沖縄 離島・渡名喜島 アナウンサー ぶっつけ旅 後編
- 2024年03月13日
県内41市町村をめぐる人気企画「みーぐるめーぐる」。今回は渡名喜島。義村聡志アナの”ぶっつけ旅”後編。赤瓦の街並みの秘密に迫り、子どもたちと絶景スポットを堪能。
どうもどうも!義村聡志です。
みーぐるめーぐる渡名喜島後編です!前回に続き、今回も学びあり、笑顔ありのほっこりする出会いばかりです。ぜひ読んでみてください!
前編はこちら↓
春の香りが漂う丘へ
まずは、島の集落を一望できるという丘に登ります。
丘からの景色は、、
絶景!!
一望できるところまで登ると
里殿(さとどぅん)と呼ばれる拝殿がありました。
旧正月の時など、島の人たちがお祈りに来るそうです。
もう一つの拝殿の横には
サクラが咲きはじめていました。
渡名喜島の歴史を知ることに
再び散策。
海辺を歩いていると、、
何やら海を眺めながら座っている人たちが!
こんにちは!
今みなさんは何をされているのですか?
休んでいるのよ。
暑いもんだから笑
渡名喜島の物知りたちの集会ですか?
物知りじゃないよ笑
物知りじゃないよ笑
またまた~笑
昔から渡名喜島の風景は一緒ですか?
これでもだいぶ変わったね。
昔は、この座っているところも全部砂浜だったね。人口が一番多かった時はかつお漁船も6隻ぐらいあったね。昔のかつお漁の様子は、村の資料館で見られると思いますよ。
やっぱり物知りのみなさん。笑
ということで、、、
渡名喜島のかつお漁の歴史を調べるため、
歴史資料館に向かいます!
資料館の担当者・比嘉則雄(ひが・のりお)さんです。
渡名喜村のかつお漁が始まったのは明治39年。
大正時代には最盛期を迎え、島の基幹産業になりました。多いときには1日300匹ものかつおが採れ、沖縄本島などに出荷していたそうです。
そして比嘉さん。見せたいものがあると屋上に連れて行ってくれました。
外を見ると、、、
この赤瓦の街並み。
実は、赤瓦は当時、裕福な家の象徴で高級品だったそうなんです。
この赤瓦の街並みは大正時代にすでに出来ていたんです。こんなに小さな島なのにですよ。こういう赤瓦の風景というのは渡名喜島のほかには、首里と那覇の2か所だけだったんです。
それは、かつお漁のおかげ、、ですか?
そう!かつお漁のおかげでお金が入ったんです。
高度経済成長期以降は過疎化が進み、現在ではかつお漁は行われていません。
ただ、今も残る赤瓦の美しい風景は、当時のかつお漁の繁栄がもたらした貴重な街並みだったんですね。
島の子どもたちと至福のひととき
資料館を出てすぐ。背後から声が。
あ!テレビだ!
放課後に遊びに向かっていた仲良し3人組に出会いました。
みんなが、ふだん遊んでいる場所に連れて行ってもらうことに。
公園に到着すると、、、
友達と合流!
私も遊びに混ぜてもらうことになりました。
相撲に、、
鬼ごっこ!!
仕事も忘れて遊び尽くしました。笑
みんな渡名喜のどういうところが好きですか?
うみ!
フクギ!
カメ!
自然豊かな渡名喜村。みんなそんな渡名喜村が大好きでした。
気づけば夕方6時。
最後にみんなが大好きな場所に連れて行ってくれるそう。
とってもきれいな夕日が見られるんです!
走る子どもたちを追いかけていくと、、、
まさに夕日が海へ沈む直前!!
夕日を見ていると大志さんの弟も合流。
旅の終わりにみんなで見た夕日は、忘れられない思い出になりました。
人生初の渡名喜島。とっても楽しかったです!たくさんの思い出ができました。渡名喜村のみなさんありがとうございました!!
動画はこちらから↓