
「好きなものがある」ことが生きる力になる 100カメ「余命と向き合う人」ディレクターが語る“5人の選択”<後編>
NHKのドキュメンタリー番組『100カメ』。2023年5月に放送した「余命と向き合う人」では、取材に協力してくれた5人全員が、“がん”とわかったことをきっかけに自らの「余命」を意識し、毎日の生き方を見つめ直していました。“がん”と向き合うことになった人たちは、どんなことを考え、どんな日常を送っているのか。前編に続いて後編では、ととあさん(32)とサワダさん(34)への取材を振り返ります。
前編の記事はこちら
【関連番組の再放送】
2023年6月13日(火)午後11時~[総合]
※放送から1週間はNHKプラスで見逃し配信をご覧いただけます☟
ヒーローが背中を押してくれる
横浜に暮らすサワダさん(34)さんは、バットマンの大ファン。2019年7月に乳がん(ステージ4)が見つかってからも、どんな敵にも屈しないバットマンの姿が大きな支えとなっていました。

サワダさんのバットマン好きは、入院した病院でも噂になるほどだったそうです。相談役だった看護師さんが黄色いハンガーを調達してきてくれ、黒いバットマンタオルをベッド脇につるしてくれたことを皮切りに、冷蔵庫にはバットマンマグネット、洗面台にはバットマンフィギュア、ベッドにはバットマンクッションにバットマンタオル、バットマンのぬいぐるみ。さらにテーブルにはバットマンコミックを山積みに…病室はまるで「バットケイブ」に。そんなサワダさんの様子はすぐに広まり、放射線治療室のBGMがバットマンのサントラだったこともあったそうです。
リハビリが始まってからの目標ももちろんバットマン。東京・池袋にあるコミックショップへ行き、バットマンのコミックを買うことでした。お店までは電車を乗り継ぐ必要があり、階段の上り下りが必須…。これは、治療の副作用で体調が優れなかったり入院生活により体力が落ちているサワダさんにとってはとても大変なことでした。それでも、コミックショップに行きたい一心でリハビリに励んだところ、サワダさんは、当初より3日も早くリハビリの目標を達成し、理学療法士さんや作業療法士さんを驚かせました。
サワダさんのバットマンエピソードを聞く中でとびきり驚いた話があります。
通常だと退院後の自宅療養中はほとんど自宅から出ることができないそうですが、サワダさんは違いました。退院から数日たったある日、2週間後に渋谷でバットシグナルの点灯式があることを知ったのです。(特別ゲストも来日したりと貴重なイベントでした)これは行かないわけにはいかない…。
しかし、腰椎を骨折していたサワダさんは当時、歩いて5分のコンビニにも30分かけて行けるかどうかという状態…。それでもどうしても諦められないサワダさんは、自宅で鬼のような自主リハビリを始めます(もちろん自分の体と相談しながら)。
そしていよいよ2週間後。自主リハビリの成果もあり、休み休みではありますが、横浜の自宅から渋谷まで自分の足で向かい、念願のバットマンのイベントに参加することができたのでした。
この話を聞いて、サワダさんのなみなみならぬ努力と、その原動力に驚かされました。「ヒーローがいる」ということはこんなにも人を強くさせるのかと…。どんなものでもいいから、自分を奮い立たせてくれるものをひとつ持っておくと、いざというときにそれが心の支えになるのだと、サワダさんが身をもって教えてくれました。

挑戦を諦めることはしたくない
サワダさんはがんがわかってから転職をしています。仕事でつながりのあった人が、サワダさんに声をかけてくれたそうですが、はじめは病気の自分を受け入れてもらえるのかという葛藤がありました。当時の職場は病気に理解があり不満はありませんでしたが、病気がきっかけで業務量が軽くなっていたこと、タイミングが合わずに昇格が遅れてしまったこと、どんどん仕事を広げていく同僚が少しまぶしくみえたこと…いろんなことが重なり、自分はこのままでいいのかと何度も何度も自問自答を繰り返した末、思い切って新しい環境に挑戦することを決意したのでした。
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サワダさん
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「人生は有限です。人生一度きりだし、やらないともったいない。もったいないから、挑戦を諦めることはしたくない。だから、自分を抑え込むんじゃなくて、自分をどこかで解放しなくちゃいけない」
私はこの言葉を、編集室に素材を持ち帰りすべての素材を見ていく中で、初めて聞きました。これは、1人、自分と向き合う中で紡ぎ出されたサワダさんの魂の言葉でした。私はこの言葉こそ、「余命と向き合う」5人の心を表していると感じましたし、誰にとっても生きる道しるべになると思いました。
誰しも、生きることに疲れたり、現実が嫌になることはあるけれど、そんなときにはこの言葉を思い出してほしい…ずっと自分の心に深く刻んでおきたい言葉となりました。

最後には楽しかったと思える記憶を増やしたい
ととあさん(32)は、音楽とお笑いが大好きで、中学生のころから、L’Arc-en-Cielのライブやイベントに足しげく通ってきた生粋のファンです。今年1月には肺炎のため入院していましたが、退院後のスケジュールを聞くとライブやイベントの予定がたくさん。これには理由がありました。
「病気になって悔しい、悲しいと思いますが、最後には楽しかったと思える思い出を増やしたいと思っています。ここまで考えられるようになるには時間がかかりましたし、命に関わることなので、毎日考えては沈むこともあります。しかし、できる限り楽しく過ごしたい」(ととあさんが答えてくれたアンケートより)

