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沖縄戦戦没者遺骨 DNA鑑定で新たな展開 遺族たちは何を思う

見えてきた希望と課題とは
  • 2023年10月11日

太平洋戦争末期の沖縄戦では、激しい地上戦の末、20万人以上が亡くなり、沖縄県民の4人に1人が命を落とした。多くの遺体が野ざらしとなり、家族の元に遺骨が帰った例はほとんどない。ただ、ここ数年、DNA鑑定の技術が進む中、新たに鑑定を申請する人たちが出てきている。それぞれの思いを聞いた。

(NHK沖縄放送局記者 安座間マナ)

語らなかった母親

松本實秀さん

那覇市首里大名町の松本實秀さん(67歳)は戦後生まれだ。中学生になってから、沖縄戦で亡くなった姉と兄がいることを母親から告げられた。2人はまだ4歳と2歳だったという。

2人と一緒に激戦地の糸満市へ避難していた母親は、遺体をそのまま残していくしかなかった。母親の口は重く、亡くなったきょうだいや沖縄戦について、それ以上くわしく語ることはなかった。

松本實秀さん
あの悲惨な状況は言いたくなかったんじゃないですか。自分の間近で子どもの遺体を見ているわけだから、それは伝えたくない、言いたくないことだったのでは。実は僕の記憶では、きょうだいのお骨はお墓に入れたと両親から伝えられていたんです。ただ先日兄貴に聞いたら、石を拾ってそれをお墓に入れたということで、ああそうだったのかと。

見つかった子どもの遺骨

沖縄戦から78年あまり経ったことしの夏。松本さんのきょうだいにつながるかもしれない情報が寄せられた。

情報を提供したのは、遺骨収集ボランティアの浜田哲二さんと律子さんの夫婦。ここ数年、糸満市照屋にある壕などで調査を行っている。

糸満市照屋の壕で遺骨を探す浜田哲二さん

この壕は長さおよそ20メートル。花の模様が描かれた弁当箱など、民間人のものと見られる遺留品とともに11人の遺骨が見つかった。このうち5人は子どもの遺骨だということが、国や研究機関の分析で判明。そして、沖縄戦としては初めて子どもの遺骨からDNAも抽出されたのだ。

見つかった遺骨(撮影:みらいを紡ぐボランティア)

浜田哲二さん
子どもの命が、こうした戦争で奪われてしまう。こんな所に70数年間も埋もれたままですよね。だから、DNAを一致して返してあげたい。

沖縄県史に記録された証言

この遺骨は誰のものなのか。浜田さんたちが沖縄戦研究者の石原昌家さんに話を聞いたところ、重要な手がかりが見つかった。石原さんがかつて聞き取った照屋地区での体験者の証言の内容が、沖縄県史に掲載されているというのだ。

6月8日には照屋部落に着いていました。なぜ、その日を覚えているかというと、3日後の6月11日に、2人の子供が直撃弾によって死んだからです。

真夏のように暑かったという、その日。3人目の子どもをお腹に宿していた女性は、汗を流そうと、子どもたちを夫に預けて照屋地区にある泉で水浴びをしていた。

泉から上がろうとしたとき、近くでものすごい爆発音がした。煙は女性のところまで流れてきた。

“ひょっとしたら家族が危ない”

急いで家族が身を潜めていた空き家へ向かったが、子どもたちは砲弾が直撃してすでに死んでいた。

県史の記述

実章(息子)は頭をやられていて、頭蓋骨は握りこぶしが入るくらいあいていました。抱きかかえている私の体に血がタラタラ流れ落ちてきました。

娘の和子は背中が半分以上やられていて、やっとのことで胴体がつながっているというありさまでした。

この証言をしたのは、松本チヨさん。松本實秀さんの母親だった。

松本チヨさん

母親に代わってDNA鑑定を

松本さん(左)に説明する浜田さん(右)

7月、松本さんは浜田さんたちから、これまでの調査結果を伝えられた。母親の証言と遺骨が見つかった場所が同じ照屋地区であること。きょうだいが砲弾で亡くなった日と、アメリカ軍と日本軍が照屋地区で激戦を繰り広げた日が同じであること。そして、DNA鑑定の技術が進み、きょうだいの遺骨かどうか調べられることなどだ。

「県史を1回見ただけでもう見なかった。読めなかった」と話していた松本さん。家族には語ることのなかった母親の悲痛な思いにあらためて向き合おうとしたのか、県史に目を通し始めた。

県史に目を通す松本さん

「両親がどれだけつらかったかがうたわれている」

松本さんに気持ちをたずねると、声を詰まらせながら話してくれた。

国にDNA鑑定を申請した松本さん。きょうだいを戦場に残さざるを得なかった母親に代わって家族のもとに返したいと考えている。

松本實秀さん
このお骨がどのような形でここに戻ってくるのか分かりませんけど、できればお墓に。もしDNAが合えばそれは本当にいいことだと思いますね。天国にも報告できるしね。

沖縄戦とDNA鑑定の現状

高温多湿な沖縄の壕やガマ(自然洞窟)

沖縄戦戦没者の遺骨をめぐっては、かつては高温多湿な環境で損傷が激しいため、十分なDNAが抽出できないともいわれていた。ただ、現在は鑑定の技術が向上していて、今回の照屋地区の壕だけでも複数の人の遺骨からDNAが抽出されている。

沖縄戦戦没者の遺骨がDNA鑑定を経て家族の元に帰ったケースはこれまでに6例あるが、いずれも県外から沖縄へやってきた兵士だった。4人に1人が犠牲になった沖縄県民については、一致したケースは1例もない。

撮影:みらいを紡ぐボランティア

ただ、浜田さんたちは、今後は身元が判明する可能性は十分にあるとしていて、松本さんに限らず、多くの人たちにDNA鑑定の申請を呼びかけている。

浜田哲二さん
日本兵の遺骨は返したことがありますが、なんとか私たちの手で沖縄の人の遺骨を返してあげたい。だってふるさとが戦場になったんですよ。自分たちが志願して、ここで戦おうとして来たのではなく、自分が暮らしているところが戦場になって、それに巻き込まれているわけですから。これはね、遺骨を返してあげたいです。

沖縄戦体験者の孫として

私は沖縄出身で祖母は沖縄戦の生き残りだ。2年前、沖縄局へ異動になり沖縄戦の取材を進める中で、祖母が母親やきょうだいなど6人を亡くしたことを知った。兄2人の遺骨は見つかっていない。

DNA鑑定の技術は進歩し、遺骨が遺族に戻る可能性はかつてより高くなっている。ただ、これまでほとんど考えることもなかった事態なだけに、戦没者の遺骨にどう向き合い、どう戦争を伝えていけばよいかということが、新たな課題になっていると感じている。

  • 安座間マナ

    NHK沖縄放送局 記者

    安座間マナ

    2019年入局。沖縄県出身。 ことし8月から県政担当。沖縄戦の取材を続ける。 子育てと仕事の両立に日々奮闘中。

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