

どう変わる 政治活動と警護

元総理大臣の銃撃事件をきっかけにSPや警備のあり方が問われることとなった。

元警視庁の警察官で要人警護に詳しい松丸俊彦は、銃社会の海外と日本では政治活動をする際の意識にそもそもの違いがあると指摘する。

オオコシセキュリティコンサルタンツ松丸俊彦氏
オオコシ セキュリティ コンサルタンツ 松丸俊彦 シニアコンサルタント

「日本では選挙の時は特に、有権者に近い距離でものものしさを出したくないというのが政治家や候補者、政党の側にある。一方で海外は銃社会であるため、それを前提とした対策が取られている。例えばアメリカでは大統領が聴衆の中に入っていく際には、セキュリティーチェックを受けた人と握手をしたり言葉を交わしたりする。演説中に物を投げられたとしても、一定程度安全が確保できる目安とされる30メートル以上あけることが一般的で、聴衆に対面した形でシークレットサービスが入るし、警護対象者のそばにもつく」

日本の警護・警備はどう変わるのか。

事件を踏まえ要人のすぐそばで警護にあたるSPをおよそ50人増やし、全体で300人あまりの体制とした。また、応援演説や講演で地方を訪れる場合に地元警察が作成する「警護計画」について警察庁が事前にすべて報告を受けるなど対策を強化している。

一方で、政党幹部の1人は「警備のために急きょ応援演説の場所が変更されるなど地元に迷惑をかけたので行くのに気が引ける」と話す。受け入れる側の地方組織の担当者からも「警備会社からの人を増やしたり、要人に近い最前列には素性が分かる人たちを配置したりするなど警護が必要な政治家を講演に招くのが負担になっている」といった声も漏れる。

政治を身近に感じてもらう機会を確保しながら要人の安全をどう守るか現場で模索が続いている。
その最前線で“人間の盾”となるSP。政治家との距離感が警護の質にも直結する。
石丸が繰り返した「信頼関係あっての警護」はいま重要性を増している。
(文中敬称略)

ネットワーク報道部記者
金澤 志江
2011年入局。仙台局や政治部などを経てネットワーク報道部へ。気になるテーマを幅広く取材中。