ととあさんの病気がわかってから、家族をはじめ周りの友人や職場の同僚たちが「できる限り協力したい」「一緒にいろんなところへ行こう」と声をかけてくれたそうです。そんな周りの声に励まされ、去年夏ごろから「落ち込んでいてもしょうがない」と思えるようになったと話してくれました。
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ととあさん
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「そりゃ死にたくないし、テレビとかラジオとかネットとかおもしろい出来事がある。そういうものをもっと見たいし経験したい。だけどつらい記憶や嫌な記憶がたくさんあるよりも、それ以上の楽しい記憶を積み重ねていったほうが死んだとき幸せじゃないかなって思う」
冷静に現実を見つめ、残された時間をどう生きたいかをしっかりと考えながら、1日1日を大切に過ごすととあさんは本当に強い女性だと感じました。
その一方で、ととあさんと同年代である私は、自分の日常を振り返り、恥ずかしく感じました。同じ状況だったら、ととあさんのように現実から目を離さずに、地に足をつけて構えることはできるだろうか?そもそも、あした、来月、来年は当たり前に来るもので(来るとか来ないとかすら考えていない)、自分がどのように時間を積み重ねていきたいか考えたことがあっただろうか?いろいろなことが頭を駆け巡り、ととあさんと過ごす時間は、自分の弱さや生き方と向き合う時間にもなっていました。

「余命と向き合う」経験を意味あるものにしたい
さらにととあさんは、取材を受けるにあたり、こんな話もしてくれました。
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ととあさん
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「病気になったことで、生きること、死んじゃうこと、健康について考えている。自分の経験を話したり残したりすることで何か人の役に立つことができれば、病気を経験したことにも意味があるかなと思う。取材を受けることで自分の姿を残してもらうことで、人の役に立つ一歩になればいいなと思います」
『100カメ』の撮影は、1月下旬から2月にかけてととあさんの自宅を中心に行いました。数週間前に、肺炎で入院していた病院を退院し自宅に戻っていたととあさんは、日常生活を送る上で酸素吸入器が必須となり、階段の上り下りもやっと…という状態でしたが、どんなときも笑顔で私たちを受け入れてくれたことが印象に残っています。
2月には、ととあさんは夫との結婚3周年を祝うディナーを予定していました。場所は、夫婦にとって思い出の場所である、結婚式を挙げたホテルのレストランです。
迎えた当日。朝から体調が優れませんでしたが、それでもととあさん自身も周りのご家族も、誰ひとりとして「もうやめよう」と言う人はおらず、家族全員でととあさんの願いを叶えようとしていました。撮影があることで無理をさせてしまっているのではないかと続けることを悩みましたが、ととあさんにとって結婚式を挙げた場所は本当に特別な場所で、「何がなんでも行くんだ」という強い意志を感じ、カメラを回し続けました。

撮影素材には、絶対に諦めないととあさんの姿が残されていて、その姿は私たちに「どう生きるか」ということを問いかけているように感じます。

もうひとつ、ととあさんが取材を受けてくれることになったときに話してくれたことがあります。
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ととあさん
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「自分で発信するのではなく、信頼しているテレビ番組という形で自分の姿を残してもらえるのがうれしい」
これは私が番組制作をしていく上で、とても大切な言葉になりました。ととあさんは以前から「100カメ」を見てくれていて、「100カメなら」と取材を受けてくれました。自分たちが作っているものをこんなふうに信頼してくれ、大切な時間を委ねてくれるんだと、身が引き締まる思いになったことを覚えています。ととあさんのこの言葉を忘れずに、大切に番組を作っていきたいと強く思いました。
ととあさんは、結婚3周年ディナーの2週間後、亡くなりました。
先述したととあさんのアンケートの回答には続きがあります。
「ただ、本当はあったであろう長い人生、できればもっと生きて、楽しい人生を送りたかった。病気治らないかな。悔しいなー、奇跡でも起こらないかなとも思ってます」
私たちの前でどんなときも明るく振る舞ってくれる裏で、複雑な気持ちと葛藤し続けていたのです。
ととあさんが亡くなったあと、「ライブの日にYOSHIKIからもらったバラ」はご遺族によって棺に入れられたそうです。このライブのあと、「こんなにいいことがあって、病気が治るんじゃないかと思っちゃう」と満面の笑顔で話してくれたととあさんのことをずっと忘れません。
ととあさんのご冥福をお祈りいたします。

最後に
5人に出会う前まで、がんがわかったときから生活が一変し、好きなことを我慢したり遠ざけたりしてしまうのではないかと思っていました。しかし、5人との出会いによって、それは私の勝手な思い込みだったことに気付きました。
1500時間に及ぶ素材の中には、5人のありのままの日常が記録されていました。ドラマチックなシーンや特別なことなんてない、どこにでもある何気ない日常だったのです。
新しいことを始めて新しい世界に飛び込んでみたり、好きな人との時間を大切に過ごしていたり…。5人それぞれ、自分らしく「がん」とともに生きていく姿に、私自身生きるパワーをいただきました。
<前編>自分らしく“がん”と向き合う 100カメ「余命と向き合う人」

<前編>自分らしく“がん”と向き合う 100カメ「余命と向き合う人」
100カメ「余命と向き合う人」を制作した髙田ディレクター。「人生の残り時間」=「余命」と向き合う人たちとの時間は「私自身の"がんの誤解"をとく時間」だったと言います。こちらの記事もぜひご覧ください。
関連番組の再放送
2023年6月13日(火)午後11時~[総合]
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