【あの人の健康法】プロフィギュアスケーター・鈴木明子 摂食障害を克服したきっかけは?

更新日

拒食症食欲がない眠れない・眠りが浅いやせてきた脳・神経全身

各界を代表する方々の健康の秘けつや闘病記をご紹介する「あの人の健康法」。今回は、プロフィギュアスケーターとして活躍する鈴木明子さんです。
日本代表として2010年のバンクーバー、2014年のソチと、2度の冬季オリンピックに出場。2014年に現役引退をするまでに数々の輝かしい実績を残した鈴木さんですが、実は過去に、スケート人生も危ぶまれる事態に直面していたことがありました。それが、10代のときに経験した摂食障害です。
一時は競技引退をすすめられるほど、深刻な状況に陥ってしまった鈴木さんでしたが、およそ1年間の闘病を経て、復帰。その回復の背景には家族の存在と、自身の意識の変化がありました。

摂食障害とは?

異常な食行動をきたす症状を「摂食障害」といい、食べ過ぎてしまう「過食」や、逆に、食事をとれない「拒食」などがあります。思春期の女性に多く見られますが、最近では小学生でもなるケースがあり、注意が必要な病気の1つです。
鈴木さんの場合は「拒食」、つまり食べることができなくなってしまいました。

拒食症の早期発見のサイン・治療法はこちら

摂食障害とはどんな病気なのか

3か月で体重が16kg減! そのきっかけは...?

鈴木明子さんの高校卒業時と3か月後の体重

6歳からスケートを始め、中学生のときに頭角を表し、高校生になると海外での大会にも出場。ジュニア時代から活躍を続け、将来が有望視されていた鈴木さんですが、大学1年生のときに摂食障害と診断されてしまいます。

その最初のきっかけとなったのは、体調不良です。当時、ジャンプを上手く跳ぶためにコーチや親からも体重制限の指導を受けていた鈴木さんは、たまたま、吐き気などの症状で体調を崩し、一時的に食事を受け付けなくなったときに、今まで減らせなかった体重が減ったという経験をしました。体重が減ったら、ジャンプが軽くなったような気がしたともいいます。
そして、「せっかく減らした体重を元に戻したくない」と思うようになったのです。

食べられない背景に「完璧主義」?

食べられない背景に「完璧主義」?

鈴木さんは、この当時の状況を「できないけれども完璧主義な自分がいた」と振り返ります。
実は鈴木さんは、高校卒業後、大学進学に伴い実家を離れ一人暮らしを始めたばかりでした。食事のコントロールも今までは親に頼っていましたが、全ての管理を一人で行うようになったのです。

練習後、どんなに疲れていても、「外食」をすると太ってしまうと思って、ご飯はg単位で測ったり、栄養バランスを考え食材も厳選し、自炊を続けました。また、太っていないかどうかを確かめるために1日に5回も体重計に乗るなど、徹底的に管理しようとしました。

大学入学からわずか1か月で休学

「体重を減らせればスケートがうまくなる」と思っていた鈴木さん。
極端な食事制限をした結果、わずか1か月で体重が8kg減少しました。ところが、体重が減っても、スケートが上達するどころか、体力が落ちてしまい、練習についていくのもままならなくなってしまったのです。
大学の判断で競技中断を余儀なくされた鈴木さんは実家に帰って休養をすることになりました。そして病院の精神科で摂食障害と診断されたのです。

食べたくても「食べられない」(動画)

診断当初は「コントロールできていないだけ」と自分が病気だと受け入れられなかった鈴木さん。実家に戻ってからも母が作った食事も手をつけることができず、体重はさらに落ちていきます。「食べないと死んでしまう」と、理解していても、食べることができないのです。

鈴木40kgを切ったときに、このままでは体力もないしスケートもできないし、だめだとは分かるんですね。
でも、その時にはもうコントロールができないんです。じゃあ40kgを切ったからじゃあ食べようとはもうなれないんですよね。
自分の頭の中で、拒否反応がものすごく出てしまうので、食べようと思っても食べられない。
で、また食べ始めたら、今度「ブクブクと太ってしまうんじゃないか止まらないんじゃないか」って思ってしまって正直もう自分の脳でコントロールすることができなくなるからこそ、この病気の怖さなんですけれども。だんだんその体力がなくなる。それがスポーツだけじゃなくて1日を送る体力が40kgを切ってくるとだんだん疲れてきてしまって。』

