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沖縄「10・10空襲」慰霊祭 遺族がこだわる開催日と那覇大綱挽

  • 2023年09月08日

太平洋戦争中の昭和19年に那覇市の市街地を焦土に変えた「10・10空襲」。その記憶を継承しようと、これまで10月に行われてきた式典について、那覇市がことしは11月に開催することを決めました。このニュース、実は那覇大綱挽とも関係しているんです。

(NHK沖縄放送局記者 西銘むつみ)

10・10空襲 遺族から懸念の声

沖縄の「10・10空襲」をご存じでしょうか。沖縄戦の前の年の昭和19年10月10日、アメリカ軍が突如、沖縄県内各地を空襲。668人が死亡、768人が負傷し、那覇市では9割が焼失しました。

この10・10空襲の記憶を次の世代に伝えようと、遺族会は原則として10月10日当日に慰霊祭を行ってきました。

去年の慰霊の式典

ところが遺族会の高齢化を受けて6年前から慰霊の式典を主催してきた那覇市は、「那覇大綱挽」への対応と日程が重なるなか10月10日当日の開催をほぼ行わなくなり、さらにことしは10月ではなく11月に行うと決めたのです。

理由として那覇市は、開催を予定していた日に会場近くの公園で音楽イベントが行われるため、式典の雰囲気を考慮して11月に先送りしたとしています。

遺族からは10・10空襲の風化を懸念する 声が上がっています。

那覇市連合遺族会 瑞慶山良祐 会長

遺族がないがしろにされた感じがしてとても残念ですし、10・10空襲が風化してしまわないか心配です。

一方、那覇市福祉政策課は、「当初の予定通り10月に行えないことは残念に思います。本市としても戦没者等遺族の気持ちに寄り添った形で式典を執り行っていきたいと考えております」とコメントし、来年からは10月開催に戻したいとしています。

開催日へのこだわりには深い事情が

わずか1か月の先送りだし、来年から10月に戻すのだから問題ないのではと思われる方もいるかもしれません。しかし、開催日へのこだわりには、もっと深い事情があるんです。それは、那覇大綱挽の由来に関係しています。

宜野湾市の大山大綱引き

沖縄県内各地では大綱引きが盛んです。たとえば、宜野湾市の「大山大綱引き」は8月13日に、沖縄の三大大綱引きのひとつ与那原町の「与那原大綱曳まつり」は8月19日と20日に開催されました。また、同じ三大大綱引きのひとつで、糸満市の「糸満大綱引」は毎年、昔ながらの旧暦8月15日に行われていて、ことしは9月29日に予定されています。それに比べると、那覇大綱挽(三大大綱引きのひとつ)の開催時期は10月8日と少し遅くなっています。

去年の那覇大綱挽

那覇大綱挽保存会によりますと、那覇大綱挽の起源となる那覇四町綱は、琉球王国時代の1450年頃に始まったとされ、農村部の大綱引きが五穀豊穣などを願うものだったのに対し、那覇四町綱は交易都市那覇を象徴するもので、当時は6月に行われていたそうです。しかし、戦争の影響で1935年・昭和10年を最後に途絶えます。

そして、戦後、沖縄の本土復帰の前年、1971年・昭和46年に、那覇市制50周年記念事業として「10・10空襲」の日に復活しました。10・10空襲や翌年の沖縄戦で焦土と化した那覇の復興を象徴し、平和への思いを新たにする行事として再開したのです。

遺族にとっては、そもそも那覇大綱挽への対応を理由に、慰霊祭が10月10日に開催されなくなることも残念な結果でした。それに加えて、音楽イベントのため11月に先送りするというのは、二重にないがしろにされていると感じる話だったのです。

いまや一大観光イベントになった那覇大綱挽

那覇大綱挽はいま、地元の人だけでなく観光客やアメリカ軍基地の関係者など数十万人が訪れる一大観光イベントになっています。会場では、伝統的な「ハーイヤー」だけでなく、英語の「PULL」、中国語の「加油(ジャヨウ)」、韓国語の「ヨンチャ」など、各国のかけ声が飛び交います。

今年の那覇大綱挽に参加される方は、厄除けに綱を持ち帰るだけでなく、ぜひ10・10空襲で被害があったことにも、思いをはせていただければと思います。

  • 西銘むつみ

    NHK冲縄放送局 記者・解説委員

    西銘むつみ

    1992年入局。沖縄放送局では主に沖縄戦や戦後処理を継続的に取材。3年いた首都圏放送センターでは、当時の環境庁、沖縄開発庁を担当。

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