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2018年6月 1日

第68回 松江へ 茶の湯文化と不昧好みを味わう旅

“不昧公(ふまいこう)”の名で知られる江戸時代後期の松江藩藩主・松平治郷(はるさと)(1751〜1818)は大名茶人として名高く、茶の湯の文化を松江に浸透させました。松江を旅し、茶の文化に触れ、不昧に思いをはせます。

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松平不昧が29歳でつくった茶室「明々庵」からの松江城の眺め。森に浮かぶような松江城を見ることができる。 

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松江の人々は煎茶を飲むのと同じくらいの気軽さで抹茶を飲み、どこのスーパーでも抹茶が買えると言います。お点前を習ったことのない人でも抹茶を楽しみ、午前10時と午後3時にはお茶の時間があるという職場もいまだに少なくないとか。それもこれも元を正せば江戸時代後期の城主・松平不昧がお茶の文化を人々に広めたからだと言われています。

松平不昧はまた、財政破綻していた松江藩を立て直した殿様としても知られています。さらに自らの見識を生かし、地元の職人を指導し優れた茶器をつくらせ、工芸分野も奨励。今もって茶道具の生産が活発であったり、茶の湯の町・松江という観光イメージを築けているのも、不昧の功績と言えます。

明々庵

まず「明々庵(めいめいあん)」を訪ねました。ここは不昧が29歳のとき、家臣の邸内に建てさせた茶室。不昧は生涯に多くの茶室をつくっていますが、松江市内に残っているのは明々庵、それから42歳のときの「菅田庵(かんでんあん)」です。 ※菅田庵は現在大規模改修中で、2019年秋に再公開の予定。

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「明々庵」の敷地内に建てられている「百草亭(ひゃくそうてい)」。抹茶と和菓子がいただける。

まず敷地内の建物「百草亭」に通され、抹茶と不昧好みの菓子として知られる「菜種の里」や「若草」をいただきながら、支配人の森山俊男さんから話を伺いました。説明無しだと気づきにくいことも、森山さんからあらかじめ説明してもらってから見ると、楽しめるようになります。

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雪の多い地域ゆえに、飛び石の高さが通常の庭園よりも高くされているという。細かな配慮が随所に。

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松平不昧ゆかりの茶室「明々庵」。格式を感じさせる入り母屋造り。

飛び石を渡り茶室に向かう途中、「腰掛待合(こしかけまちあい)」を通ります。腰掛待合とは茶事の際、亭主の迎えがあるまで待つ庵です。ここには「飾り雪隠(せっちん)」があります。雪隠とはつまり便所ですが、「飾り〜」とは実際に用を足すためのものではなく、きれいにしている雪隠を見せることで奥に控える茶室も手入れの行き届いた場所ですよ、と表現するための場所なのだそうです。

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茶室の手前にある「腰掛待合」。飾り雪隠と呼ばれるむき出しのトイレがある。

そして待合を抜けると、茶室「明々庵」。入ることはできませんが、にじり口から中をのぞくことができます。森山さんによれば、この茶室のつくりからも「定石にとらわれない不昧好み」が伺えるそうです。

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「明々庵」のにじり口から二畳台目の茶室をのぞいたところ。左手、床の間に不昧による書のレプリカが掛かっている。

たとえば、茶室では湯を沸かすための炉は、通常客座の側の畳に切られることが多いですが、明々庵では茶をたてる点前座側に炉が切られています。また、中柱(なかばしら)や袖壁といったものもありません。客人に少しでも広く、快適に過ごしてほしいという不昧の配慮が反映されているということです。

それから、床の間に掛かる軸は不昧による書です。不昧は藤原定家の書風を規範とした「定家流」の書を好みました。森山さんによれば定家流の文字は通常よりデザインされた文字という性格が強く、明々庵の文字にもよくそれが表れているそうです。

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塀の欄間は透かし彫りになっており、小林如泥の作と伝えられる。もともと月照寺にあったものを移設。

他にも明々庵の塀の欄間は、不昧が目をかけたことで知られる木工の名匠・小林如泥(じょでい)の作と伝えられるものだったりと、見どころがたくさんあります。

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庭園内に立つ灯籠。松平家の葵紋と、仙台伊達藩から嫁いだ不昧の正室の「笹に向かい雀」の紋の2種類が彫られている。