鈴木『あともう一つは眠れなくなりました。体力がないと人って十分に睡眠も取ることができないんですけど。本当に眠れない、けれども体は横たわってないと起こせない。
起こしておけないというところがありましたし、また本当に寝ているときも静かに寝てる、寝返りとかもないので。だから、私が寝ているときに、親は何度も口に手を当てて「息してるかな」って。』

病気を治して 何がしたい?(動画)

3か月で体重が16kg減少し、32kgまで落ちた鈴木さん。競技引退が現実味を増してきた頃、あることに気づきます。

鈴木『32キロ。もうこれ以上切ってしまったら入院だと言われたんですね。もう危険だからというふうに言われたんですけれども、そのときにやっぱり私もいろいろなので調べてしまっていて、摂食障害の入院がどんなもので、どれぐらい時間がかかることかを知ってしまっていたんですけど。一方で私はスケートをするという目標を諦めてなかったです。でも親からしたら、「いやスケートじゃなくてまず生きなきゃ」みたいなところはあったと思うんですけど。私はここで入院してしまったら本当にスケーターとしてはもう戻れないと思う。これだけ時間がかかってしまったらこの選手としてやれないと思う。
今のその自分のこの状況の中でも何とかスケートができるようになっていきたいと。誰もがもうできないって言うかもしれないけど、母もスケートよりも生きる方を望んで欲しいと思っているけれども、私は生きるためにスケートという目標が欲しい。ということを言ったときに受け止めてくれたのが母だったんですね。
それまではおそらく母も病院に任せれば娘が治ると思っていたと思うんですけれども。でもこれって病院だけじゃなくて、やっぱり母もこの病気と向き合わなきゃなっていうふうに何か感じてくれたみたいで。』

鈴木さんを救った母の一言

スケート再開のために摂食障害の治療に向き合うことを決めた鈴木さん。母と話し合い、入院はしないで、実家で療養を続けることにしました。そのとき、母からこのような言葉をかけられたのです。

救ってくれた母からの一言

「好きなときに好きなだけ」

出された食事は全て食べないといけないと考えていた完璧主義の鈴木さんは、母からのこの一言に救われたと言います。

「栄養を注射で入れるようになってしまったら、もう食べるという行為すらできなくなっちゃうんだから、まだ食べられるものがあるだけいいじゃない。また食べたいときに言って」と声をかけられたことで、「今これしか食べられないけどそれでもいいか」と思えるようになり、少しずつですが、食事を口にすることができるようになっていったのです。

体重をさらに増やすために役立った 医師からのアドバイス

医師からのアドバイス「1人前の量を知る」

鈴木さんは、少しずつ体重を回復させていきました。その年の秋にはスケートに復帰するため、一人暮らしを再開します。 そこでさらに体重を増やすために、大いに助けられたというのが定食屋などの外食に行き、一人前の量を知ることでした。

当時、自炊をすると自分で食べきれる量で用意してしまう鈴木さんに、食べきれなくてもいいので、いま自分がどれだけ食事の量が足りてないかを確認するため、積極的に外食へ行くことを医師はすすめたのです。
これは、体重を増やすためにご飯を何g以上食べて、などの具体的なものではなく、感覚的に把握するということでした。鈴木さんはこの医師からのアドバイスも受け入れながら更に体重を増やし、スケートを再開することができました。

競技人生 長寿の秘けつは「諦めない」(動画)

摂食障害によっておよそ1年間、競技を離れることになった鈴木さん。しかしその後は、29歳で現役引退するまで第一線で活躍し続けました。その秘訣について聞きました。

鈴木『特に私は遅咲きだ遅咲きだというふうに言われて、でも遅咲きって信じなければこの先咲くかどうかって分からないことを、分からないところにそれでも可能性にかけられたことだと思います。
やっぱりそこが信じられなかったら続けていくことも難しかったと思うんですけれども。
まだこの先があるんじゃないかって周りもね、本当に。まだここがピークじゃないんだって、言い続けてくれたんですよね。そうするともしかしたらもうちょっといけるかもなって、こう思わせてくれたことだったと思うので、やっぱり諦めないことかなって。諦めはすごく悪い方だったと思うんですけど。しつこさも時には必要かもしれないなと思っています。』

鈴木明子さん

鈴木さんからのメッセージはひとつひとつ少しずつ。
体重を増やすことも、スケートの上達も、全て一つ一つの積み重ねが大事だと鈴木さんは考えています。

この記事は以下の番組から作成しています

  • きょうの健康 放送
    あの人の健康法「鈴木明子」