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【完結編】福島の高校 なぜ上履きにサンダルが多い?

しらべてmeet!
  • 2023年12月01日

福島の高校の上履きはなぜサンダルが多い?前回の【検証編】は大学や高校、老舗靴店で調査。今回の【完結編】は上履きの歴史から調査。たどり着いた貴重な証言から見えてきた福島の地域性とは?
【検証編の記事はこちら

上履きのはじまり

学校の上履きについて考察したことがある神戸女子大学の砂本文彦教授にうかがいました。学校制度が始まった明治初期は、お寺や武家屋敷などを学校に転用。それらは畳が多く、足袋や素足で授業を受けていたようです。
上履きの本格的な普及は1960年(昭和35年)前後。バレエシューズやゴムシューズを作る会社が学校の上履きを販売開始。以降、学校ではゴム製のシューズを履くスタイルが定着したと考えられています。

神戸女子大学 砂本文彦教授
資料提供:ムーンスター 「つきほし通信」(昭和33年)

砂本教授は九州や近畿など温暖な地域でサンダル、北日本など寒冷な地域で靴の傾向があるとも指摘。また、地域で異なる履物の経験、日本人の床に対する意識、流行のファッションなど興味深い視点も示されました。しかし、なぜ寒冷地の福島でサンダルが多いのか…謎だといいます。

砂本教授

「気候や風土だけでない福島なりの教育環境の作り方があるからこそ珍しい状況が生まれたのではないか。そうでもないと東北で福島だけ突出してサンダルが多く、定着しているのは説明しきれないと思う。」

いつ福島の高校にサンダルが登場?

そこで目をつけたのが高校の記念誌や生徒新聞。上履きに関する記述を探すと・・・ありました!
【安積高校新聞】
・上履きは黒のズック(靴)と規定(昭和27年)
・生徒総会で校内のサンダル履きを決議(昭和44年)
【会津高校学而新聞】
・生徒総会で校内のサンダル履きを決議(昭和44年)
【会津女子高等学校創立80周年記念誌】
・生徒の要望から夏期はサンダルを許可(昭和47年)
【安積女子 安積黎明百年史】
・生徒の要望から夏期はサンダルを許可(昭和47年)

高校の記念誌や生徒新聞から上履きの記述を探す
昭和27年の安積高校新聞 上履きは靴(黒ズック)だった
昭和44年 上履きにサンダルが許可されていました

サンダル導入は生徒の要望から

なぜ昭和40年代なのか?当時を知る方を訪ねました。51年前に安積女子高校で生徒会活動をしていた國分良子さん。当時は生徒総会の議事進行をしていたそうです。上履きをサンダルにすると決めたのは、生徒からの強い要望だったと言います。

國分さん

「早く大人になりたいっていう感情もありましたよね。中学生までは、保護者とか先生に80%くらいは指導でしょ。高校生になると指導は半分くらいでいいのかな。自我というか要望が出てくるんですよね。」

学校全体で上履きの議論が巻き起こったのだとか。生徒と教員が自由闊達に議論できる風潮が福島にはあるのかもしれません。

國分さん

「自分の履物だから生徒のみなさん真剣に考えましたよ。いろんな方にアンケートを取ったり、よその学校の方に聞いたりもして。アグレッシブにじゃないけれど、上履きの議論がだんだん盛り上がってきた。」

これに対し、砂本教授は

砂本教授

「私は西日本出身だが、生徒の要望で履物が変わった事例をあまり聞いたことがない。対話を通して解決をみつける経験が高校時代にできるのはすごくいいことだと思います。」

昭和40年代はいわゆる学生運動が盛んで、学生の自主自立の機運が高まっていた時期。そうした時代背景があったとはいえ、福島の高校生が実際に声を上げ、学校も応じなければサンダルはここまで広まらなかったかもしれません。

昭和50年代にも履物の議論が続いています

取材後記
サンダルが上履きとして使われていることは、昨年福島に転勤して知り、その驚きから始めた調査。
同様にサンダルが多い西日本との比較や東北他県はなぜ靴が多いかなど、今後の課題も見つけました。当たり前のように使っていた上履きから、地域性や社会の動きなどが見えてきて、とても奥深い調査となりました。

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