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明々庵は松江城を眺める穴場スポットでもある。

明々庵の敷地は、松江城を望む絶好の眺望ポイントでもあります。もともと松江城がある場所と明々庵の建つ丘は、同じ山としてつながっていましたが、築城の際に間を切り崩して堀にしました。見上げる松江城ではなく、同じ目線の高さから天守閣が楽しめるのは貴重です。

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お茶をいただいた「百草亭」にかかる掛け軸。「明々、百草頭」という禅語にもとづき、明々庵の軸と対になっている。明々庵をこの場所に移築した、23代田部長右衛門による書。

田部美術館

明々庵を満喫した後は、坂を降り武家屋敷辺りへ。小泉八雲旧居の隣に、田部美術館があります。松江市内の美術館で不昧ゆかりの茶道具のコレクションが充実している場所と言えば、こちら。伺ったときは公募展「茶の湯の造形展」を開催中で、不昧に関するものはわずかに軸が1点と、不昧が所有した「古瀬戸丸壺」が展示されているのみでしたが、10月6日から「松平不昧展」が予定されているとのことです。

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武家屋敷の並びに田部美術館がある。

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美術館の設計は、江戸東京博物館などを手掛けた建築家・菊竹清訓(きよのり)による。

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現在は「茶の湯の造形展」を開催中(〜6/3)。

なお、当館の創設者である第23代・田部長右衛門(1906-1979)はかつての島根県知事であり、明々庵を現在の場所に移築・保存した人物でもあります。優れた政治家でありながら、同時に文化への造詣が深かった人物像は、何となく不昧と重なるところがあります(百草亭の掛け軸の書も第23代田部長右衛門による)。ちなみに、田部家はもともと「たたら製鉄」を営む鉄師御三家のひとつで、江戸時代松江藩からお墨付きをもらっていました。祖先は直接に、不昧との関わりがあったことでしょう。

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不昧が所有した茶入れ「古瀬戸丸壺」。箱書きは不昧による。

田部美術館のすぐ前は、お城の堀。松江城に上り、堀川遊覧船を楽しみました。また、お堀の東側にある松江歴史館で不昧に関する資料展示も見ることができます。

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武家屋敷の前は堀川。現在、不昧没後200年を記念した茶の湯堀川遊覧船が運行中。

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松江城の天守閣からの眺め。宍道湖が広がる。

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お堀の東側にある「松江歴史館」。庭に面した座敷で松江城を見ながら、抹茶と創作和菓子でひと休みできる。

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歴史館には不昧に関する資料展示も。不昧が茶道具の逸品を図録化した書誌『古今名物類聚』の実物が見られる。

月照寺

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月照寺境内にある松平治郷墓所。

田部美術館から宍道湖方面へおよそ20分、松平家の菩提寺「月照寺」へ。松平不昧の廟(びょう)があります。見どころのひとつは、小林如泥(こばやしじょでい)の作と伝えられる廟門の木工です。無類の酒好きで常に泥のように酔っていたことから、不昧から如泥と名付けられたそうですが、ひとたびノミを持つと卓越した腕前だったそうです。高村光雲が「この技、神のごとし」とたたえたとされる名工。廟門の四隅に彫られたぶどうや龍は確かに見事という他ない出来栄えです。

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廟門に彫られたぶどうの装飾。

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緑でうっそうとした月照寺の境内。

楽山窯

松江城から東へ3km程、楽山公園のすぐ脇に「楽山焼(らくざんやき)」の窯元があります。江戸時代初期に始まり一時低迷していましたが、不昧が長岡住右衛門貞政を楽山焼五代として起用し育てたことで再興。今日まで続く窯元となっています。 

窯元がある場所はその頃より変わっていません。事前に連絡をもらえれば見学も受け付けています、とのこと。「昔この辺りは松平家ゆかりの地で、殿様が鷹(たか)狩りなどに来ていた土地なんです」(12代・長岡空郷さん)。そこに不昧の命により、窯が立てられました。

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楽山焼の当代(12代)・長岡空郷さん。

落ち着いた山吹色に白いはけ目、ざらざらとした表面の手触りが特徴的な「伊羅保写し」は、楽山焼の特徴的な作風です。ただそれ以外の作風もいろいろあり、また同じ時期に不昧が再興させた布志名焼は京風っぽい作風であったりと、「不昧好み」とは具体的にはどんなものか?と問われると上手く言えないとのことでした。「ただ、ひとつ言えるのは茶陶であるということです。それは現代まで通じていて、とにかく松江は茶器、とりわけ茶碗がよく作られます。皆さん抹茶が好きで茶碗が好きで。そこが他の地域と違うところでしょうか」

