西日本豪雨から5年 2023年7月6日 岡山県の動き 祈りと追悼
- 2023年07月06日
2023年7月6日、平成に入って最も多くの犠牲者が出た西日本豪雨から5年です。
岡山県内各地の祈りや動きをお伝えします。
倉敷市で追悼式
西日本豪雨で倉敷市では、地区の3分の1近くが浸水した真備町を中心に、災害関連死も含めて75人が亡くなりました。真備町にある文化施設で、市が主催する追悼式が行われ、新型コロナの5類移行を受けて、遺族や住民の代表など去年のおよそ3倍となるおよそ210人が参加しました。式では、はじめに犠牲者一人ひとりの名前が読み上げられたあと、参加者全員で黙とうし亡くなった人を悼みました。
人と地域のつながりの復興は、新型コロナの影響で遅れていましたが、去年の夏からは地区の行事も再開し、にぎわいを取り戻しつつあります。豪雨災害の教訓をいかし災害に強いまちづくりを進め、真備の復興と今後の発展に向けて取り組んで参ります。
1人暮らしをしていた85歳の母親を亡くした三丸幸三さん(63)が遺族を代表して、追悼のことばを述べました。
7月6日の夜に母に電話をしたときは『雨は降っていないから大丈夫』と聞き安心しましたが、翌朝ニュースを見てことばを失いました。高齢者への早めの避難情報の伝達や、逃げ遅れをなくす体制整備の重要性を訴えていくことが弔いになると考えています。
追悼式に参加した遺族は
倉敷市の追悼式に令和元年以来、4年ぶりに参列した、真備町の浅原育子さん(74)は、山の上にあった自宅は無事だったものの、町内の有井地区で暮らしていた姉の齋藤庚惠さん(当時76)を亡くしました。
今回はちょうど5年の節目なので来ました。もう少し私に防災意識があれば、姉の命を救えたのではと思い、怖い目をさせたなと思うと本当に悔しくて残念です。5年がたった今、真備町も8割から9割復興ができて、携わって下さった人に感謝しています。私は生まれ育った真備が大好きです。防災意識を高めて前に進んでいきたいです
真備町内でひとりで暮らしていた母親を亡くした女性は。
当時はあんな大惨事になるとは思っていなくて、昼間のうちに母に『避難してね』の一言が言えなかったことが残念で、後悔ばっかりで、守ってあげられなくてごめんなさいと思っています。災害にあった時に皆さんが命を亡くさずに生きて前に進んでいけるようにと祈りながら、いつもこの日を迎えています。
真備町に献花台
倉敷市は真備町の施設「マービーふれあいセンター」に献花台を設けていて、当時被災した人などが次々と訪れ、花を手向けて犠牲者を悼みました。
真備町有井の団地に住んでいたこの女性は、5年前、屋根に避難して助けを待ったということです。
ヘリコプターが通った時に手を振りながら、見てくれていないと涙を流していました。2日後の朝に自衛隊の人にすがるようにしてボートで助けてもらいました。いただいた命だからと必死に生きていました。「みなさまのおかげでここまで来られました。ありがとうございました」とお祈りをしました。
総社市で追悼式
総社市でも追悼式が開かれました。総社市では、災害関連死の8人を含め12人が亡くなり、川の氾濫による浸水やアルミ工場の爆発事故などで、およそ1110棟の住宅が全壊や半壊、それに一部損壊の被害を受けました。
式では、被災した時は中学1年生で、現在は高校3年生の小西一颯さんが決意を述べました。
西日本豪雨を経験し、災害は個々の問題ではなく、お互いに助け合い、支え合うことが大切だと感じました。経験をいかしていきたいです。
総社市の小学校で防災訓練
総社市の昭和小学校では、地域の住民と児童たちが防災訓練を行いました。5年前の西日本豪雨で、この小学校は校舎の1階が浸水し、体育館に地域の人たちが避難しました。
顔見知りになれば、避難所でもすぐに協力し合あえるのではないかと、子どもたちが学校を出て、近所の高齢者に声をかけて、避難訓練への参加を呼びかけました。そして一緒に経路を確認しながら、校舎の2階にある体育館に移動しました。
いざという時にお年寄りを助けたら周りの人の命も多く助かると思う
自力でかさ上げした住民
倉敷市真備町箭田の「井領地区」では、被災した住民らが安心して元の場所で暮らしたいと自分たちで費用を出し合って、かさ上げ工事を行いました。工事はことし3月に終わり、住民が再び暮らし始めています。そのひとり、須増国生さんは、5年前の豪雨で自宅が5メートル以上浸水し、全壊しました。
足元までしかなかった水が堤防の決壊でどんどん高くなっていき、危ないと思いました。今まで生涯で一度も見たことのない光景でした。
被災後、自宅のあった場所に再建しようと地域の人たちと協力してかさ上げ工事を進めてきました。
ここが住居の場所になります。家を建てるんですけど、6メートル高くするので、見晴らしもよくて楽しみです。水害を機にかさ上げをすることによって、これからの将来に向かってここは大丈夫という土地になりますので、いいことができたなと思います。
あの日の様子を語る「語り部タクシー」
倉敷市真備町のタクシー会社「日の丸タクシー」は、5年前の西日本豪雨で保有していた車両の7割以上にあたる44台が水没する大きな被害を受けました。
豪雨のあと、タクシー会社には利用者から「被災地を知りたい」という依頼が相次ぎました。そこで、令和2年からは「語り部タクシー」として、乗務員が豪雨当日の様子を語りながら被災地をめぐっています。会社によりますとコロナ禍もあり、去年は予約がなかったということですが、真備町で甚大な被害が出たことや、豪雨の教訓を伝えようとこれからもこの取り組みを続けることにしています。
けさ、タクシー会社では、平井啓之社長がみずから乗務員に対して改めて安全運転を呼びかけていました。
日本各地で災害が起きている中、西日本豪雨で被害を受けた倉敷市真備町のことを教訓にしてもらい、少しでも防災・減災につながってほしい。
けさの倉敷市真備町
井原鉄道の吉備真備駅では、七夕を前に飾り付けがされていて、短冊には「楽しく過ごせますように」などと書かれていました。
町には「みんなにありがとう」「5年のあゆみ」と書かれた幕も。
工事も続いています。