牧野富太郎博士が残した「手書きの楽譜」
- 2024年03月14日
世界的植物学者で連続テレビ小説『らんまん』のモデルにもなった牧野富太郎博士。
その功績やゆかりの植物などを展示している県立牧野植物園で音楽会が開かれました。
演奏で使われたのは手作りで製作した楽器と高知に残る貴重な楽譜です。
“音楽を楽しむ心”を育もうと活動する男性と手作り楽器で演奏に挑む子どもたちを取材しました。(高知放送局 ニュースディレクター 齊藤正廣)
子どもたちが作った世界に一つだけの楽器
高知県西部 黒潮の海に浮かぶ沖の島。
島唯一の学校、沖の島小中学校で子どもたちに“音楽の楽しさ”を伝えようと特別授業を行っている
音楽講師の泉谷貴彦さん。泉谷さんが教えているのは全校生徒6人です。
使うのは子どもたちと一緒に製作した手作り楽器。
みずから組み立て完成させることで音楽に親しみを持って欲しいという思いからでした。
なによりも子どもが自分で作ったものから
音が出て音楽を紡いでいくっていう体験が楽しいかなと。
特別感や雰囲気にひかれます。(沖の島小中学校 中学1年 増本帆花さん)
取材で初めて訪れた沖の島。港を囲むようにある町並みはどこか懐かしさを感じさせる風景でした。今回取材した沖の島小中学校は、急こう配の道を数分登ったところにあります。潮風と緑あふれる豊かな自然の中から聞こえてくる手作り楽器の音色は心にしみる優しい音色で、楽器もよく見ると形がそれぞれ違っていて手作りのあたたかさを感じました。
牧野博士の楽譜を演奏しよう!
音楽を心から楽しんで欲しい。
この春、連続テレビ小説『らんまん』のモデルになった牧野富太郎博士が高知に残した楽譜をもとに音楽会を開くことにしました。
県立牧野植物園に博士が残した膨大な手書きの楽譜があります。楽譜が書かれたのは明治時代。日本が西洋化していく新しい時代の息吹の中での物だったと思います。誰かに頼まれた訳ではなく自らの意志で博士は大量の楽譜を書き写しました。植物学だけに留まらず興味を持ったもの、憧れたものに力強く前進する姿を子供たちに感じて欲しい。
牧野博士が残した楽譜の魅力を聞いてみた!
楽譜の原本は現在、県立牧野植物園の中にある牧野文庫に保管されています。 植物研究課の文庫班長の村上有美さんが案内してくれました。
書き写されたのは1892年(明治25年)。
高知の子どもたちに海外の音楽を楽しんでもらおうと当時貴重だった西洋音楽の楽譜など300曲を手書きしました。
植物学者である牧野博士が
なぜ楽譜を書き残したのでしょうか?
高知に帰ってきていた博士は学校で音楽の授業を見たそうなんです。
その時、音楽の教え方がよくなかったようでこのまま間違った音楽が
広まってはいけないと音楽に一気に目覚めたみたいです。
当時、手書きで300曲を書き写すのは大変だったはず。
博士がここまで情熱を注いだ理由はあるんでしょうか。
やはり子どもたちに正しい音楽を伝えたいという思いがあったと思います。
植物研究で時間がない中でも、300曲の楽譜を丁寧に書き写しました。
また、『土佐音楽会』を開催して唱歌なども披露しています。
博士の自伝では“音楽のために尽くした”との記述があります。
当時、貴重だった楽譜はどうやって手にいれていたのでしょうか?
楽譜を東京に注文して高知に送ってもらっていたみたいです。
楽譜代金を振り込むということもしていたようです。
博士が音楽教育に取り組んでいたことを初めて知り、見識の広さに驚かされました。植物研究で時間がない中でも子どもたちが楽しく音楽を奏でられることを心から願って、300曲という膨大な楽譜を一人で書き写した博士に改めて尊敬の念を抱きました。
~博士の思いを音色にのせて~
泉谷さんが子どもたちに伝えたかったのは、
「失敗を恐れず突き進む博士の姿」、「音楽をとことん楽しむこと」。
音楽会の舞台は県立牧野植物園です。
「楽しい」を音に込めて。 子どもたちの優しい音色が会場を包みます。
ぜひ動画をご覧ください!!!