沖縄戦78年 知り続けて 伝え続ける 34歳の平和ガイドの思い
- 2023年07月20日
戦争体験者ひとりひとりの記憶の継承を通じて沖縄戦を考えてほしいと、10年以上活動を続けている女性がいます。戦争体験者が減る中、模索しながら活動を続ける姿を取材しました。※英語バージョンも公開しています(コチラ)
(NHK沖縄放送局記者 上地依理子)
ひとりひとりの人生を伝えたい
沖縄戦を伝え残す活動を続けている、大田光さん(34)です。沖縄戦で動員された首里高校の前身、旧制県立第一中学校の元生徒たちの資料展示室で、解説員を務めています。
“その時代を生きたひとりひとりの人生を伝えたい”と考えている大田さん。個人に焦点をあてて話を進める方法で、資料展示室を訪れた人たちに元生徒たちのことを伝えています。取材した日は、元生徒の根神屋昭さんについて説明していました。
休み時間とかみんなけっこうわーわー教室で遊ぶんですよね。それを1番後ろの席でこうやって腕組みながらずーっと友だちが遊んでいるのを見ているような。大人びたタイプだったようです。
元生徒の日常を聞き、訪れた人たちは話に引き込まれている様子でしたが…。
(根神屋さんは)アメリカ軍の投げ込まれた爆弾の攻撃をもろに受けてしまって亡くなった。
大田さんは、根神屋さんの遺影を掲げながら、戦争のむごたらしさを淡々と伝えました。
大田光さん
戦前の学生っていうと、とっても乖離があるというか。遠い存在って思われがちだけど。人柄とかいうか人物像があっ何かいるよねクラスに、こういう子みたいな。なんかそういうところからちょっと身近に感じてもらえれば。
コロナ禍で活動が難しく
毎月、旧制県立第一中学校の元生徒たちが集まる場で話しを聞いてきた大田さん。「久米島出身でホームシックだったみたいだ」など、ひとりひとりの性格をより詳しく知って伝えるため、10年以上にわたって交流を深めてきました。これまで沖縄戦で亡くなった元生徒290人のうち、半数近くを調べたといいます。
子どもらしいあどけない様子が聞けた一方、ほかの生徒に手榴弾を渡して死んでしまった体験を話してくれた人もいました。元生徒が悲惨な体験で“自分を責め続ける”姿もみつめてきました。
しかし、コロナ禍で元生徒に聞き取りがほとんどできなくなったうえ、高齢化が進んで次々と亡くなり、やり場のない気持ちを感じていました。
大田光さん
おしゃべりゆんたくする感じでその空間に一緒にいるっていうのは自分の中では大切な時間だったので。しんどいはしんどいですけど、だからといってじゃあ一中生のこと調べるのやめるかとかおじいちゃんたちから話し聞いてきたこと伝えるのやめるかって言ったらそうではない。
知り続けて 伝え続ける
戦争体験者が少なくなる中で、“その記録を後世に残していきたい”と、いま大学院に進学して研究を始めています。大学院では旧制県立第一中学校だけでなく、ほかの学校からも元生徒たちが戦争にかり出された状況を深く調べるようになりました。そして、その原因や背景も伝えたいと思うようになったのです。
大学では授業も担当し、沖縄戦で住民や元生徒たちが動員されるようになった経緯を学んでもらいました。
大田光さん
本来ならば動員されるべき年齢とか対象じゃない人まで、沖縄戦では動員させていった。私たちが戦争を学ぶときにどうしても被害の側面になりがちというかそこを知るのを大事なんだけど。あのとき何でこうなったのかっていうのを考えてほしいなと思った。
大学院生になって調べる中、知らないことがたくさんあることに気がついたという大田さん。見つけた知らないことに向き合い、学び、調べて共有する。沖縄戦を経験していない者として戦争を伝える上で大切にしたいと考えています。
その原点は体験者が絞り出したことばひとつひとつ。知り続けながら、彼らの記憶を残す活動は続きます。
大田光さん
もちろん沖縄戦の中での一事例ではあるんですけど、またそこを通して戦争って何で起こるんだろうとか。平和ってそもそも何だろうとか。そういうところを考えてもらえるような、そういう平和学習とかそういう風なものの伝え方ができればと思いますね。