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楽山焼の中でも代表的な作風「伊羅保写し」。高麗茶碗をまねてつくられた。

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不昧の時代から窯の場所もスタイルもほとんど変わっていない。

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敷地内には楽山焼でつくった不昧坐像が。

松江の和菓子

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(上左)若草 (上中央)満天 (上右)山川 (下左)菜種の里 (右下)松江歴史館でいただいた創作和菓子。

この旅では、皆さんが口をそろえて「松江では日常の中にお茶(抹茶)がある」とおっしゃっていました。お城の前の物産館に行けば、ガラスケースの中には茶碗が山と並び、和菓子屋さんで季節の和菓子を買っていく人々の光景も珍しくありません。

番組でも取り上げた和菓子「菜種の里」は、不昧が気に入り和歌を詠んだことがきっかけで今の名前になったということで、不昧公好みの菓子として知られています。黄色い落雁を菜の花畑に見立て、いってつぶした玄米を蝶(ちょう)に見立ててつけた、質素ながらも美を感じさせる菓子。 

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松江歴史館では、和菓子の名工がその場で実演・販売している。

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市内の和菓子店にて。右は季節の菓子「花菖蒲(しょうぶ)」。

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不昧の時代から庶民の間で広まった「ぼてぼて茶」。少し塩気のある番茶を泡立ててあり、まろやか。

また庶民の間でお茶が根付いたきっかけとして、「ぼてぼて茶」の存在が大きかったと何人もの方から聞きました。諸説ありますが、不昧が考えたとも言われています。番茶に茶の花を入れて煮出し泡立て、そこに少量のご飯、しいたけ、黒豆、漬物など入れて混ぜて飲む。タタラ製鉄の職人が、仕事の合間に小腹を満たすために飲んだとも言われます。抹茶とぼてぼて茶、この2つがきっかけで、この地に広く茶の湯文化が浸透したとのこと。今も堀川沿いの茶店でいただくことができます。

松江の暮らしに根付く茶の湯の風景。その文化をつくった松平不昧。没後200年、不昧とお茶のある暮らしを肌で感じに松江、いかがですか。

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松江に来たら宍道湖もぜひ。早朝はシジミ漁の風景。夕方は夕焼けであかね色に染まる。

インフォメーション

◎明々庵
島根県松江市北堀町278
開館時間 4〜9月=午前8時30分〜午後6時30分(入館は午後6時10分まで)/10〜3月=午前8時30分〜午後5時(入館は午後4時40分まで)
休館日 なし
アクセス 一畑バス「北堀町」下車徒歩2分、または市営バス・レイクラインバス「塩見縄手」下車徒歩4分

◎田部美術館
島根県松江市北堀町310-5
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜(祝日の場合は開館)
アクセス 一畑バス「塩見縄手入口」下車すぐ、または市営バス・レイクラインバス「小泉八雲記念館前」下車すぐ

◎月照寺
島根県松江市外中原町179
拝観時間 3月下旬〜11月=午前9時〜午後5時/12月〜3月下旬=午前9時30分〜午後4時30分
アクセス レイクラインバス「月照寺前」下車すぐ、または市営バス・一畑バス「交融橋」下車徒歩10分

◎松江歴史館
島根県松江市殿町279
開館時間 4〜9月=午前8時30分〜午後6時30分(観覧受付は午後6時まで)/10〜3月=午前8時30分〜午後5時(観覧受付は午後4時30分まで)
休館日 第3木曜(祝日の場合は翌日)
アクセス レイクラインバス「大手前堀川遊覧船乗場・歴史館前」下車徒歩3分、または市営バス・レイクラインバス「塩見縄手」下車徒歩1分

◎楽山窯
島根県松江市西川津町2513-2
アクセス 市営バス「楽山入口」下車徒歩2分、または市営バス・一畑バス「総合体育館前」下車徒歩15分
※見学の際は事前連絡が必要です。

展覧会情報

◎田部美術館では「第35回田部美術館大賞『茶の湯の造形展』」が開催中です。6月3日(日)まで。
10月6日(土)からは「没後200年 松平不昧公展」を開催予定です。

◎松江歴史館では7月13日(金)から「松平不昧 -茶のこころ-」を開催予定です。

◎東京・三井記念美術館では「没後200年 特別展 大名茶人・松平不昧 -お殿さまの審美眼-」が開催中です。6月17日(日)まで。
9月21日(金)からは島根県立美術館に巡回します。